Highly Sensitive Person略してHSP
言葉は知っていたけれど 自分も部分的には大いに当てはまる兆候があるなあと
今朝は眼からウロコだった。
アメリカの40代の
わたしにとってはとっても好感度が高いアメリカ人のカウンセラーが運営するYOUTUBEで
いくつかの話を聞いた。
その中で心にきた言葉。
「自分の感じること
特に傷つくような内容
嫌なこと
不快なこと
悲しいこと
ざわざわすること
それは大事なことだとあなたは認識しないといけない」
ということ。
もし相手がいて、
その人と共有している時間内で
嫌だと思うことがあり、
それがとても自分にとって重要なら(相手にとってではなく、自分にとって)
余分な言葉は一切なしに
「私は、幼い頃からずっと、
こういう態度(言葉、考え方)には心がついていけないので、とても今、不快に思っています。
ですので、やめてもらえたら嬉しいです」
と、伝えましょうとAdamさんは勧める。
その通りだなと思った。
そして彼は
「あなたは自分を過小評価してきた。
自分は小さくなっていたらちょうどいい。
他者が時に横暴にふるまうことや
他者があなたに失礼なことをするとき
あなたはNOと言ってよい。
言わなければ、平和な人生にはならない」
と言った。
当たり前のことだけれど
これ、できないことがめちゃくちゃ多かったなあこれまで・・・と感じた。
そしてこの数週間に
数回あった出来事を思い出した。
私は目の前で自分を不当に批判されていたのに
批判されているとなぜか感じずに(ぼーっと、なぜか魂が覆われているようなかんじ)いた。
そこには
私と その批判している女性と、もう一人別の女性もいた。
もう一人の、その別の女性は日頃から思慮深い人。
彼女が
私の方をそうっと目の隅で見ているのにふと気がつき
話の内容を考えてみたら
「あ・・これは、批判されているんだ私・・」
と気づいた。
喧嘩するつもりもなにもないので
誤解だけ解きたいなあと思い
「そのようなことがあった理由は・・老親が車で遠い病院に通院する際、私が運転して行っているのですね。
その日程は医者が決めるので、なかなか変更してほしいとは口にできなかったのです。
でも、内科以外にも通院があり、これでは他の活動に支障がですぎるなあと思って、先月からは私のスケジュールに
通院日を合わせてもらうようドクターにお願いしました。」
と、やんわり事実のみ述べた。
「あ・・そうなんですか・・・」
と相手は、通院介助のことは全く知らなかった・・というふうな反応をしたものの
結果的には
だからといって批判内容は何ら変わらないと
たぶん、思ったのだろうと思う。
話は自然と別の方へ流れていき、私たちが別れる時間になった。
この批判した女性を
最寄り駅まで車で送ってあげた。
もちろん好意で、約束通りに。
別に彼女が批判した内容については
彼女の、なぜかたまに混乱してしまうところがあるのも知らないわけではなかったので、
その日は正直に言って、全く気にならなかった。
しかし
翌日だ。
なにか心が重く、「つらい」という表現がピッタリの気分に襲われ自分であれ?と思った。
じっと考えてみると、前日の会話が尾を引いているのに気づき、はっとした。
その女性とこれからは適切な距離をとらなければいけないのだなあ・・・と寂しくもそう感じた。
それまではちょっと年上で尊敬もしていたので、いろんなプライベートなお話も私らしく飾らずにしていたから。
そして今日たまたまADAMさんのYOUTUBEと出会い
あら、これ私?と思って驚いた。
HSPの要素あるある・・・!
そうだな。
自分をもっと大事にしていい。
もっと
自分は、「傷つけてはいけない存在ですよ」 と
ちゃんと言葉にし
態度にしていかないとですね。
あまりにもこれまで慣れっこになってしまっていたので、
けっこう大変だけれど笑
もっと認識していこう、もういい年齢なのだから
人生大事に生きなければ、と思った。