乳がんはもう治ったと思っていました。

ステージ1
リンパ節転移無し
乳房全摘術
術後療法実施(抗がん剤、ハーセプチン )
それ以降は経過観察で血液検査と触診のみ

先生は「あなたは完治の群に入っていると思う」と言い、「それでしたら仕事を頑張ります」と言ったのが今年2019年3月11日の診察でした。


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レントゲンにはたくさんの不気味な影が。

いつもの大学病院、最速の予約は、その日から2週間後の4月1日でした。

まじかー、先過ぎるなー。

と思う気持ちと

本当の死刑宣告まで時間の猶予がある。

と思う気持ち、両方入り混じった今までに味わったことのない複雑な感情に溺れていました。



主人には話をしました。

何となく呑気に聞いていたので、徐々に私も呑気が移って、気持ちが冷静になってきた。

というか、今でも主人と話すと呑気になれて、少し落ち着くのだけど。




これまでも乳がんの方のブログを沢山読んできました。

末期と言われて治療をしながら元気に過ごしている方もいらっしゃいます。

しかし、そんな治療の末に
「ごあいさつ」などから始まる無念のご報告があることも少なくありません。


私はちょっと前まで「完治」と思っていたので、ブログから少し距離が開いていた。

でもその健康診断から帰ってから、転移した方のブログを読み漁った。

この方は転移発覚後、何年生きたのか。

この方はどんな治療をして、副作用はどれくらい辛いのか。

この方は家族にどう伝えたのか。



でも殆どの方は、遠隔転移後に奇跡を起こして完治には至っていない。

やっぱり私は死ぬんだ。

子どもたちの成長が見られない。

主人との老後の旅行は不可能。

そして、死ぬまで副作用のため不調な体調で生きていく。


どれだけ探しても
良い結果は全く見当たらず、

「長期的な目標ではなく、その日その時を大切に」

とか

「この薬ができるだけ長く効くことを祈る」

みたいな。


結局最後には、やはり死んでしまう。



もう、どう精神を保っていたのか記憶にないけれど、だいぶ落ち込んでいたと思う。


いや落ち込んだなんて言葉では足りない。

絶望、失望、無力、悲愴、失意

まだまだ足りない。



そんな私も、今まで通りに日常は進んでいく。

たまたま教室の発表会が終わった後でレッスンは長い春休みに入ったところでした。

なので、日常の私の役割は母親業と主婦業のみ。

教室の仕事としては、新年度のクラス割りや時間割編成の作業があった。

これが精神的に大変だった。

だって、もし転移だったら治療をすることになる。
前回の抗がん剤では投与後1週間は使い物にならない私になってしまう。

そんな私が先生としてまともに生徒にレッスンできるのか?
体験レッスンも決まっていたし、新年度から入会が決まっていた子も何人もいた。
出張でレッスンに行っている施設もある。

先の見えない未来に当てずっぽで年度末の業務をしていた。


それから自分の勉強の始末。
私は音楽系の資格免許を取るために学校へ毎週通い、一年に一度挑戦できる試験を夏に控えていた。
今年残りの実技試験を受験して、東京行きの試験に決着をつけるつもりでいたのに。

抗がん剤なんてしたら試験どころではない。

どうしよう。


まだまだ問題はあった。

この4月から小学校のPTAの役員を引き受けていた。
まさかこんなことになるなんて思いもよらないし。
もう既に引き継ぎ、顔合わせなど済んでいる。
菓子折りと一緒に偉い方々からご挨拶も頂いている。

今更断るなんてできるの?
断ることになったら病気のこと伝えないと。
そしたら学区の人たちに私の病気のこと知れ渡る。

これは避けたいなぁ。


学校の仕事といえば、
小学校PTAコーラス部の指導の仕事もある。


なんだか今考えても、頭がパンクしてしまうほどの問題山積みガーン

家庭では何とか毎日を同じように過ごすこと、そして仕事のことを必死で考えることで平静を保っていたと思う。