10日、区議会区民文教委員会が行われました。

私は、今、安倍政権の「教育再生」の中で行われようとしている「道徳の教科化」について質問しました。



中央教育審議会は10月21日、小中学校で行われている「道徳の時間」を「特別の教科」とする答申を下村博文文科相に提出しました。

答申は「教科でないから道徳教育が軽視されている」とし、教科化で検定教科書を使用させ、評価を行うことを打ち出しています。

安倍首相は、いじめ対策に「規範意識を教えることが重要だ」と繰り返し発言。「教科化」を提起した教育再生実行会議も、大津市の男子中学生いじめ自殺事件(2011年)をあげ、道徳教育を「教科」にして、強化していく必要性を言っています。

しかし、事件が起きた中学校は文部科学省指定の「道徳教育実践研究事業」推進校で、「いじめのない学校づくり」を掲げていた学校です。道徳教育が推進されていた学校で、深刻ないじめ事件が起きてしまいました。


この問題を検証した大津市の第三者委員会の報告書は、「道徳教育や命の教育の限界」をあげています。報告書では「学校間格差、受験競争の中で子どもたちもストレスを受けている」と述べ、競争主義が社会的背景にあると指摘し、「学校の現場で教員が一丸となったさまざまな創造的な実践こそが必要なのではないか」と強調しています。

私は、市民道徳教育は大切だし、子どもたちが自らモラルを形成できるよう、基本的人権の尊重を中心にすえた市民道徳の教育を重視すべきだと考えます。

しかし、今回の「道徳の教科化」は▼「規範意識」や「愛国心」を柱にすえて、「徳目」を上から押し付ける危険性を持っている▼しかも「評価」をし、児童・生徒の作文やノート、発言や行動、面接などあらゆる資料を収集して行うとしている

こうした「道徳の教科化」は子どもたちに、先生の前では「良い子」に振る舞うことを強いてしまうような、息苦しいものになってしまいます。

私は、Q「道徳の教科化」は問題だと思うがどうか

Q政府の求める「徳目」を上から押し付けることはあってはならないと思うがどうか

と委員会で質問しました。


教育委員会の担当室長は、道徳教育は上からの「徳目」を教え込むものではなく、判断する力や豊かな心を育むためのもので、教科化による「評価」は一般の教科のような数値による評価はしないなど配慮がなされていくものという答弁でした。

安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を信条として、「海外で戦争する国」にする解釈改憲まで行っています。

教育委員会は「大丈夫」と考えているようですが、「道徳の教科化」で、戦前の「修身」のように、政府が決めた「徳目」を守ったかどうか成績をつけることによって、「戦争する国」づくりを支える「人づくり」を行おうとしている、その危険性は明らかだと思います。





公開授業の様子

(写真は記事とは関係ありません)