(「僕は美味しく食べられればなんでも良いんですけどね」とビーグル犬まろさんオス9歳)
うちのビーグル犬まろさんには、「サイエンスダイエット」というドッグフードを食べさせています。これは、元々まろさんを飼っていたブリーダーさんに「サイエンスダイエットを食べさせています。」と言われて、ではそのままそれを食べさせ続けようということで継続しているものです。
このサイエンスダイエット、年齢でフードが分かれていて「1歳未満」、「アダルト1-6歳」、「シニア7歳以上」、「シニア10歳以上」、「シニア13歳以上」...となっています。その中ででも種類わけがなされていたりしますが、私が「うーん...」と思うのはその年齢分けです。
いや、年齢分けがいけないというのではなく、犬の年齢に応じた、それに適したドッグフードなのだからとても良い、のではあるのです。でも、その年齢相当のものに切り替えるときに「お前のところの犬は大分歳を取ったのだ」という事実を突きつけられているようで、なんとなく憂鬱な気分になるのです。
いや、実際はフードを切り替えた途端にビーグル犬まろさんが急にジジ臭くなるとかありえない、それは重々承知しています。今だって、お散歩のときの自分が行きたくない方向を拒否するときは、さすがマッチョな筋肉だなと思えるほどに凄く力強く抵抗します。でも、まろさんもそろそろ10歳、次に買うのは「シニア10歳以上」に決まっているのです。それでなんとなく寂しい、憂鬱。
ビーグル犬まろさんがほぼ1歳のころにうちに来たからすでにもう丸9年以上、一緒にいるのです。人間の側も50代だった私たち夫婦も60代、娘達も小学生だったのが大学生と高校生、その間の成長をまろさんはともに見守ってきたのです。まろさんが女子高生とか若い女性とかを好きなのもおそらく飼い主の娘の面影を見るからだと思うのです。いまだに、長女がまろさんのところに行くと耳が後ろに引かれてとてもうっとりとした顔でなでなでされています。つまりまろさんと一緒の思い出があるわけです。妻などは毎日可愛いまろさんにコンタクトしながら「マロス(まろさんロス)が怖い」と言っています。
ビーグル犬まろさんにはいつまでも生きていて欲しい、と願うのだけれど私たちと同じように生き物だから寿命はあるし、10歳を超えるとなるとさすがに意識をしてしまう、それが「シニア10歳以上」のドッグフードに切り替える時の憂鬱さの原因ではあるということくらいわかっています。
先日も、父の件でお世話になった民生委員の方に朝のお散歩中に会ったらいきなり「随分白くなった(ビーグル犬まろさんの顔が)」と言われて改めて老いを意識させられて返す言葉が見つかりませんでした。先方に悪気は全くなくて「知り合いだから『おはようございます』以上に何か話さないと」と思ってとっさに出た言葉が「随分白くなった」だということくらいわかっていますが、でもなんとなく正直、「うーん...ほっといて」と思いました。
ただ、自信があるのはまろさんは少なくとも今までもこれからも生きてる間は、年をとっても、ずっと幸せだ、ということです。表情豊かだからまろさんの考えることはわかるし、それに応じて対応すると「それだ」と喜ぶ姿、いつも心に焼き付けています。獣医で注射をうつときも、獣医もこの頃はまろさんの前足を前に伸ばすだけで、なにも抑えもしません。全然、暴れないでおとなしく注射されることを分かっているからです。そんな賢い姿を見ると、まろさん以上の奴はいないなあと思います。お散歩のときも、何を感じるのか慎重に「こっちの方はやめとく」「雨が降りそうだから早く帰る」とか色々と考えているのがよく分かるので、なんだかまろさんというのは犬以上に優秀な気がしてしまいます。バディです。
...ということで、そんなビーグル犬まろさんとの今後おきる別れを特に強く意識させられるものの一つが年齢別のドッグフードの切り替えのときなのですが、また3年前と同じように少しづつ慣れていくとは思います。