(「僕は大学に行っていません。でもご主人様からは『犬界のエリート、犬界の貴族』とよく言われます」とビーグル犬まろさんオス10歳)
この頃、来年の大学入試に関して皇族の秋篠宮家の悠仁様の進学先がどうなるかについての話題を週刊誌が取り上げていたりします。
既に悠仁様はちゃんとした論文を書かれているので東大への推薦入学には有利だろうという話と、とてもとても東大に行けるような成績ではないという話と、どうやら二派あるようです。
しかし、私はそもそもどうして未来の天皇陛下となる人が大学で「学歴」を手に入れる必要があるのだろうか、なんだかよく分からないのです。イギリスのエリザベス女王は学校に通わずに家庭教師から勉強を学んだそうで、そこから私がイメージする王室とか皇室とかは「学校に行く、大学に行く」のではなく「宮廷で家庭教師から学ぶ」というもので、必ずしも皇室のメンバー...というか将来の帝王としては「大学卒」である必要なんてないのではないかと思うのです。なにか学ぶのであれば、「偉い学者を呼びつける」でいいのではないかと。それが皇室の本来の姿で、なにも平民たちと一緒になって同じ基準で点数を付けられるとか、或いは下駄はかせられて単位を取るなんて、かえって屈辱的なものではないかと。必修科目で試験をして赤点とるようなことがあった場合に、追試とかそういうことになるのだろうか。それとも、担当の先生は試験で赤点を付けるなんて怖くてできなくなるから「レポート提出」とかにするのだろうか。自力でレポートを書けなければ他の先生か学生か知らないけどとにかく優秀な他の人に手伝わせてでもなんとかして単位をもらうなんてことになったら、何のために「学んで」いるのか怪しくなってしまいます。
そもそもがもしも高校の成績が良くない状態で東大の授業を受けたところで、授業の間中、先生が何を言っているのか分からないとかいうことになって、かわいそうなのではないかと思うのです。授業の時間の間中、つまんねーと騒ぐわけにもいかずじっと大人しくよく分からないことを聞いているだけ。周囲は、バリバリに優秀な子達ばかりで、劣等感にさいなまされることもあるかもしれない。だから、本人にとっても周囲にとってさえ、お互いに相当、辛いのではないかと。
よく「学歴」と言いますが、さすがに「学力」が伴わなければ卒業できずにドロップアウトせざるを得ません。「日本の大学は入学したら出るのは易しい」なんて言う人もいますが、いやいやそれでも授業についていけない場合は単位が取れないはずなので、卒業できない人はいます。特に東大なんかだと「ここまで出来たら合格」というラインだって高く設定されているというもので、どこかの大学の体育会みたいに「名前を書けば合格、単位あげます」みたいな世界とは違います。それでも、皇室のメンバーを「卒業させない」訳にもいかないのでどこかで特別に基準を変えるとかしなければいけないことになったら、やはり先生の側としてもストレスが溜まるだろうし、特別扱いされた方も「特別扱いで単位を貰った」という内心忸怩たる気持ちになるでしょう。
皇室のメンバーが「大学に行く」ということのメリットは、ご学友ができるということだと思います。しかし、それでも小学校から大学まで同窓の友人という人もいないで、いきなり「将来の天皇陛下とご学友」というのもたまたま一緒になった同級生には荷が重いものではないかなと思うのです。しかも入学の経緯が「自分と同じように厳しい受験で点を取って入学した」というものでなければ共感もわきにくいし、少なくとも最初の頃はなかなか厳しい人物評価をされてしまうのではないかと心配します。それが心のわだかまりになって本当のご学友にはなり得なくなってしまうのではないかとも。
天皇制というのは、「特別な人々」という「ファンタジー」で成り立っているところが大なので、なにも他の頭が良い庶民達と一緒の価値観を持つ必要もなく、同じ価値観で判断される必要もなく、まして成績で庶民の中に埋没してしまう必要もなく、いわば日本の中で唯一、戸籍も庶民と違い、本物の特権階級としての振る舞いが許されている人々なのだから、「語学も興味を持った学問も、およそ天皇になるために必要と思われることは学者を呼びつけて講義させる」で良いのではないかと思うのです。将来、好きな分野で論文を書きたければ何年かけてでも入れ代わり立ち代わり優秀な学者たちにスキルをつけてもらってものにしていくとかで良いのでは。
将来に同窓生たちから「天皇陛下は自分より相当、成績が悪かった(or良かった)」なんて同じ土俵で評価されそういう話が外部に漏れるのは、皇室のファンタジーと言う面で禍根を残し、とても良くないのではないかと思うのです。「皇室」というファンタジーは「東大卒or東大の学位」というファンタジーよりはよっぽど価値があるはずなので。