昨年11月以来、noteに書くようになり

こちらにはぷつんとなっていました。

 

私は元気です(^^)

 

11月(前回)の記事を読んでみると、

ああ、この時すごい落ち込んでいたなあと

思い出しました。でももう大丈夫です。

 

 

私は平和をこよなく愛するので(笑)、

その後もその人とピースフルに付き合っているうちに、

ひょんなことで、その人の幼い頃からの習性に気づき同情し、

11月の件もしだいに気にならなくなったのです照れ

 

 

ただ、無防備すぎると思わぬことがあるなあと、いい勉強になったので、無防備にするのは家族の前だけにしますお願い飛び出すハート(笑)

 

 

 

 

もうすぐ桜も咲きますね〜

 

能登地震の被災者のみなさん、海外の戦地のみなさんが

日常をはやく取り戻せるように祈っています。

 

 

日常というもの

ふつうに暮らせることって

実はとってもとっても幸せなことなんですよね・・・

 

日々の恵みに、感謝します。

 

チョキ

noteは、『yuigon日記』という題名で

子供たちに残すことを念頭にいろいろ書いていますウインク

たぶん題名で探せると思うので、よかったら探してみてくださいね。

 

 

こちらにも

こんなふうにちょこちょこ

たまに書かせていただきますね照れラブラブラブラブラブラブラブラブパー

 

 

 

 

 

Highly Sensitive Person略してHSP

 

言葉は知っていたけれど 自分も部分的には大いに当てはまる兆候があるなあと

今朝は眼からウロコだった。

 

 

 

アメリカの40代の

わたしにとってはとっても好感度が高いアメリカ人のカウンセラーが運営するYOUTUBEで

いくつかの話を聞いた。

 

 

 

その中で心にきた言葉。

 

「自分の感じること

 特に傷つくような内容

 

 嫌なこと

 不快なこと

 悲しいこと

 ざわざわすること

 

それは大事なことだとあなたは認識しないといけない」

 

ということ。

 

 

 

もし相手がいて、

その人と共有している時間内で

嫌だと思うことがあり、

それがとても自分にとって重要なら(相手にとってではなく、自分にとって)

余分な言葉は一切なしに

 

「私は、幼い頃からずっと、

こういう態度(言葉、考え方)には心がついていけないので、とても今、不快に思っています。

ですので、やめてもらえたら嬉しいです」

 

と、伝えましょうとAdamさんは勧める。

 

 

 

その通りだなと思った。

 

 

 

そして彼は

「あなたは自分を過小評価してきた。

 自分は小さくなっていたらちょうどいい。

 他者が時に横暴にふるまうことや

 他者があなたに失礼なことをするとき

 あなたはNOと言ってよい。

 言わなければ、平和な人生にはならない」

 

と言った。

 

 

 

当たり前のことだけれど

これ、できないことがめちゃくちゃ多かったなあこれまで・・・と感じた。

 

そしてこの数週間に

数回あった出来事を思い出した。

 

 

私は目の前で自分を不当に批判されていたのに

批判されているとなぜか感じずに(ぼーっと、なぜか魂が覆われているようなかんじ)いた。

そこには

私と その批判している女性と、もう一人別の女性もいた。

もう一人の、その別の女性は日頃から思慮深い人。

彼女が

私の方をそうっと目の隅で見ているのにふと気がつき

話の内容を考えてみたら

「あ・・これは、批判されているんだ私・・」

と気づいた。

 

喧嘩するつもりもなにもないので

誤解だけ解きたいなあと思い

「そのようなことがあった理由は・・老親が車で遠い病院に通院する際、私が運転して行っているのですね。

 その日程は医者が決めるので、なかなか変更してほしいとは口にできなかったのです。

 でも、内科以外にも通院があり、これでは他の活動に支障がですぎるなあと思って、先月からは私のスケジュールに

 通院日を合わせてもらうようドクターにお願いしました。」

と、やんわり事実のみ述べた。

 

「あ・・そうなんですか・・・」

と相手は、通院介助のことは全く知らなかった・・というふうな反応をしたものの

結果的には

だからといって批判内容は何ら変わらないと

たぶん、思ったのだろうと思う。

 

話は自然と別の方へ流れていき、私たちが別れる時間になった。

 

この批判した女性を

最寄り駅まで車で送ってあげた。

もちろん好意で、約束通りに。

別に彼女が批判した内容については

彼女の、なぜかたまに混乱してしまうところがあるのも知らないわけではなかったので、

その日は正直に言って、全く気にならなかった。

 

 

しかし

翌日だ。

なにか心が重く、「つらい」という表現がピッタリの気分に襲われ自分であれ?と思った。

じっと考えてみると、前日の会話が尾を引いているのに気づき、はっとした。

その女性とこれからは適切な距離をとらなければいけないのだなあ・・・と寂しくもそう感じた。

それまではちょっと年上で尊敬もしていたので、いろんなプライベートなお話も私らしく飾らずにしていたから。

 

 

 

そして今日たまたまADAMさんのYOUTUBEと出会い

あら、これ私?と思って驚いた。

HSPの要素あるある・・・!

 

 

 

そうだな。

自分をもっと大事にしていい。

もっと

自分は、「傷つけてはいけない存在ですよ」 と

ちゃんと言葉にし

態度にしていかないとですね。

あまりにもこれまで慣れっこになってしまっていたので、

けっこう大変だけれど笑

 

もっと認識していこう、もういい年齢なのだから

人生大事に生きなければ、と思った。

 

 

 

 

 

大好きな韓国に行きたいので

韓国旅行のYOUTUBEをたまに見る。

 

 

 

すると・・

皆さん、食べる食べる!

 

 

市場のチーズハッドグに砂糖を振りかけ

もちもち揚げドーナツにキンパ山盛り?

真っ赤な鍋にはトッポッキをどんどん放り込み

最後はポックンパとか呼ばれる焼き飯?

デザートは素敵なカフェに移動して甘いケーキと甘い飲み物・・?

 

 

動画に出演しているみなさん。

これで、もし太らないなら

その体質が羨まし過ぎです。

 

 

 

旅行大好きで

おしゃれも大好きな私。

サイズを気にせず好きな服を選び

海外旅行にもどんどん行きたい!

 

 

そのためには元気なのはもちろん、

体もスラリとなりたい・・・

 

 

 

というわけで

前日の最後の食事から

翌日一回目の食事まで

最低12時間

可能なら16時間は食間をあけるダイエットに

再度トライしています。

 

 

そして毎日のウォーキングには筋力増強運動をちょこっと足して・・!

 

 

それでですね〜

いまのところ

少しづつ

ジーンズが緩くなってきたような気がする・・・

 

ワンピースを着たかんじもなんとなく前とはちがう気?もする・・

 

 

 

今をときめく石黒ドクターの本を読んで

現在食べもので気をつけているのは

 

毎日摂取する

アボガドとキムチ

たくさんの野菜サラダ

朝晩のアップルサイダービネガー

オリーブオイル 

アマニ油。

 

おやつは

ナッツと果物のみ。

 

赤身の肉は食べない。

小麦のパンをやめて

低糖質パンを適量のみ食べる。

 

 

水は2リットル以上・・!!

 

 

たまにアイスクリームやおうどんなんかが爆発的に食べたくなるけど

がまんがまん(ーー)・・

 

8月が楽しみだ。

比較ほど

人を落ち込ませたり、焦らせるものはないと思う。

 

私はもはや自分を誰かと比べてどうのこうのはもうない、

と思い込んでいた。

 

しかし、デジタルデトックスを開始してみて感じたのは、

多少はあったのかな・・?と。

 

 

 

 

デジタルデトックス、

つまりインスタグラムなどを最小限しか見ないということをスタートして

二週間くらいが過ぎた。

 

デジタルならこのアメブロも?ということになるかもしれないが

私にとってはこれは紙面で日記を書くのとまったく変わらず

のどかである。

誰かが書いたものを読ませていただいても

そこには、楽しみしかない。

ひじょうに自由でのびやかで楽しい。

 

 

インスタグラムとはなんで息苦しいのだろう?

ことに若いアーティストの投稿は

彼らの数少ない自己宣伝手段でもあるので

次から次へとめまぐるしく

目も頭も心までくるくるする。

 

大人になった子供が音楽をやっているので

ついつい、

日課みたいに見ていたが

いやはや、ほんとうに疲れてしまった。

 

 

こう書きながらも、ふっと笑えてくる。

誰にも頼まれていないのになんで日課のように見ていたのか?

なんだかちょっと恥ずかしい気もする。

 

 

 

デジタルデトックスをすると、

自分はいったい何を考えているのか?

何を必要としているか?

何が必要でないか?がよくわかる。

 

おまけに最近、

毎日の15分から30分以内のウォーキングを開始したせいで

体も心もデトックス。

幸せホルモンと呼ばれるらしい脳内物質がよくめぐっている。

 

 

懐かしい旅先の写真や、

そこが紹介された記事を読んでいるときなど

ほんとうに幸せだ。

 

ひとり旅が大好きなわたし。

 

連れがいるのもまた楽しいが、

ひとりで見知らぬ町、見知らぬ国を歩くあの感覚・・

 

路地の肉屋にぶら下がっているピンク色のソーセージ

 

バゲットを抱えた女性の紺色のコートと白い息

 

まだ開いていない靴やのショーウインドーを覗くとガラスに映る通り向かいのチーズ屋さんの黄色

 

もう、ワクワクするではないか。

 

 

 

 

ホリデーブルーというが、若いと強く孤独を感じるのかもしれない。

私くらいになると、

ひとりのホリデーは宝物。

 

もちろんパートナーを失ったり

結婚したいのに、出会いがないまま、しないままで50歳、60歳になったり・・

そういう状況の違いはあるにせよ・・

 

ひとりで生きることを恥じる必要などどこにもないのである。

 

人間が100人いたら、100の人生がある。

世界観も、人生観も、なにもかも全然異なるではないか。

 

 

 

ホリデーブルーは、

もしも一時、

あるいは一時期のものなら、

時にはやり過ごす必要もあるだろう。

 

たとえば夫が亡くなって、

その悲しみを乗り越える時期は、

もう時間勝負で、

どうにも逃げられないだろう。

 

 

しかし時は過ぎゆくもの。

絶対的に過ぎていく。

するとその季節のブルーは、

絶対的に変化していく。

 

 

 

とにかく一人で生きること、

一人で行動することを愛し始めてみると

人生は俄然楽しくなる・・

と私は思う。

 

 

 

旅に出たいな。

遠い街を

歩いてみたい。

 

 

『毎日15分から30分、心拍数が上がるスピードで歩いてみてください。コレステロールも血圧も下がります。』と同じ町内会メンバーでもある私の主治医が言った。



さてそれから二週間、気持ちが定まらないままグダグダしていたら、少し気になることがドンドン気になり始め、寝つかれなくなる経験をした。昼間も、何をしてもそのことに囚われる。まさに字のごとくである。



あー、もういやだ。こんな日々を送っているのは時間の無駄。ただのネガティブな妄想に足を絡めとられてるみたいではないか!と奮起し、NIKEショップで私の足にピッタリで歩くのが楽しくなりそうな黒いスニーカーを買った。その日から、毎日歩き始めた。



変わる変わる、細胞が喜んで踊り出し、私の中にいた悪玉みたいなざわつくヤローたちが、いっせいに逃げていく感覚。足取りが軽くなり、地面が低反発マクラ状態。走れる。息があがればまた歩く。歩く、歩く、歩く。歩くってこんな楽しかったっけ? お腹、お尻、頬っぺたも変わってきた感じ。



いや、肉体よりも、いくら自分の意思を駆使しても追い払えなかった小蠅たちが去ることの快感を知った。




NIKEよ、ありがとう。

いやそれより先に、ご近所のS先生ありがとうございます。先生、そういえば、先生のその痩身に似合わなかった不思議不思議のぽっこりお腹、あの日白衣の下で、へこんでいましたね。感情を表に出さない訓練が、おそらく幼い頃から行き届いている先生。あなたにも、心が痛む日が、きっとあるんですよね。顔に出さない訓練が、ただ行き届いているだけで。ねえ、先生。



私より少しだけ年下のS先生が、緑道を一人、黙々と歩く後ろ姿が見える気がした。




この数週間、ちょっと厳しいスケジュールを組んでしまい

ひとりになってゆっくりしたいなというフェーズが来ているのがわかる。

 

年齢も体力も考えてスケジュールは組むべきである・・・

しかし、お客様とか

今でなければ行けない企画とか

色々と重なってしまった。

 

おまけにある場所で任されているダンスの振り付けまで・・・

う。。。人のお役に少しは立っているだろうけれど、私以外にそれをできる人がいるのではないだろうか?

などど考えて・・

 

うーーーん 自分は今疲れているなあ〜と今日は実感した!

 

 

 

今日は今から夕方まで一踏ん張り。

明日はお昼からはいろいろ。

でも午前中はまったりしよう・・・・

ひとりっきりで・・・・。

 

 

ひとり時間って大事ですね。

なくても平気、むしろ一人っきりは嫌!と言う人も二名ほど知っていますが

私には無理です!

 

 

ひとりっきりでぼけ〜っと

生産性のないことを誰にも咎められずにしたい。

 

 

 

そろそろ一人旅にでたいなあ、ほんの数日でも

 

 

 

【人生のチキンスープ-第四話】


    家族のS君とAちゃんが2月末に台湾に行った。旅先の写真は楽しいはずなのでストーリーを見せてもらったら、なんとSが台中の田舎の屋台や地元の食堂で仲間たちとパクパク食事をしていた。実に普通に、しかも美味しそうに。2017年くらいに家族で台北に行った時には、八角のにおいに気を失いかけ、心斎橋にあるような綺麗なレストランやカフェでのみ食事をしたのを思い出し、打って変わった彼の姿に思わず笑みが湧いてしまった。というのは、ある時期の思い出が走馬灯のように蘇ったからだ。
   
    2000年初頭、色んな意味で恵まれていた時期があり、夏休みにはハワイの知人宅のコテッジにひと月住まわせてもらったりしていた。Sの妹のAといえば、ハワイ島の獣道に敷き詰められた馬のウンコをモノともせず、腰まで伸ばした長い髪をなびかせてロコキッズと駆け回り、ロコしか行かぬジャングルの滝から泥が浮く谷に飛び込んでコロコロ笑っている。かたやSは、馬糞を踏んだ足のままみんなが飛び込む谷水に浸かるのをどうしたものかとためらっていた。そこは図らずも私に似ていて気の毒だと苦笑したものだ。

 そんなSではあったが、その数年後のある夏、南紀白浜の海水浴場に家族で行った時のこと。砂浜が近い気楽なホテルには食堂がなく、私たち四人は小腹を満たすために小さな海辺の町をぶらぶら歩いた。不意に、昭和初期の映画のセットかと思うような、引き扉もガタピシ音を立てるラーメン屋に入ってしまった。入った、というよりも、文字通り不思議な気配に吸い込まれるように入ってしまったわけだ。誰もいない。店内には古びたカウンター、その上に埃を被った瓶のバヤリースオレンジ。さーっと薄暗い店内を見回すと、壁には大昔に若い客が書き残し押しピンで留めて帰った黄ばんだ紙が張り巡らされていた。”ありがとうおばちゃん!” “美味しかった!おばちゃんまたくるでー!” “最高のラーメン屋や!また合宿できます!”
   ボーっと家族で店内に立ちつくし、いざ出ようかと思った瞬間だ。『いらっしゃい、さあさあカウンターに座ってください。ほこりはすぐ拭きますからね!さあさあ』精一杯の明るさをふりしぼったしわがれ声が聞こえ、真っ暗な厨房の奥から老女が突如現れた。森の魔法使い?いやそんなはずは…『どうしよ?他のお店に行こうか?』と小さな声で隣のSの耳もとで尋ねた。潔癖症なSがとてもこのお店で食事ができるとは思えなかったし、その厨房が長い間使われていないのは明らかだったからだった。しかし『いや、ここがいい!ここでラーメン食べる!』と、やけにキッパリとしたSの声を聞き、私は一瞬だけあたふたし、しかし次の瞬間、いやもうそうなのだ!このおばあちゃんのラーメンを今宵はいざ食べるのだ!と決意し、ホワホワしたままのAちゃんや夫とガタガタと椅子を引きニコニコとカウンターに座った。メニューは? ラーメン一択だよ、当たり前。『じゃ、ラーメン四つください』と夫が言った。『はいはい、ちょっとだけ待っていてくださいよ、今からすぐに麺屋さんに出前してもらいますからね』おばあさんはジーコジーコと黒電話のダイヤルを回し、『あ、今からね、10玉、すぐに持ってきてください。お客さんだから急いでね』10分ほど経っただろうか? 麺屋から麺が10玉届き、おばあさんは人を煮るような大きな鉄鍋にグラグラと湯を沸かし、四玉の麺を茹でた。それから20年は寝かしていたのではないかと目をむく、油にまみれた鍋の中の真っ黒な油ぎったスープを火にかけ、おもむろにどこかからともなくキャベツともやしを出してきたかと思うと、チョキンチョキンとハサミでスープの中へと切り落とし始めた。チラとSの横顔を盗み見ると、【これは当然の調理過程であり何の問題もない】という毅然とした表情でおばあさんの手捌きを見つめていた。この世界の誰にもこの事態に疑いを抱かせない!と決意した少年の横顔で。
 やがて、数年ぶりに出番を迎えたかのようなラーメン鉢に真っ黒なスープが湯気をたてて注がれ、さっき届いたばかりの中華麺が、ポンっと慣れた手つきで落とされた。そこにスープで煮たハサミ切りキャベツにもやし。チャーシューなどない!それでいいのだ。はらぺこの我々はいただきますー!っと、一斉に割り箸を割り麺をすすった。『美味い!』希望に溢れる大きな声でSが言った。おばあちゃんが笑っている。真っ黒なスープはおばあちゃんの自慢でだからここに集っていた若者たちは壁に愛を残していったんだね。Aちゃん美味しい?パパが尋ねると、うんと頷き、幼いAはフウフウと麺をすすった。完食した後、お勘定になった。おそらく2800円かそれくらいだったかと記憶する。美味しかった、ご馳走様でした!と挨拶して店を出る時、ああどうか残り六玉がなんとか今夜売れますようにと心で願い、夜の海の匂いをかいだ。
 店を出て数歩いくと、前を歩いていたSが振り返り、『美味しかったね?』と私の目をまっすぐに見た。『うん。美味しかったね!』私は答えた。




 Instagramはやめると言いながら

まだやめきれていないのです。

エッセイを書いていたのですが、新たにまた書かずにはいられなかったのでした。


 エッセイをどの媒体で続けようかと、今ぼんやり考え始めています。




 実際に交流という交流はしたことがないある若者がいるのですが、

実際に伝えることはできないけれど、

もしゆっくり平和に話すチャンスが奇跡のように訪れたら、、、

伝えたいことがあります。





 人の気持ちになってみようね。

他者の大切なものを、ものであれ、仲間であれ、知らぬに、黙って奪ってはいけないんだよ。

 そんなふうに他者を、簡単に扱ってはいけないんだよ。だってあなたも、そんなことされたらきっととても悲しいよね。そうじゃないかな。私はそう感じるよ。




 その子はそういうことを、もしかしたら親や養育者から教われなかったのかもしれません。

 幼少期からいじめられたり仲間外れを受けていたゆえに、大人になっても無意識と故意とがごちゃ混ぜになって、似たようなことを他者にしてしまうのかもしれません。


 人に害をもたらすかどうかの境目には、節度を持てるか否かの問題があります。

 節度は、長い年月で身につけること。しかし、もし養育者から学べなかったなら、今からでも、深い気づきがあれば、体得できると私は思うのです。






 もう、ただ祈るしかなくてずいぶん祈りました。

その子が自分が何をしているかに、自ら、気づけますようにと。

 自分の深い傷が今暴れているのかもしれないと気づけますように。そして癒しを受け取れますように。


 祈りは時空を超えると信じます。


 どうか、癒しを受け取れますように、、、








久々にblogに帰ってきて、

ほっとする自分を発見しました。





実は義弟がアメリカから帰国し多忙ななか

息抜きに見ていた

Instagramが面白くなり目がハート

子供たちがミュージシャンであるのも手伝い

彼らのライブ等の投稿を見たり

ミュージシャンの友人と私が仲良くなったりもし



飛び出すハートニコニコ楽しいなあ、、と

Instagramの世界を楽しんでいました。



しかし、だんだん、、、

そう、なんというのか

そんな自分に

疲れてきたのです笑不安



毎日変わるストーリー

そのスピーディーさに

ああ真顔わたし無理かなあ笑

と感じ始めた矢先

ハッと気づいたことがありました。




子供のインスタ見るのは

やめたほうがいいな、、、ってニコニコ



彼らにやめて!と言われたわけじゃないし

SNS内容共有に何も問題がないご家族も

もちろんおられると思うので

これはあくまでも、あくまでも私個人の気持ちであり

私の人生のお話しです。看板持ち





インスタで東京にいる子供の日常を見て

『あーこんな一日だったのかあ』とか

『こんな場所に行ったんだねぇ』とか



でも、、、

ん?

これ、彼らは

母親の私に見せるために

投稿してるのじゃないよね?

周囲の仲間や応援してくださる方々に向けての

発信。



ああ、見るのやめよう。

彼らが大人として生きている世界。

健全な境界線を侵害したくないな。



まあ、そんな風に、

わたし的に感じはじめたのです。




自分は、

いわゆる毒親ではないと、それは自信をもっていえる。

しかし、”ちょっと心配しぃ(関西弁)”?

と尋ねられたら

それはそうかもなあ、、悲しい


それで今まで、よいことあったかな?


ワタシ変わらないとな。

マジで、遠くから見守るだけでいい。

困った時にあったかくサポートしてあげたら、

それがベストだから。



そんな風に、、

先週は

しみじみ、、

しみじみ、、

考えました。






で、ブログの良さも再認識愛飛び出すハート!!

マイペースで書けて、

読んでくださる方のペースで

読んでもらって。

そこには、マイペースな交流も生まれる、、、ニコニコ

いいな、ブログ!爆笑



まあ、長くなりましたが

書くことで、自分の頭の中を整理し

時には書くことで癒されるワタシです。


なので

今後とも

あらためて

宜しくお願いしますニコニコラブラブラブラブラブラブ






追伸

Instagramにも、書いているシリーズ的な文章があるから、それだけは続けようかな😅