妻、2022.8.5に逝去しました。


妻はずっと頑張ってきました。

約2年半、癌と闘ってきました。

彼女は自慢の妻でありママです。




遡ること1ヶ月前


呼吸状態が増悪し夜間に救急外来へかかりました

その後から酸素が必要な状態になり、1週間ほど入院しました。


入院時に以前から感じていた下腹部痛が強くなり検査を行いました。

その後、主治医から電話で話したいことがあるとの報告受けその時点で私はある種の覚悟をしていました。


主治医からは

これ以上の治療は難しい

今の体の状態では治療してももたない

本人の意思を尊重して残りの時間を家で過ごす方がいいんじゃないか


思っていた通りのお話でした。

覚悟はしてましたが、いざその言葉を聞くと只々茫然とし目の前が真っ白になりました。


最後の画像検査で妻は乳がんからの

肺転移、(癌性リンパ管腫の増悪)肺は全体的に真っ白

肝転移、腫瘍が腫大し胃を圧迫していたための下腹部痛

脳転移、頭頂部に転移


こんな状態でも彼女は7月初旬に長女のピアノの発表会へ行き見届けてくれました。

そこでは私の親、弟夫婦、妹家族が来てくれて最後にみんなで写真を撮りました。

それが家族全員で撮った最後の写真になりました。その時妻は酸素もしてなければ車椅子でもなく、はたから見たら病気とは思えない姿でした。


そして7/15

妻は退院しました。

そこから私も介護休暇をとり、妻と最後の時間を過ごしました。

長女は夏休み、次女はコロナの為休園と神様が最後に家族で過ごす時間をくれたようでした。


妻は日中ずっと酸素をしてましたが、コミュニケーションもとれ、状態が良ければ常食を食べることが出来てました。

しかし、肝転移の進行が大きく8月になる頃にはお腹の腫脹がかなり大きいものになっていました。

次女は赤ちゃんいるみたいだね、なんて笑わせてくれましたが妻は動くのも困難な状況になり、誰かの手を借りないとトイレお風呂等には行けない状態でした。



最後の日


少し朦朧としてる感じがありました

お風呂にはほぼ1人で入れました

家族と笑って話せました

何気なしに撮った次女との動画、これが最後の映像になりました


夜中

下腹部痛で起き、そこから嘔吐を繰り返すようになりました

訪問看護師に連絡を入れ対応してもらいましたが嘔吐は治らず

急遽泊まりに来ていた妹家族や義母達と夜通し対応してましたが改善せず

朝になり幻覚症状が強くなり家族を呼ぶことに


でも妻はここから頑張りました

家族みんなが揃うまで妻でいてくれました

意識を失ってもおかしくない状態でした

来てくれたみんなに声をかけてくれました

最後に来てくれたお義父さんには

「遅いよー」って

私、子供達へも最後の言葉をかけてくれました

私はその言葉を一生忘れません

子供達が分かる時まで胸にしまっておきます


みんなが妻とさよならできました

妻もみんなとさよならできました


こんなにも強く頑張った妻を私は誇りに思います

誰に聞いても笑顔が素敵で周りを明るくさせる人

妻がいてくれたから毎日笑顔でした

妻との時間はたった12年でしたが私の全てでした


出会えてよかった。

12年前のあの日声をかけてくれてありがとう。

子供達と出会わせてくれてありがとう。

楽しい思い出をありがとう。

辛いことも楽しいこともママだから全部全部かけがえのない思い出です。


ママありがとう。愛してるよ。

子供達を立派に育てて役目を終えたらそちらに行きます。それまで少し長い時間待たせるけど待っててね。

じゃあまたね。