#映画は字幕派or吹替派 | maro007♪ blog

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映画は字幕派or吹替派

 

 


 



この映画を観る前から

もともと

勝つ自信もないのに戦争を始めたのは日本側の

内閣総理大臣に就任した陸軍大臣の東条英機


ようやく日本公開を実現してくれたビターズエンドに感謝!

個人的には興味深い話で観ごたえがあったが

興味の薄い人には難解な映画としか思えないかもしれない


戦争を終わらせるにはどうすればいい?


「自分が原爆を開発しなくても、いずれナチスが開発するはずで

それだったら、先に自分たちが開発した方がいい」という考え方からは

科学技術と戦争との切っても切れない関係性について考えさせられた


生きてるアインシュタインとは言葉にできない魅力があるものだ

感動して涙が出そうだった
それから音楽が壮大で、終始心臓が高鳴る
ただ、それを望んでいたわけでもないが

アメリカの原爆への姿勢の変化や

自省的な態度がみれたとは思わない

あくまで原爆は正しいというアメリカのプライドがチラ見えする

後半の凋落も、原爆への罪悪感からというよりも

世の中の無情さによるもので

そこは意外に感じる人もいるかもしれない


時折の、ものすごい音圧で腹まで響く爆裂音と

映画が始まってから休むことなく続く

低音の響きが身体にまとわりつく不快感を感じながら

誠実につくられた映画だと思いながらも

やっぱり大量殺戮兵器のやるせなさについて考えてしまった


原爆を開発したことによる

オッペンハイマーの苦悩と葛藤が描かれることになり

広島への原爆投下後のオッペンハイマーの演説で

歓喜に沸く聴衆が

原爆の閃光で焼けただれ、苦悶し

嘆き悲しんでいるように見える描写からは

核の恐怖を描こうという意欲を感じ取ることができる


オッペンハイマーの罪悪感や悔恨の念が

「広島」や「長崎」に向けられたものではなく

「人類を滅亡させ得る兵器を開発してしまった」という思いに

由来しているという描き方には、どうしても

釈然としないものを感じてしまうのである


人類が手にしてしまったこの力をどうしていけばよいのか

今も重い問いが残されていることがこの映画で改めて明らかになり

それを観た者達に投げかけられた思いだ

決して

原爆をつくり落とした自国を弁護するような映画ではなかったことは

指摘しておきたい

また、アメリカ国民にとってJFKというのは特別な存在なのだな

ということに気付かされ、とても興味深かった


その歴史を、あるいは特性の事実を
直接映画という装置を使って
叩きつけてくるような感覚があった

観終わった今も
まだ揺さぶられている




 

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