4月21日(日)、NPO法人くしろ・わっと主催による第3回マリモ茶話会が開かれました。今回のお題は、1)バレエ組曲『マリモ』が生まれた時代背景とマリモ文化、2)絵本『わたしはマリモ』の誕生秘話、3)マリモが-20℃でも凍死しない耐凍性の秘密 でした。
3)に時間をかけ、耐凍性が細胞の高いイオン濃度によってもたらされており、それがマリモの特異な成長や球化、汽水域への分布など、様々な生物特性に関係していることをお話ししました。詳しくは、わっとの上野事務局長がFacebookでレポートしているので、以下にご紹介。
【マリモを再びみんなの手に、目に、鼻に】
昨日、中抜けの用を終え勤務先にもどると机の上にお菓子がおいてあった。先月のニードルフェルトマリモづくりに参加してくれた女の子から「上野さんに!」だそう。
その後本人にお礼をいうと、なんとフェルトマリモを自宅でもつくってくれているそう。なんだかとても嬉しくて、気前よく、「僕の名前で頂いたけどみんなにもらったものだよ!」なんて言わなくてもそんなの当たり前のことをわざわざ同僚に伝えた。
本日マリモ茶話会の3回目を無事開催できた。
とても忙しい時期でしたが、若菜先生の強力な協力と、忙しくなることを見越して、2月からすこしずつ準備したおかげで無事行えたことはとても嬉しい。
絵本「わたしはマリモ」にはおじいさんマリモがくずれさり、そのカラダが子マリモにとなるという描写がある。生命のリレーともいえるこのシーンだが、実際に昔「マリモには子どもがいる」と今よりもマリモが身近な時代に近辺の人に言われていたらしい。
マリモはその球体が大きくなるにつれ、内部の崩壊がすすむ、なぜならマリモは光合成のする植物、なのだから当然内部の光の届かない中心部は光合成を行えずその部分の空洞化が起こる。その時に中の崩れた元中心部を構成していたマリモ、たちが絡み合うことで中の空洞内でまた小さな玉のマリモになることがあるらしい。
まるで母体と胎児のようだ。
マリモの中に小さなマリモができた時には持ち上げてゆすると音がなるらしい。そしてしっかり2つに切断すると中から小さなマリモの姿が確認できるそうだ。
今日は乾燥標本マリモを参加者ひとりひとりに触れてもらえたのだが、「触りごこちがニードルマリモににている!」との声を聴いた。
大昔、マリモは特別天然記念物ではなかった、そのころはきっと触っても、持ち帰ってもおとがめはなくだからこそ盗掘や、人為的な環境悪化などマリモにとっての受難も味わった。ただ、ある意味近づこうと思えばだれでも近づける、そんな時代だったのだと思う。
そのマリモが今、また危機を迎えている、今回は今までと違う一歩進んだ保護活動が求められる。
専門家だけに任せるのではなく、専門家が研究した知識や経験、そして地域の宝であるマリモに心と思いを寄せて「みんなで力を合わせて守る」。これからは地域住民がその持つ価値やマリモの特性、社会的な意味を積極的に学び、伝え、再び市民の手に、目に、鼻に、心に触れる距離で関わる、そんな関係性に変化させていくことが必要だ。
その先にこそ世界自然遺産登録があると思う。
マリモの匂いは磯の匂いらしい。