maroonsweets sachiです。
仙台は初雪が降り、すっかり東北の寒さを感じる今日この頃です。
先日、呼ばれるように女川とう仙台の上の方?にある金華山と言う無人島に行って
登山をして、水神と言う神様が祭られいる湧き水を飲み、スッキリとした気持ちでリフレッシュをしてきました
振り返ると、仙台から片道2時間、フェリーに乗ってはるばるでした。
心臓に痛みがあったことなど今はすっかりと忘れて、揚々と登った先から見える透き通った海と、清々しい
空気、そして人生で一番に美味しかった水を飲み干し、
帰宅後、母に「あなたは、お父さんに呼ばれて行ったのね」と
添乗員をしていた頃に、父が企画していたという金華山登山初耳でした。
最近、やけに父を感じることがあります。夢に出てくるから、私もまもなく天国ゆきかと思うくらい
もう亡くなって10年になりますが、いつも気にしてくれていて、そばにいることを感じます。
小さい頃は、寡黙な父の愛情を感じられなかったけれど、今になってようやく、末っ子の私をとても慮っていたんだろうなと
感じます。
そして孫のことも。一番に喜んでいるんだろうなって。
世間では東北一の大学に進学して、人生安泰!!と言われますが、子育てを振り返ると、
私の安心したい想念が息子をここまで導いてしまったのか?と感じるくらいです。
命をかけて守ってきた・・・そんな自分を誰も褒めてはくれないし、母としては何もかもがあたりまえ。
私は息子に背中を見せてきた?頑張ってきたことは、全然伝わっていなくて、
恨まれ、憎まれ、喧嘩が絶えませんでした
今、何もしないでいることの方が、息子に安心感を与えていることを身をもって感じます
休学中の息子は、バイトの中でモデルをしたり、積極的に人と関わるようになって、とても明るくなりました
去年まで、家でゲーム中毒だった頃とは違って、断然活き活きとしていて、みている私も嬉しいです
それはきっと、私が親に愛されてきて、息子も親に愛されていることを実感できた
タイミングだったかなと思います。
私たちは、親に愛されてきた!今も愛されている。
そのことを実感できたとき、ふっと胸の奥から暖かいものがほとばしり、これでいいのだと言う安心感が
彷彿して本来の自分になれるのではないかと思います
私はよく、保護者面談でなかなか思うどうおりにならない我が子の相談を聞きながら、
「命をかけて育ててる我が子に、幸せになってもらいたいだけですよね」
「本当はただただ、元気で生きていてくれさえいれば良いですよね」
と声をかけると、大概の親はこくんと頷き、しんみりと己のエゴのむき出しに反省して、
子供の前で明るく笑顔でいよう!を思って帰って行きます
親子って、約束してきたとしか言いようがありません
それぞれに思うことはあっても、親子の絆に勝るものはありません。
人は親無くして今の命もないのですから
人生50を過ぎて
子育てもひと段落して、やっとわかること。
親子、家族、
友達、
全ての人に対して互いに尊敬し、慈しみ、ごめんね&ありがとう!と言えた先には、明るい人生しかないんだと感じます