人世の長さについて

 
人生ではなくあえて人世としましたが、今回はこの世界での時間についての個人的な話です。
 
 
数日前にもSNS等では少しコメントしましたが、改めて少しだけ追記します。
 
 
先月になった9月18日が、私の父の命日だったのですが、
私の父は1995年の阪神大震災の年に亡くなりました。
 
当時、父母は神戸に住んでおり(今も実家は同じ場所で母が住んでます)
震災当時、当時単身赴任中に病状が悪化していた父は神戸の実家にて本社勤務に戻っていました。
 
大腸がんの摘出後はストマを付けての生活をしていました。
 
震災の時は、ちょうど実家も断層が走っている場所だったので
家も相当ダメージを受け、後に全壊の判定が出たので、その後立て直したのですが
直後はその家で父母は生活していました。
 
断水していたので、近所の水くみ場から水を人力で運んだりしていた父でしたが
それでもしばらくは夫婦で全壊判定の家で暮らしていた次第です。
 
さてこの年は色々と大きな事件もあり、
1月の阪神大震災の傷も癒えない中、3月には有名なオウム事件が起こりました。
 
余談ですが私はその当時仕事で、たまたま事件現場となった霞が関には頻繁に行っていたので
その日も事件発生1時間前に霞が関にいましたし、翌日も霞が関を利用して、
事件発生時には知り合いの安否も気遣っていた次第です。
 
そんなオウム事件の報道の過熱ぶりもすさまじく、阪神大震災以上の世の中の話題となった年でした。
 
またこの年の5月は、私自身の結婚もあり、父も体調は悪かったと思いますが、
東京の、霞が関の隣駅、神谷町の式場に来てくれました。
 
震災の話に戻ります。
流石に全壊の家には住めなかったため、夫婦で近所のお宅を借りてしばらく生活していました。
私も数日ではありましたが、その家で家族と過ごしました。
 
他愛もない会話の記憶しか残っていませんが、その時には父の体調はかなり悪化しており、
近所の病院にも徒歩では難しい状態でしたが、それでも普段はそこまで体調が悪いようには思えない感じでした。
 
その当時は病院もまともに機能していなかったこともあり、数か月の間父の定期検査も疎かにならざるを得なかった様です。
その為、再度精密検査を受けた時は癌が全身に転移している状態で、余命3か月との診断がおりました。
 
そこで、まだ歩ける状態で一見元気に見える父と一緒に
私は大阪の終末医療いわゆるホスピスでの診察に同行しました。
 
そこでの診断は長くて余命3か月とのことでしたが、父は毅然と平然と受け入れていました。
ただ、そのホスピスは大阪だったので、少し気が乗らない感じの父でした。
 
私はその後、程なくして東京に戻りました。
父の元気な姿を見たのはそれが最期だったと記憶しています。
 
私が次に父に会った時は父の危篤の知らせでした。
 
父はホスピスではなく、私自身が生まれたご縁のある病院のベットの上で息も絶え絶えで本当に苦しそうでした。
人の面相はここまで変わるのかと思いましたが、その夜は帰る事になりがっかりした様子の父の顔は今も忘れられません。
 
その後、少し持ち直した父は、先述のホスピスへと搬送されました。
このホスピスは緩和ケアに長けており、驚くほど穏やかな父に戻り私を含めた家族で最期の時間を過ごしました。
 
その間にもここでは書けない様々な事がありましたが、ここでは割愛します。
最期の時まで父は大変苦しみましたが、死を恐れる事無く、他者をねぎらう態度を貫き、天寿を全うしました。
 
 
 
 
 
 
 
前置きが長くなりましたが、その父の生涯の長さに、私は本日追いつきました。
 
以前から、今日までを自身の一つの命の区切りと考えてきましたが、私は父ほど出来が良くありません。
なので、今現在も残された課題が多くあります。
 
そして、今現在に至って問題は山積していますが幸いな事に、
交友関係においても、仕事で関わる人達も全てが理想的な方々と日々お付き合いさせて頂くまでになりました。
 
そして、私自身の残された課題も明確に絞られてきました。
 
ムシの良い話かもしれませんが、これからの余命に対して、この期に至って多くのご縁を感じると共に
まだまだ私自身は残された使命があると強く感じるのです。
 
 
考えた結果、今日という日を境に、明日からは新たな人生を私は歩ませて頂ければと思います。
 
もしかしたら、今迄と一見変わらない日々となるかもしれません。
 
しかし、その人生の延長として命の限りベストな生き方をしていこうと思います。
いや、そうしなければならないと強く心に誓う次第です。
 
何をすべきかは、日々成長しつつ変わっていくかもしれませんが、大きな指針は明確に私の中にあります。
 
改めまして今迄ご縁のあった皆様、今迄のご縁を心より感謝いたします。
今後ともご指導ご鞭撻のほど引き続き宜しくお願い申し上げます。