(「僕は可愛がられてばかりなので、ご主人様が『世の中厳しい』なんて言っても実感わかないです」とビーグル犬まろさんオス10歳)

 

 世の中、厳しいのが当たり前、ほぼ誰もが実感する筈です。生まれてから死ぬまで見た目で判断され、頭の良さで判断され、運動能力で判断され、家柄で判断され、言葉で判断され、異性を好きになればさらに相性がどうだのなんだかんだちょっと違うとか分けわからないこと言われて受け入れられずフラれ、入学試験は1点でも低ければ落ちるのが当たり前、入学願書が期限までに届かなければ試験を受けるまでもなく不合格が当たり前、「大学なんて人生に関係ない」なんて言われても、なんだかんだと大学名で判断される、大学でもなければ勤務先で判断される、勤務先だけでもなければ肩書で判断される、マニュアル本を山ほど読んでも入社試験の面接もああだこうだと意地悪なこと言われたり、「ああ言えば良かった」なんてこと後で思いついても後の祭り、「...お祈り申し上げます」のお祈りメールを山ほどもらう、色んな場面で出会う人に目上だから態度に気を付けるのが当たり前、幸運にも働き場所が見つかってもなんだかんだと勝手なこと思われて勝手な判断されて不満を持ち別の会社に移っても先住の社員達からは差別され、仕事でもプレゼンがうまくいかなければお客さんから仕事を貰えず、それが自身の評価につながり、電車でも買い物でも一円でも足りなければ乗れず買えず、まともな環境に育った人なら自分を抑えてでも相手を思いやることを教えられ自分勝手なことをするな礼儀正しくと教えられ...「失敗したけど許してやりなよ」でやり直しができるなんてことは、まずありません。自分の失敗、うまくいかなかったことは、歴史として後の人生に降りかかってくるのが当たり前です。

 

 つまり、世の中の人たちは多かれ少なかれ...多分、多かれの方だけれども...なんだかんだと辛い目にあっているのが当たり前、なんだかんだ言って苦労しているのが当たり前、なのです。

 

 それが、一般の人たちにとってはそういう自分たちがいろいろ苦労しているのに、偉い人にもタメ口でなにやら「注意してはいけない人」みたいになってしまっていた、「単なる礼儀知らずでうるさいだけの見た目の変な人」が「メディアでの売れっ子扱い」されていたことに、私生活でも非常識なことをしてきても許されてきたようなエピソードを知るにつれ、相当、イヤな思い、苦々しく思ってきた人たちが多くいたのではないかと思います。「あれの何が認められているのか、理解できない」と。

 

 だからこそ、フワちゃんという方がやす子さんという芸人の方にXで暴言を吐いた時に、ここぞとばかりにそれが拡散され、今も非難する人が多く、結果的にフワちゃんさんは仕事を失いつつあるわけで。

 

 芸能界の一部の人たちは、この暴言問題を「謝ったから許してあげよう」みたいに言う人もいるようなのですが、あまりにも「いじめっ子が他の子に対しての暴言を先生に叱られて謝らさせられた、だからもうここらで許してあげよう、騒ぎをおさめよう」みたいに主張するのだけれど、それは違うな、と思うのです。

 

 この世の中、「謝ったから許してあげる」みたいな小学生レベルのことは、大人の世界では当たり前に起きているわけではないのです。

 一旦、暴言を吐けば「そう言う人だったのだね」ということで、その後に見る目が変わります。それが当たり前なのです。私には「世界は不寛容で出来ている」とどうしても思えてしまいます。

 

 長崎の平和祈念式典、イスラエル大使が招待されなかったからと言って、日本以外のG7の国は一斉に駐日大使を出席見合わせにしました。「原爆の被害を認識して、平和への祈りを」と言っても、現実は不寛容です。「世界平和を、核兵器不使用を」なんて言ったところで、関係ありません。どんな平和祈念式典をしたところで、どこかの国同士が一旦、敵味方になったら、核兵器を使うとなったら使ってしまいます。平和を祈ることが無駄だとは言いませんが、どうしたって現実は現実です。歴史に基づく反省は常に現代の事情の前には敗北します。それが人類の歴史です。

 

 中国も韓国も自国の政治状況やら色々な理由で折にふれ反日の行動をしてきました。それがもう終戦、いや日中戦争の頃から、いや日韓併合とか、さらには何百年の昔の倭寇だのなんだのの歴史まで引っ張り出してきて、反日だの言ってきました。若い人には関係ないのに「昔の因縁、謝ったからでは済まさないぞ」、です。国同士の関係が良くなるとおさまりますが、歴史問題は現実の行動の理由づけに使われてきたように見えてしまいます。日本に関係すること以外でも、ヨーロッパの戦争も第一次世界大戦の処理がまた第二次世界大戦につながり、「謝って」も結局はさらなる争いにつながってしまったのでした。ユダヤとパレスチナの戦いも、元々はイギリスの二枚舌外交が悪いという歴史もありますが、今の現実にはパレスチナの資源をイスラエルや欧米諸国が狙っているという説もあります。行動のおおもとは人道的見地とか歴史宗教だけではないのです。

 

 日本のように、「謝ったんだから許してあげなさいよ、許さないなんてなったら、かえってお前の方が酷い奴だと思われるだけ」と、「許す」ことを強制されることはないのではないでしょうかね。国の問題と個人の問題でレベルが違い過ぎますか?いや、思考方法として、思考の癖で、「謝ったからには許さないといけなくて寛大な処置にしないといけない」という考えは本当の世の中の、世界の考え方とは相当ずれている日本の小学生の考えだろうねということでは共通しているのです。

 

 やすこさんは「もうわだかまりもないし、フワちゃんさんへの誹謗中傷もやめて」みたいに発言されているのは、そういわないと今度は自分が悪者になってしまうということもあるに違いありません。でも表面上、許したところで、「最初っから仲が良くて争いは本当に誤解と間違いだった」と言うの以外は、本当はわだかまりが残るものです。それが世の中の当たり前です。

 

 フワちゃんさんの問題、一番良いのは、メディアもやす子さんも下手にフワちゃんさんを「許す」なんてことなしに、フワちゃんさんがメディアから消えるなら消えるにまかせれば良いのではないかと思うのです。もともとが、世の中に出てはいけない人だったのかもしれません。それを指原莉乃さんと言う元AKBの有名な方が推しとして世間に紹介したからこそ知られるようになっただけのことなのです。メディアだって大衆の反発の酷い人を、もはやわざわざかばってまで起用しようとはしないでしょうし、そういう流れになっています。