マリモの保護活動としてのエゾシカへの水草給餌-何が問題なのか |   マリモ博士の研究日記

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      - Research Notes of Dr. MARIMO -
  釧路国際ウェットランドセンターを拠点に、特別天然記念物「阿寒湖のマリモ」と周辺湖沼の調査研究に取り組んでいます

   改めて、マリモの保護を考える

 

  【釧路新聞文化欄・日本マリモ紀行#545,2021年3月29日】

 

 阿寒湖では昨年から、マリモの生育を妨げる水草をエゾシカに食べさせる試験事業がマリモの保護に取り組む「阿寒湖のマリモ保全推進委員会」の主催で行われている。

 

 阿寒湖周辺では、餌の乏しい冬季にエゾシカが樹皮を食べて樹木を枯らす食害がかねて問題となっており、森の所有者である一般財団法人前田一歩園財団は、専門家の指導のもと、食害の防止策としてビートの絞り滓を与える一方、エゾシカを捕獲し、ジビエとしての活用を促進することで、森の保全とエゾシカの個体数管理を両立させてきた。その取り組みは、30年にわたってマリモと阿寒湖を研究してきた私から見て、阿寒湖に流入する河川を安定化させ、湖環境やマリモの保全にも役立ってきたと思う。

 

 今回の試験事業では、マリモ生育地で刈り取った水草がビートの絞り滓の代替になるか、地元の小学生が調べるのだという。様子を報じる新聞・テレビはこぞって好意的で、「シカが水草を食べてくれたらうれしい」、あるいは「マリモも木も守れることができ、シカもおなかいっぱいになるなら『一石三鳥』だと喜んでいた」と、参加者の言を伝えている。いいことずくめのように見える。が、本当にそうだろうか。

 

 想像してみて欲しい。餌の与え方にもよるが、「おなかいっぱい」のエゾシカは、普通に考えれば栄養状態が向上する。その結果、冬越しできて寿命が延びる。また、同じ理由で春の出産数が増す。子ジカの生存率も上がるだろう。こうして個体数が増えれば、それに応じた餌が必要となる。次の冬には餌不足となり、樹皮食いが増える。森が荒廃し、土砂が湖に流入するなど、マリモにも悪影響が及ぶことになる。

 

 これはあくまで仮説だが、類似例は枚挙にいとまがない。生態系は生物と環境のネットワークである。だから、一見いいことのように思われても、野生動物に餌をやってはいけない―――それを教えるのが環境教育であり、実践するのが保全生物学の務めである。

 

 給餌の目的は、「マリモ保護のための水草刈り取り活動を『森を守る活動』とリンクさせることで、地域独自の持続可能な自然保護手法の構築を目指す」ことだという。

 

 持続的な生態系管理の基本は、対象地域の生態学的な研究結果に基づいて管理目標となる自然のありようを定め、関係者の合意の上に対策を決定し、対策を少しずつ実施しては影響を調査・評価し、修正を繰り返す「順応的管理」にある。そして、それは「阿寒湖のマリモ保全推進委員会」の前身である「阿寒湖のマリモ保全体策協議会」が2012年にまとめた「マリモ保護管理計画」にも明示されている。

 

 マリモ研究の現状を知る立場からすると、増えた水草がマリモの生育を圧迫しているのは事実だが、調査は途上で、肝心の管理目標は未だ定まっていない。さらに、森林の管理実務とマリモの保護管理は、そもそも目的が違う。管理目標も手段も違って然るべきなのに、なぜリンクさせなければならないのか、その理由は説明されていない。

 

 エゾシカへの給餌を行うことがマリモの保全対策として、そして自然学習として果たして適切なのか、順応的管理と環境教育の原則に立ち返って考え直すべきではあるまいか。

 

 

繁茂した水草に囲まれて泥を被ったマリモ.1980年代から始まった湖水浄化対策が奏功して透明度が上昇した結果,マリモ生育地で水草が増え,様々な影響を及ぼしている.自然環境に人為が加わるとドミノ倒しのように影響が周辺の生物や環境に波及する典型である.