あれから13年…
13年も経ったのか、未だ13年なのか…
あの日の事は今も鮮明に憶えています…
我が家では引っ越し作業中で、私は業者さん5人と作業中…
ひどい揺れで、長い揺れがおさまったあと外に出ると、社宅の他の奥さま達も外に出てきていて、上階の方では冷蔵庫や、食器棚の扉が開いて物が飛び出して酷いことになっていたとの事…
我が家はほぼほぼ荷物がまとまった状態だったので、大きな被害は無しでした。(一階だったのもあります)
普段集団下校で帰って来る子供達が帰って来なくてみんな心配…
当時社宅に小学生が20人以上居て…
んで3人位のママが
「ちょっと迎えに行ってくるよ~」
って言ってくれたので、引っ越し作業中の私や、下に小さな兄弟が居る家はお任せする事に…
でもその前に先生が数人付き添って一緒に帰ってきてくれました。
当時小学生の3年生と1年生だった、りくとうみ
しかもその時も3月なのに大粒の雪が降り出して…
みんな雪だるまになりながら帰って来たっけ…
帰宅した子供達に
「地震凄かったね!学校大丈夫だった?」って聞くと口々に
「体育館のガラス割れた!」
「廊下のガラスも割れたよ~!」
「でも避難訓練したから大丈夫だった!」
心の中で
(避難訓練じゃなくて避難な!)とツッコミ…
部屋に戻ったら、一度取り外したテレビを業者さんが繋いでくれていました。
数時間旦那とも連絡がつかなくて、不安だったのを憶えています。
連絡がつかないまま、だいぶ遅くなってから旦那が帰ってきて、そのまま3時間かけて引っ越し先へ…
次の日の朝イチに業者さんが荷物を運んでくる事になっていたので…
3月中は、引っ越し先と、当時住んでた所を頻繁に行き来する日々だったのですが、停電やガソリン不足で大変な思いをしました…
家のすぐ近くにはスタンドが2件あったのですが、一台5リットルとか制限がかかる中、大行列…
ガソリン無くなって、
「売り切れ」の看板がたっても行列は途切れず…
市内にもたくさんの被災者の方々が避難してきていて、最終的にお世話になった方々にろくにお別れも出来ずに引っ越して来ました…
そこから13年、定期的に被災地に旅行に行っています。
元々大好きだった場所が津波で壊滅的な状態になりました。
そこからの復興を見てると、復興してキレイになった場所もありますが、まだまだそのままにみえる所もあります…
震災遺構に行くと、今でも入る前から涙が溢れてきて、入るのが怖くなります。
震災遺構として遺していくのは後世の為にとても大切な事だと思います。
東北の太平洋側を旅行する事がありましたら、立ち寄ってみて下さい!
そして周りもぜひ見てみて下さい!
震災から13年経ちましたが、まだまだ復興したとは言い難い、復興には程遠い状況がたくさんあります。
だから私には、
震災から13年も経ったのか
未だ13年なのかがわかりません…
能登地方の地震でも中々復興が進まないですよね…
これが首都圏とかなら、もっと必死で復興を急ぐんでしょう…
国会でしょうもない審議とも言えない審議をしている場合では無いのでは?
落ち着いたら能登にある大好きな旅館に又旅行に行きたいと思います。
今日はちょっとマジメな内容を書いてみました。
いつもと違いますね…
↑の後、結局疲れが出てしまい昨日は1日痛みと熱との闘いで寝込んでしまいました…
今日もう1日はゆっくり過ごします!
それでは皆様良い1日をお過ごし下さいませ🙇