磐梯山もいいけど、飯豊もね。
父母の墓のある墓地から見る飯豊山。
磐梯山にはまだ雪がなかったが飯豊山には雪が冠っていた。
墓の掃除と、そこにある花壇?に、春に咲くようにとクロッカスとチューリップとスイセンの球根を植えに来たのだが、それは妻に任せ(私は植物が苦手なので)、墓地の中をうろつきまわった。
”墓誌”を見るのが好きなのだ。
そこには歴史とドラマがある。
あるお墓の墓誌には、若く36歳で亡くなった女性の戒名と名前がある。
夫はいたのだろうか?それならば子供はいたのだろうか?そうであったなら子供はどんなに悲しい思いをしたのだろうか?などと、考えてしまう。
葬式や法事に呼ばれた時は、その場にいずに、墓地をうろつくことにしている。
喜多方の「香福」という店に、昼営業終わりの時間ギリギリに間に合った。
店主も女性の店員さんも、嫌な顔もせず応対してくれた。
旨かったなあ。
翌日の朝ラー。(つまり今朝。6日)
まこと食堂。
今回も妻のドンブリを”大当り”にしてくれて・・・・・。
いつもすみません、マスター。
もっと、ちがう店でも食べたかったのだが、時間の都合と天候で断念した。
平塚に帰って来て、
「ショコラ、ただいま。」
「Mnnnn・・・・・。」
今では”ボクは湘南ボーイです。”なんて、間抜けな顔をしているが、会津の下郷町のどん詰まりの集落”音金”で生まれた田舎者だ。
「アン、ただいま。」
「Mnnnn・・・・・。」
一晩のオルスバン、お疲れさまでしたねっ!
この連中は起きてもこない。
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生活と意見
スーザン・フロンバーグ・シェーファー著 羽田詩津子訳
まだ会津の喜多方にいた頃買った本だが、全然読んでいなかった。
フーディーニが飼われている家にグレースというオテンバな子猫がやってきたので、フーディーニがオニイチャン面をきかして、家猫としての心得や教訓を示すためにしたためた自伝という設定である。
我家のショコラがアンに色々教えているようなものだ。
(完全に無視されてはいるが・・・・・。)
ただし、この小説のオフタリさんは最後に結ばれ子供を授かる。
やさしい犬も出てくる。
著者も訳者も猫を飼っているので現実感がある。
「○○の生活と意見」という題名は、ローレンス・スターンの”トリストラム・シャンディの生活と意見”に端を発し、伊藤整の”得能五郎の生活と意見””伊藤整氏の生活と意見”が出され、山口瞳の”江分利満氏の生活と意見(映画化された時の題名だったかな?)”が続き、曽野綾子も”飼猫ボタ子の生活と意見”というものを書いている。
「生活と意見」というのは、なかなか便利なフレーズなのだ。
「おっ!ショコラオニイチャン、鳥さんがいますよ。」
「ちゃんと見てますよ、アン。」
キミたち、今度の月・火とオルスバンだからね。
喜多方の父母の墓掃除と球根植えに行って来る。
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