私は陰キャである。



陰キャ。ー教室の片隅で手入れの行き届かない髪に顔を埋める存在。


ド陰キャ。


ーそれは無害で、そして救い用のない存在。


英語ではIntrovertやNerd。

とりわけオタクというニュアンスを含む。



キャンパス内でパンパンになったボールペンの跡がついたリュックサックを背負った、哀愁漂う後ろ姿を目にしたことはないだろうか。

ーそう。彼らは………同志である。



そんな陰キャはどこから来たのか。何のために生きるのだろうか。どこへ行くのか。



ポールゴーギャン 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(1897)  パブリックドメインQより


諸君は一度でもそんな好奇心が顔を出したことがないと言ったら嘘つきである。


そんな陰キャのつれづれと書いた日記なんて誰も読みたくないでしょ。どうせ、ねえ。


陰キャにはこの様に、特有のめんどくささが伴う

場合もある。お痛が過ぎたが、日記を書いていく。


キャンパスではもちろん一人で過ごす。

一人で授業中を受ける。時たま友達と受ける。

寝落ちして、授業が終わりリアクションペーパーを提出し即帰宅。最終授業で記念撮影する陽キャが……眩しい。即行帰宅。


陰キャ帰宅。

寺山修司の「書を捨てよう町へ出よう」

鑑賞。エロくて前衛的。そしてノスタルジーを感じさせる背景は鑑賞者を釘付けにする。「書を捨てよう町へ出よう」というタイトルはアンドレジットの『地の糧』が元になっている。街そのものを書物の様に読むべし。

…わからない。街を読む…か…

ぼやけた頭で考えても答えは浮かばない。


昨日受け取った祖父からの手紙を開封。

ハサミをうまく使えず切り口がガタガタに

なる。祖父からの英文だった。

英文のファックスを祖父と頻繁に送り合った

幼少期を思い出し涙目になったが内容は


I am looking forward to coming good aged day. 

敬老の日を楽しみにしているよ。


帰省しなかった私へのチクチク言葉であった。

別の意味で泣きそうになりながら万年筆を

インキに浸しチクチクと筆記体を綴った。


すると、もう夕方である。

私の一日はどこからきて。

私は、何のために生きて。

どこへ行くのだろう。