(「僕も感じの良いお医者様の方が好きです」とビーグル犬まろさんオス9歳)

 

 一昨日、母を医院に連れて行ったときのことです。

 その医院は、先代の頃から私が子供の頃からかかっていた医院です。

 いつの間にか私とほぼ同世代のご子息が、大学での講義のかたわら家を継いだ町医者としても診療しているということをされていて、本来の軸足は大学らしいのでその医院にはヘルプとでもいうような形で別のお医者さんが担当している日があります。先日の記事は、その別のヘルプのお医者さんが来ていたときの体験でした。

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 今回、その息子のお医者さん(先々代から数えて三代目)のときに行ったら、随分と混んでいました。休み明けだったこと、直前に雨がちだったこと、色々と要因はあるのかもしれませんが、それでも前回の別の曜日担当のヘルプのお医者さんのときと比べてあまりにも混雑具合が違うのでした。前回は「かなり空いているな」という感じでしたが、今回は待合室の座席がいっぱいになって立っている人たちも出ていました。数人と十数人というくらいの差なのです。

 町医者なので母を含めほぼ高齢女性ばかり、たまに高齢男性、付き添いの私以外に60代はいず、一様に背中が曲がって耳も遠そうで足元がおぼつかないような老人ばかり。平日の午前中だからそんなもの、だったのかもしれません。

 でも、母の診察に付き添って前回のヘルプのお医者さんと、今回の3代目のお医者さんとの診察具合や質問への受けごたえで実感したのです。3代目の方が、人間力が、「信頼感」があるのだと。確かに私達親子が「若い頃から3代目を知っている」というのはあるにしても、こちらが質問したときの受け応えの明瞭さ、人間としての愛想の良さ、結局は診察における説得力が違うのだと。つまりそれが、ひいては担当曜日による患者数の圧倒的違いに表れているのではないかなあと思えたのです。

 背中が曲がって足元もおぼつかないようなご老人ばかり、耳も遠くボケ混じりのような老人達でも、いやそういう人たちだからこそなおさらなのか、肌感覚で本能的にでも「近寄りたくない医者」「診てもらいたい医者」というのを選別して曜日を選んできているのだろうなと思いました。ご老人達は大人しくて明確に拒否しないまでも意見がないわけではなく、それとなく態度で示すのです。

 

 もう一軒の医院の話。

 子どもが小さい頃に小児科専門の医院に連れて行ったときに、そこのお医者さん私にも子供にも目を合わせずに話した内容をひたすらPCに入力するだけだったので、どうしてもその医者は信用することができませんでした。信用できない、というよりも「呆れた、患者を診ないで画面だけ見て、こんな人がよく医者なんてやっていられるなあ」というのが正直なところでした。そのせいか医者として繁盛しているようにも全く見えず、いつも空いていて。

 そのお医者さん、後年、父が介護施設に入所したときにその施設の「協力医」になっていました。介護施設には各々、直ぐ駆けつける医者がいるようなのです。

 本業不振のせいなのか、その一時的な介護施設にいた間、バカ高い医療費・山ほどの不要な薬代(何の明確な病気でもないのに老人の様々な機能の衰弱というだけで、ひと月に薬代だけで2万円近く)が請求されていたので、人間として信用できない、医者として信用できないというのがずっとあったので、父が他の施設にうつった時はほっとしました。

 

 医者には技術と自信に裏打ちされた人間力、信頼感が大切なんだよなあ、と思うのです。