なんてことない私達の解散について…

記事として、そしてコメントとして

取り上げていただきありがとうございます。


「ぴんきり兄弟」なんて、ふざけた名義でふたり

【おやじの学園祭】をやってまいりました。

kobaとaki、ふたりの間には12年という歳月が

まるで夢のように流れたようです。


当時まだ未知すぎたYouTubeなるものを使って

覆面で遊びたおそう…ふざけまくろう。

世の中の曲、ピンからキリまで俺達流に…

ヘタでいいのさ、今さら上手くなるわけないのさ。

でも、オヤジがこうして楽しんでいることを

どうか笑って楽しんでくれ、真似てくれ…

酒飲みがらそんなことを語りましたよ🤭


ある日のこと。

よういち君との出会いから、【渋谷屋根裏】でデビューさせてもらい、さらに【新宿JAM】や【渋谷ラ・ママ】など、まったくもって分不相応なライブハウスで演奏を経験をさせていただきました。

ろくでもない私達の輝かしい歴史であります。


sionをこよなく愛する歌屋コバ

C-C-B大好き弦屋のaki

まったく交わらないふたりの「違い」が楽しく

行き当たりばったりぶっつけ歌会を楽しみました。


いつまでもそんなふたりの「違い」をもて遊び

楽しむ余裕があったなら…私に…

それなら、もう少し続いたのかも知れません。

間違いなくkobaは

その度量を持ち合わせていましたが…。


やがて私は「違い」を楽しむより

妙な「欲」に目覚めてしまい。

それがソロギターや宅録との出会いでした。

イサトさんを知ってしまった時からかなぁ…。

(上手くなりたい)と。


ギター、機材やエフェクターが増えるほどに

ふたりで演る機会は逆に減っていきました。

「好きなことをもっとやりたい」

私のそんな子供じみたワガママのせいです。

一途なくせに浮気性…実は真面目で不器用…

(この自己分析にkobaの半笑いが浮かびます🤭)

そんな私には

ぴんきり兄弟が二の次になり始めたのです。

kobaの度量に甘え始めたんでしょうね。


毎月レギュラーで前座を遊んだ【The勉強会】。

その勉強会の前座遊びがストレスとなり

1年に3〜4回しか出なくなった私。

私の不参加をソロで繋ぎ、約80回連続出演のkoba…

ふたりの間には

これほどのギャップが生まれてしまいました。


ある時、kobaが送ってきたオリジナルのデータに

私がギターとして入る余地を感じられなくなり

送られた曲を聴くのが辛くなりましてね。

(kobaはいっぱしの弾き語りスト…

俺が下手な音を足すよりこのままの方が…)

…そんな想いが強くなりましてね。

あれこれモヤモヤと煮えきらないでいる私。


じわじわと身辺にも変化が訪れ始め

(いや、自ら変化を求め始め…かな)

あるきっかけで嫌な記憶が蘇ってしまい…。


なんとなく遊んできたなら

「解散」なんて言葉は存在しないのでしょうが。

「いつかその日がやってくるならいっそ今か」と

kobaに向かって引き金をひいた訳でして。


「押して忍びます」

撃たれたkobaからの最後の答えでした。



このアメーバをきっかけに知り合い

新宿東口で会って飲み…

思えば一人の子供が小学校入学し

高校卒業するまでという

結構長い付き合いだったな。


人って、違わないと惹かれ合わないし

同じところがないと理解しあえないし…

いい距離感でいてくれました、kobaは。



※誇張も美化もなく、淡々と事実を綴りました。
遊んでくれてありがとう
辛抱してくれてありがとう
応援してくれてありがとう。

ぴんきり兄弟、弦屋akiが歌うブルースでした。