(「僕の場合は体罰なんてされたこと全くないです。体罰って概念自体ないんです。可愛がられてばかり」と語るビーグル犬まろさんオス10歳)

 

 戸塚ヨットスクールの創始者、戸塚宏氏がYoutube動画で体罰を肯定する意見を述べて、批判が殺到しているそうなのですが、気になることがあります。

 批判は当然、でもそもそも「体罰は令和の時代にそぐわない」ではないのです。

 そもそもが、昭和の時代に体罰が大手を振って肯定されていたわけではないのです。少なくとも私が知る限りではそうです。

 戸塚ヨットスクールの事件と言うのは、非行少年や情緒がおかしい少年たちをヨットにのせて厳しく訓練することで人格の矯正に効果があるとしてヨットスクールを立ち上げて少年たちを預かった戸塚宏氏が起こした事件でした。何年かの間に訓練生が何人も命を落としています。そこで「訓練」の名のもとにスクール生に対しての傷害致死・監禁致死ということで起訴され1980年代当時のマスコミは戸塚氏を厳しく批判し、司法も結局は戸塚氏を懲役6年の実刑に処したわけです。

 戸塚氏の行為が「体罰」等と言えるものではなくまさに「傷害」と言えるものだったから戸塚氏が批判されたのかというとそうではなく、それ以上に、法的な問題以前に昭和の時代の社会の人たちの多くが、「たとえ体罰という名目でも暴力はいけない」という考えを既に持っていたからこそ、散々、マスコミで取り上げられたわけです。

 

 戸塚ヨットスクールは1970年代終わり頃から1980年代にかけての事件でしたが、私が中学生だった1970年代の前半の頃だって、別に体罰が大っぴらに認められていたわけでもなく、確かに生徒をビンタする先生は一部いたけれども、それを知って学校に文句を言う親はなかなかいなかったかもしれないけれども、少なくとも、生徒の立場からはもの凄く嫌な気持ちがしたものです。戸塚氏が言うようにひっぱたいた先生に「有難うございました!」なんてもんじゃなかったものです。いまだに、私が学校に行っていた時代を振り返ると生徒をビンタしてきた中学校の時の先生たちは最低だと思うし、そんなことしてこなかった普通に真面目な先生とかの方が好きな先生だったものでした。で、なんだかんだ言ったところで普通に真面目な体罰をしない先生の方が圧倒的に多数派だったのです、実態は。別に「社会が体罰を許していた」わけではない。私はいわゆる優等生で真面目だったので体罰先生にビンタをされたことは一回もなかったけれども、クラスメイトが先生から何かと理由を付けられてビンタされるのを見るのが辛かったのでした。そういうビンタしてくる先生というのは生徒の振舞いと別の理由、たとえば家庭でなにかあったのかと疑われるような感じで教室に入ってきた瞬間からあからさまに機嫌が悪く、生徒たちの何気ない言動に突発的に引っ掛かってビンタしてくるなんてこともよくあったものでしたが、生徒達からすれば、少なくとも私は、先生のそういう行動を心で容認していたわけではないのです。担任の先生でもあった別の先生が、いまやどんな事情だったかもう忘れたけれど、多くのクラスメイトを一列に並べて立たせてビンタをしていったのは、たとえ手加減していたとしても、いまだにイヤな記憶として残ります。自分がビンタされなくてもクラスメイトがそんなことされるのを見るのが辛かったものです。そもそも先生がそんなことをする正当性というのが見つからなかった。

 そういうことをするような先生が、別の機会ではクラスのみんなの前で冗談交じりに「先生が生徒を殴れば傷害だけれど生徒が先生を殴るのは許されるんだよなあ...」なんて言ってたくらいだから、その当時だって本当は先生の側で「体罰は本来は許されないこと」という認識はあったに違いないのです。戸塚ヨットスクールみたいな極端なことは別にしたって、社会の通念として。「悪いことしたら、殴ってやってください」なんてお追従(ついしょう)を言うバカな親も確かにいたけれども、特にそれが「普通」だったとは思えません。

 

 この頃、「昭和なら許されたけれども令和の時代ではだめ」という主張が増えたけれども、昭和だってダメなものはダメだったので、「昭和なら許された」なんて歴史の捏造はしないでほしいなあと思うのです。正確には、「許されていないけれどもやっていた一部の人たちがいた」。それを「許されていた」というのなら、今だって殺人事件が起きるのは「殺人が許されているから」という理屈です。

 

 私は同窓会はもう行かなくていいかな、と思うのですが、特に中学校の同窓会はもういいかなと思うのですが、以前の同窓会でも体罰をしていた先生達の方に近づいて挨拶するのは懐かしいけどやはりちょっとキツかったなという思いがあるのはやはり当時の「体罰は見るのもイヤ、苦手だな」という思いが正直言ってあったんだろうなと思いあたります。半世紀も昔、もはや亡くなってしまった方もいる、生きていてもヨボヨボの爺さん婆さん、懐かしいのだけれどそれでも心の中でスッキリしないわだかまりが残る、それが体罰というものです。