マリモとロボット |   マリモ博士の研究日記

  マリモ博士の研究日記

      - Research Notes of Dr. MARIMO -
  釧路国際ウェットランドセンターを拠点に、特別天然記念物「阿寒湖のマリモ」と周辺湖沼の調査研究に取り組んでいます

<Gakutensoku, the first robot in the East>

【北海道新聞・朝の食卓,2019年5月22日】

 

 1928年(昭和3年)、京都で開かれた博覧会で「学天則(がくてんそく)」という東洋初のロボットが公開された。チェコの作家、カレル・チャペックの戯曲「R・U・R」にロボットという言葉が初めて登場してから8年後のことだ。製作者は西村真琴。生粋の生物学者で、マリモ研究の父とよばれている。


 西村は、21年(大正10年)に北海道帝国大学に教授として赴き、マリモの球化現象や繁殖機構に関する研究論文を発表したものの、27年(昭和2年)に大学を辞し、大阪毎日新聞の顧問となった。そして翌年、学天則を世に出した。どんな経緯で研究テーマがマリモからロボットになったのか、かねがね疑問に思っていたところ、この春、大阪市立科学館で復元・展示されている学天則を実見できた。


 全体は上半身と机からなっており、高さ3・2㍍。金に彩色された頭と腕に空気を送り、ゴムを膨らませて動かす。いいアイデアがひらめくと左手の「霊感灯」が光を発して、ほほ笑みながらメモを取る。なるほど造形のあちこちに生態系や生物多様性を象徴する太陽や動植物などが配されており、マリモこそなかったが、生き物の世界を表す曼荼羅(まんだら)といってよい。


 西村は、学天則を「表情人造人間」とよんで、人間の労働を代替するロボットと区別していた。AI(人工知能)が身の回りにあふれ、いろいろなロボットが珍しくなくなったいま、新鮮な感動を覚えた。

 

 

東洋初のロボット・学天則.2008年に復元・公開された.

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大阪市立科学館のエントランス.

 

学天則の頭の内部構造(科学知識1931年6月号の記事).

 

学天則の顔の筋を製作している様子.左が西村真琴(科学知識1931年6月号の記事).

 

 

 

《後記》

西村真琴博士の学天則が復元されたと知ったのは10年ほど前。ようやく念願がかないました。マリモ研究においてもそうであったように、西村は比類なき奇才であったと思います。復元を担当された長谷川能三 学芸員のお話しでは、「解説時に『水戸黄門を演じた西村晃のお父さん』と紹介しても、最近では知らない人が増えてきました」とのこと。取材にご協力頂いた長谷川学芸員にお礼申し上げます。