こんにちは🌈
今日は前回の続きで、
「私たちが疲れる理由」についての氣づきを書いていきます。
疲れる原因はホントにたくさんあります。
シンプルに休息が足りなくて体が疲れているという場合もあれば、
心がお疲れモードでこじらせている時などなど。
人それぞれの性格や特性、その時々によっても疲れる原因は様々です。
そのようなことを踏まえて、その中でもこれがめちゃくちゃ疲れさせるんだよなーーと私が思うのは、
罪悪感をもつということです。
「罪悪感を持ちながら何かをすると、、」心が重たくなります
想像してみてください。
罪悪感を感じながらする食事、
罪悪感を感じながらする買い物、
罪悪感を感じながらする休憩、
罪悪感を感じながらする人との交流。
スッキリ😊とは真逆の感情がそこにはあります。
せっかく楽しいことをしていても、台無しにしてしまう罪悪感というやつ。
「うるせ〜黙れ〜私は好き勝手やるんだ〜」と、
振り切ってやってみた後にまた罪悪感とかね。
何度も経験していることです
自分の中の罪悪感がどこから生まれてきているものなのか?
よーく深掘りしてその正体を暴いていかない限り、堂々巡りしてしまうように思います。
その暴く方法は、
罪悪感を感じた時に、
『なぜそう感じるの?→だって⭕️⭕️だから』の後に、
『どうしてそう感じるの?ホントに感じてるの?本当にそれアナタが感じることか??悪いことか??』と自分に問いかけまくることです。
最後の方はちょっと怒ってますね笑
それは、
「罪を感じさせられる」と人は怒りが湧くのだと思います。
罪を感じることを強要されている気がするのです。
わかりやすくセリフにすると、
『そんなことして悪いと思わないの?』ですかね。
強要されると人は怒ります。
表現するかはそれぞれですが、そこに怒りは生まれているものです。
そしてこの「罪を感じさせられる」というのは、現実的に誰かに何かを言われるということもありますが、
何より「自分自身で生み出しているもの」だと気づきました。
変わってはいけないという呪縛、
みんな!とか、常識的に!という呪縛、
今の時代はこうだよ!という呪縛などなど。
言われてもないのに、『こう思うだろうなぁ』とかね。
『絶対そう!』とかね笑
自分に罪の意識を持たせてくるのは実は自分だわ
と気づくと、
ストップをかけてきた、色々なことに制限をかけてきた自分に気づけました。
それは何てもったいないことだろう
その足枷を取ってしまえたら、どんな生き方ができるでしょうか
少し前に読んだ本にこう書かれていました。
『人には、変わる権利がある』
どんな人にもこの権利があることを知っていてほしい
そう思います。
世界が平和でありますように
イベントのお知らせ
9/8(日) 11:00〜18:00
癒しフェスティバルin横浜(ワールドポーターズ)に出展させて頂きます。
詳しい詳細はまた後日アップ致します。
いつもありがとうございます