Side: Diana
草原というのは、とても心が清らかになる。一面に広がる緑が、心のわだかまりを少しずつ解かして、また、頑張ろうという気持ちにさせてくれる。それは強大な自然の力で、人間が自然に敵わないということが、痛いほどわかる瞬間でもある。
その自然を壊さないため、人間同士仲良くしよう、とも思える瞬間である。はずなのだが。
「……私の声が聞こえないのか、クリストフ」
もう一度、出来るだけ言葉がつっけんどんにならないように優しさを含めて、寝転がる男の名を呼んでみた。しかし声というのは感情に素直なもので、私の声にはやはり本来の棘が未だ含まれている。
どうもこの男と、仲良くしたくないという気持ちの方が、強い。
しかしそれも仕方のないことだと思う。
こちらはもうすでに準備は出来ているというのに、この男と来たらほぼ草と同化するように組んだ腕を枕にして、ぐっすりと寝込んでいるのだから。
そのまま草に溶けてしまえ、といいたいのを懸命に堪えて、ぐり、と足で脇腹を押してやる。
「クリストフ・アレント」
「……ディアーナ」
私の足をまるで汚らわしいものを払うように、二、三度手で叩いて、やっとこの男―――クリストフは起床した。すでに日は高く上っている。早くしなければ、この人里はなれた場所にも憲兵が来てしまうというのに。
「俺はお前のフルネームを呼ぶのが面倒だ、そう呼ぶな」
「……私のフルネームを、忘れた言い訳にしては、不躾ではないか?」
「……麗しきディアーナ・ゲオルグ・クナッパーツブッシュ王女、おみ足をどうかお退けください」
「ふん」
いかにも面倒くさそうに名を呼び、そしてもそりと体を起こしたクリストフを見下ろして、私は足をどけて鼻を鳴らした。
「そのような世辞を言う前に、出る準備を済ませろ」
「ご心配なく王女様。昨夜のうちに済ませておきました」
「……ならばとっとと起きないか!」
「眠かったのですよ。多く睡眠をとるために、俺は昨夜準備を終わらせたのですから、王女様」
「いちいち嫌味に王女様とつけるでない、クリストフ」
「了解」
こきこきと首を鳴らし、肩を回し、体をほぐし終えたこの男が立ち上がった。―――途端、今まで威圧していた私が今度は威圧されるような長身が、大きく伸びをした。
クリストフ・アレント―――長身で銀の髪に甘いマスクがわが国の宮殿でも人気だった騎士だ。
だがきっとその宮殿の侍女もこんな欠伸の阿呆面を見れば、きっと自分の過ちに気付くことであろう。間抜け面で口に手も当てようとせず、目尻からは涙が滲んでいる。間延びした声がなんとも情けない。
これでわが国屈指の騎士だというから、笑わせる。
(阿呆だな、本当に)
私に仕えていた侍女たちがよく私の世話をしながら噂話をしたものだ。そしてことある度に幼馴染の私に「恐れながらお尋ねしますが……」と阿呆のことを尋ねてくる。だがその度に私は常々思う、この阿呆の何処が良い?
すると阿呆はふと気付いたように、琥珀色の瞳を片方だけ器用に開けて、私を見下ろしてきた。
「それでディアーナ。どこかで新聞は手に入ったのか?」
「惰眠を貪っていたどこぞの馬鹿騎士とは違う。朝方町のほうに出向き見てきた」
「ほう、で?」
目尻に溜まった涙をぐぃと拭ってクリストフは重そうな黒光りする鎧に加え、多くのものが詰められた荷物を抱える。黒の薄いシャツを押し上げるようにして、隆々と逞しい筋肉が、浮かび上がった。
時々、その姿がこいつは騎士なんだと納得させてくれる。ほんの時々、ほんの少しだけだが。
「……その前にいい加減、その鎧を外してはくれないか。町を歩くたび目立って仕方がない」
「お前もじゃあ、その白い奴脱げよ。目立つ」
私の金の髪を隠すようにして被っていた白のフードを、ぐっと掴まれた。ので、思わず私も掴み返して反抗する。引く力が相殺され、なんとも妙な形で二人とまることにはなってしまった。
「私は日焼け防止だ」
「何言ってやがんだよ」
言葉とは裏腹に、クリストフは目を細めて楽しそうに笑う。いつも眉間に皺を寄せる私とは違って、この男は笑顔がすぐに出る。
「なら日焼けしねぇよう、夜に出るか?」
「お前が寝てしまう、却下だ」
「ちぇ」
つまんねぇの、と付け足して、阿呆は私の頭をぽふぽふと撫でた。
触るな、阿呆が移る。そう言いたかったが、荷物を持ってさっさと歩き出してしまった阿呆は、手をひらひらとさせて我関せずだ。
「……私をおいていくな」
仕方ない阿呆だ―――
私は、仕方なく、本当に仕方なく阿呆の背中を追いかけて、その後ろを歩き始めた。
護りたいものを、護る。
今日もまた一日が始まる。
Side: Christoph
歩き続けることには慣れている。馬に乗れない下っ端の頃からずっと、遠くの戦地へ歩き続けていた自分だ。隣にいる王女様も、それなりに国を回り歩いているし、体力はある方だ。徒歩に何ら問題はない。
だが一つだけ、この長旅を始めてからいつまでも解消されない問題が一つだけ。人の目が、とにかく俺達を見る。
否、人の目は元から見るためにあるのだから、仕方ないのだが。
その視線に耐え切れなくなったのか、王女の口が小さく悪態をつき始めた。
「やはり、お前がその鎧を脱ぐべきだったのではないか?」
「いや、日も暮れてんだし、お前がその暑苦しいローブを脱げよ」
「……夕暮れが眩しいな」
「ついでに逸らすならもっとマシな話の逸らし方してみろ」
ばさっと、暑苦しそうなローブのフードを取ってやる。案の定、フードの下の白い小顔は少しばかり汗を滲ませていた。フードの淵についている金の飾りが輝き、そして遅れて波打つ金色の髪。
金色の緩くウェーブのかかった髪は、それはそれは大層柔らかそうで、見目美しい。夕暮れの橙の光を浴びれば当社比三割り増しで美しくなっていること間違いない。
「ほれみろ」
「外すな……」
慌てて目深までフードを被りなおして、ディアーナはキッとこっちを睨みつける。
「私は今や一国の王女ではない。指名手配されているのだ……迂闊に顔は見せられん」
「……俺もなんだけどな、それ」
「知るか」
純白のローブと、薄い水色をした騎士用の洋装をした、深くフードを被ってもわかるほどの美人。そして隣には、俺みたいな黒を基調としている服を着た美男子。ついでに今はカモフラージュとして眼帯をしてるから、男前が上がっている。はず。
そんな二人が並んでこんな、言っちゃ悪いが田舎を歩いていたらそりゃあ目を引くに決まっている。どこぞの貴族だ、と思われること間違いない。
「お前な……」
一応、内緒話のつもりで耳元に口唇を寄せてみる。しかしディアーナと俺は身長差がそれなりにあって、俺が腰が痛くなる角度までかがまなくてはいけない。それに気付いたディアーナは立ち止まり、「何だ」と呟き返した。
「一応さ、お尋ね者としてよ、服を変えるとか、いい加減しようぜ?」
「……以前にもそれは得策ではないと説明したのが、まだ理解できないか?」
「いや、っつかよ、こっちの方がよっぽど目立つ……」
道行く男女、子供ですらじっと自分達を見るのだ。その不快感に、大概限界が来ているというものだ。しかし王女は首を縦には振りやしない。
「確かに私も不安だ。だが、ここで洋服などを買い占めてみろ、すぐに憲兵にばれてしまう。宿ならばまだ逃げられるが、洋装店の場合そうもいかないだろう。犠牲者を出すわけにもいかない」
「だからって、お前の術だけじゃ……」
なぁ、と思わず言いたくなった。
ディアーナが使っている術で、俺達は霧のようになっている、らしい。人間の中に俺達がいるという意識はあるが、それ以上何も残らない、みたいだ。今こうして俺達を見ている連中も、この後俺達が去ったら何かを見た覚えはあるが、それがはっきりと思い出せなくなる、ようだ。
だが、こうもじーっと見られていると、本当にそうなのだろうか、と思ってしまう。
「私の腕を、信用してくれ」
お前自分で不安だっつったじゃねーか。
「……っかたねーな、幼馴染のよしみだ、信じてやるか」
けれど、ここまで甘いのはいつもの悪い癖。それも小さい頃からだ。そうして、いつでも下の位置にある頭を撫でて、苦笑を漏らすのも。
「偉そうに言うな」
ここで、いつもは笑わない王女が、微かに笑みを零すのを、じっと見つめるのも。昔からの習慣だ。
「……何をじっと見ている」
「何でも、王女様」
「っだから、あまり王女王女と……私は王女という身分を隠しているのだぞ」
「お前が一番言ってんじゃねーか、ディアーナ」
「……っ」
キッと睨んでくる紫水晶のような瞳が面白くて、笑いを噛み殺しながら、先を歩き始めれば、必ず文句を言いながらついてくる。
昔から、変わらない。
失くしたくないもの。
「クリストフ!」
「お、路地に宿発見」
「私をおいていくな!」
「久しぶりにベッドでぐっすり寝るかぁ……」
「お前は寝すぎだ!」
決して手は差し伸べずに、追いかけてくる気配だけを確認して、俺はその暗い路地へと入っていった。
流され星
ケータイ小説大賞応募中。
21日から投票開始です。読者の方のお力で入賞するか決まりますので、是非応援よろしくお願いします!
ぴぐまろ。