(「僕はおじさん犬なんだけど、『だから何なの?』って思います。おじさんだからおじさんと言う、それのどこに問題が?」とビーグル犬まろさんオス10歳)
私の子供の頃、「おじさん」というのはそんなに悪い言葉ではありませんでした。
子供の頃のヒーローで確実に「おじさん」と言われていたのは、月光仮面と鞍馬天狗とナショナルキッド。「おじさん」はむしろポジティブな、頼りがいのあるニュアンスでとらえられていたものでした。
たとば、月光仮面の歌の出だしは昔の子供なら誰でも知っていましたし、「月光仮面のおじさん」はおじさん、で当たり前だと思っていました。
月光仮面(月光仮面は誰でしょう) 作詞:川内康範 作曲:小川寛興
どこの誰かは 知らないけれど
誰もがみんな 知っている
月光仮面の おじさんは
正義の味方よ よい人よ
...(以下略)
月光仮面にしろ鞍馬天狗にしろ、私はリアルタイムでは見ていなくて、再放送なのか或いはその頃に読んでいたマンガの中に「代表的なヒーロー」として比喩的に用いられていたのかはっきりしないのですが、子供の頃はマントをまとえば月光仮面やナショナルキッド、顔に頭巾をやれば鞍馬天狗と見立てたものでした。
月光仮面もドラマの中で「月光仮面のおじさん」
ナショナルキッドもドラマの中で「キッドのおじさん」
鞍馬天狗もドラマや小説の中で「天狗のおじさん」
そう、おじさんって、なんの恥じることもない、頼りがいのある、ヒーローだったのです。
なにやらトラウデン直美さんと言う女性タレントの方が自民党の総裁選ポスターに対して「おじさんの詰め合わせ」と表現したことに対してSNSで話題になっているとかいうのを見て、時代はここまでおかしくなったのかと思いました。トラウデン直美さんの表現が「男性差別」だの「ヘイト」だの、或いは男女逆で「おばさん」なら炎上だの、年齢で「おじさん」とdisる*のは差別とか、まあ一方で「なんで問題視するのか分からない」という人もいるのですが、昔なら全く問題にならないことで騒ぎ出すのが驚きです。
*disる:悪口を言う、侮辱する
自民党のそのポスターをみて「おじさんの詰め合わせ」ではなくて、「いやいやどう見たって『おじさんとおじいさんの詰め合わせ』だろう」というツッコミなら納得するのですが。私の子供の頃は65歳で男性が死ぬのはごくごく普通だったから、ポスターに掲載されている当時の首相の多くは「おじいさん」です。おじさんではなく。見た目も。今だって50代で生物学上、祖父だの祖母だの言われる人だって大勢いる筈ですから。
今は「おじさん」ってバカにされてる存在なのでしょうか?
「おじさん」ってdisられてることになるのでしょうか?
うーん...若い人がSNSで騒いでいるのでしょうかね、その感覚、分からない。
成長するor老化するにつれて変わる呼ばれ方の変化の一例は
赤ちゃん、赤ん坊(男の子、女の子)
=>幼児(男の子、女の子)
=>子供(男の子、女の子)
小学生(男の子、女の子、男子、女子)
中学生(男子、女子)
高校生(男子、女子)
=>男性、女性
学生(男、女)
若者(男、女)
若い子達
=>男性、女性、男、女
おじさん、おばさん
お父さん、お母さん
=>おじいさん、おばあさん
...
こんな風に、赤ちゃんの頃から年齢に応じて人というものは呼び方呼ばれ方が変わっていくもので、変わっていくのが当たり前、なんで「おじさん」「おばさん」だと「差別」なんて言う人が出てくるのでしょう。
「女性が少ない」って意味で「おじさんの詰め合わせ」に文句を言う人がいたかもしれないけど、それこそ、歴史的には必ずしも女性が男性と同じだけの数、国会議員になってきた、ということはないので「おじさんとおじいさんの詰め合わせ」になっているのは当たり前の話ですね。
男女平等の今の時代にそぐわない、なんて言う人もいるかもしれないけど、一般人の男女雇用機会均等法だって1985年制定1986年施行の法律で、昔の人は、女性が会社に勤務するのは女性たち自身も「腰かけ」「花嫁候補」という気持ちの人がいっぱいいたのだから、それを今の世で「女性が出世してこなかった」「男女不平等」なんて言って昔に文句言ったところで何の意味もないのです。昔は昔、今は今、未来は未来。