加山雄三さんの歌「ぼくの妹に」

 

妹が亡くなってから特別な歌になりました。

「小さい頃 僕を慕って駆けてきた君よ

それがこの頃僕もまぶしい美しい娘さ」

特に、この下りが泣けてくるようになりました。

 

短くて可愛そうな人生でした。

「○○子は可哀そうだったね」といとこまで言うほどだった。

 

まだ3歳なのにおねしょをしたと父に叩かれた。

母の話では、父は額に青筋を立てて叩いたそうです。

「女の手みたいにしなうから叩かれると痛いんだよ」

母はどういう気持ちでそんな事を言ったのか。

 

返事が遅いと言っては叩いた最低な父。

 

母は「お父さんにごめんなさいっていいな。ごめんなさいっていいな」とただ泣くだけの妹に理不尽な事を言うだけ。

 

学校ではよくいじめられた。

小学校では2年生の時に担任の先生が

「お父さんがきらいな人」と聞いたら

ただ一人手をあげたそうです。

私が「妹の事いじめないでよ」と妹のクラスに行ったこともあった。姉妹でよく遊んだっけ。

 

職場を転々として、本来なら楽しいはずの若い頃を精神病院で過ごして病院から飛び降りてしまった。

母がまず救急搬送された病院に駆けつけ、外出先から私もあとから病院へいったけど、もう警察に車で母と一緒にいったあとだった。

それを聞いた途端、涙が出て顔を洗っていたら・・・

総合病院だったので産科の病室から出産したばかりの赤ちゃんの泣き声と笑い声がきこえた・・・

多分妹や私と同じ世代だろう・・・・

 

父はいかなかった。

何もせず、葬儀の時に泣いただけ・・・

酷いやつだった。

1度しか泣かないのは夫と同じ。

 

外泊中に私が近所のファミレスに連れて行ったっけ。

カメラを向けたら、はじけるような笑顔だった・・・

他にも私のおさがりのショートコートを着て笑顔で写っている写真が。

「あなたが写真を撮ったからですよ」

とAIに言われた・・・

 

精神科いったん退院後にはプイっとどこかへ行ってしまうので自転車で探したり、追いかけたりしたことがありました。

娘が同じようにどこかへ行ってしまい、探し回ったときには当時を思いだし、あの時のように自転車に乗れないのがもどかしかった・・・母はいいなあ、私がいたから、と思いました。

 

娘には絶対に妹のような人生を歩ませたくなかったのに。

結局同じようになってしまった・・・・

 

夫には話してあったのに

飛び降りる危険性を全く理解していなかった・・・