この手術の話は、これで最後にします。数回にわたって手術の話を書いてきましたが、私が一番泣けたのは、メモに「辛い」「苦しい」「息が出来ない」ばかりを書いていた娘が。

ある朝、「苦しいね」って書いたんです。この子、私に気を遣っているんだ。と。今、思い出しても涙が止まりません。その時は「そうだね。苦しいね」って答えたのですが、数時間後に少しだけ駐車場の車に仮眠をとりに、娘から離れたのですが駐車場に出た途端に涙が止まりませんでした。

ある日の事。「ママいつ帰る?」って。術後の腫れのピークは術後3~4日目と聞いていました。息苦しくて不安と恐怖と闘っていましたから、私が離れるのが怖くて堪らなかったはずです。
「ごはん入れるならそれまでママいて」って。ごはんと言っても胃に直接入れる流動食です。これを入れ初めるとたまらない吐き気に襲われます。「明日って何がはずれるんだっけ」と、頭の石膏や、チューブ等が外れる日を心の支えにしていました。

「苦しいね」を書いた日の夜中、娘に「コンビニ行ってくるね。すぐに戻って来るからね」と言って病院の1階に行き、術後初めて実家の母親に電話して号泣してしまいました。

まだまだ娘が辛かった頃、さすがに夜中も一睡もしないで娘を見つめ続けて、励ましていましたから体力的に限界を感じて看護師さんがたくさんいる昼間に病院の近くに借りている娘の部屋に仮眠をとりに行きました。その時も、すごく不安でたまらないだろうに、メモに「バッチリ休んで来てね」って書くんですよえーん夜に戻る予定でしたが、しゃべれない娘からメールで、「苦しい。早く戻って来て。看護師さん来てくれない」とSOSが。幸い病院から車で数分でしたから速攻で駆け付けました。やっぱり私、いなきゃダメだなぁ。って思いました。


ある朝、特別室に変わりたい!と申し出ました。散々、「確認します」と言われ待たされ、お値段はいくらの部屋でもいいです!と言って部屋も決まり移動の準備をしてくださいと言われ、準備をして待っていました。申し出たのが朝の7時。突然若い医師が部屋に来て「特別室の看護師がこの手術後の経験が無いから移動は出来ません」って。この時点で時間は昼過ぎ。朝の7時から今まで、何の確認していたわけ?腹が立ってしまいました。若い女医「何か不服でも?」
って。当たり前だろ!そもそも経験いらねーし。だってナースコール押しても来てくれないなら、せめてナースコール押して部屋に来てくれるだけで、それだけでいいのだから。形成外科担当ナースよりはマシだろ!とは言いませんでしたが「朝イチから申し出て、確認しますって今、昼過ぎていますよね?何の確認だったのでしょうか?こちらは苦しくて仕方ないのに部屋移動の用意までしています」とだけは言わせてもらいました。


手術は大成功。でも、私は絶対にこの病院にはお世話になりたくない。


涙から怒りまでの、意味不明なブログになってしまいましたが、今だに情緒不安定なので、ごめんなさい。
これにて、上下顎骨形成手術の辛かったブログは最後にします。皆さんにご心配お掛けしました。お優しいメッセージ本当にありがとうございましたえーん術後、娘は退院してから順調で昨日から大学近くの1人暮らしの部屋に送って行きました。週末には、また帰ってきます。まだまだ強いゴムで上下を固定しておりますが、柔らかいものはほとんど食べれるようになりました。自分の家族のように。娘のように。心配してくださった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当に本当にありがとうございました!