以前、こんな質問を受けたことがあります。

「サミットって開催する意味があるんですか?」


ございますともっ!!


それを聞かれたのは〈沖縄サミット〉のときでした。



東西の冷戦という戦後ずっと存在してきた恐怖が沈静化し、フセインも鳴りを潜め、アルカイダのテロの恐怖もまだない頃でした。

もうサミットは形式だけのものでしかないと考える人は多く、2000年に受けた質問でした。


当時のわたしはアメリカ連邦の職員として、日本で開催されるサミットにアメリカ側のスタッフとして奔走していた頃でした。




しかし今回の〈サンクトペテルブルグ・サミット〉で世間の考えが変化したことでしょう。


このサミットの開催中に国連安保理では「北朝鮮決議」が全会一致で可決し、イスラエルの空爆に対して世界がどのように対応するかが協議されました。


サミットで首脳が一同に会することがなかったら、この決議にもう少し時間を要するか、決裂の可能性もあったでしょう。



サミットには意義があります。




平時には存在感のないサミットであっても、一年に一回主要国の首脳が直接顔を合わせる機会があれば、いざというときに連携が取れ、手を携えて世界の運営に当たることができるのです。


サミット開催中の8割が、政治や経済とは無関係な文学や音楽、芸術の話がされています。

その政治とは無関係な会話こそが「社交」であり、社交こそが外交でした。

日本人には苦手な社交。

社交による親交こそが人と人の絆を深め、肝心な国交を円滑にするのです。


サミットはその好機なのですから、今後重要な議題がないときにでも

その存在感を軽視してはいけないのです。



今回のサミットでは小泉総理は大変上手に立ち振舞ったと思います。

任期切れを間近にした今回、その幕引きを見事に行った、完璧な“終わり”を作ったと思います。

初めて小泉さんを評価しました。