姜尚中の政治学
先日、爆笑問題といろいろな分野の大学の先生が対談する番組で、テレビでもおなじみの政治学者、姜尚中氏が秋葉原の事件について面白いお話をしていました。
その中で印象に残っている事を思い出してみたいと思います。
以下茶色が姜尚中氏のお話の抜粋です(思い出したところだけ‥)
政治は、国家のためにあるだけでは意味がない。私たちの家族、身近な人間関係にこそ関わりの深いものでなければ意味がない。
秋葉原通り魔犯は、人と関わりたいという強い思いを持ちながら、コミュニケーションをとることができなかった。
そのうちに、自分のことを、道端に転がるちっぽけな石のように思うようになった。人と関わりたいのに関われない。思い返して考えてみれば、環境が違えば、彼と同じような悩みを持ち、同じような状況になった人も少なくないのではないか。
実際、多くの人は近くにいる友達や家族という『ざる』という名の救いに、上手く、すくい上げてもらっている。
ラッキーな人たちは、その『ざる』にすくい上げられて、普通の生活を送り、そのうちに自信を持ち、幸せな人生を歩めるようになるかもしれない。
しかし本来なら、(政治が人のためにあるのなら)政治がすくい上げられなくてはおかしいのだ。
政治学が私たちの生活、人生に密着したものなのだったら、彼を救うという方法で、犯罪は防げたかもしれない。
秋葉原の通り魔がしたことは許されることではない。
けれども、みんなその根本にある問題を考えようとはしない。
「死にたいのだったら、ひとりで死ねばよい」
その社会的風潮には問題はないのか?
日本人は、すべて自分の責任やる。という責任感を小さい時から植えつけられているように思います。一方、人に対しては、容赦しない厳しいところがあるような気がします。
「みんな自分で解決するのだから、お前も自分でやれ」
この対談は非常に考えさせられる内容でした。
人間は使い捨てのおもちゃじゃない‥お互いに育てあったり、支えあったりするものなのだろうと思います。少なくとも、社会が支えてあげることはできたのかもしれません。
支えがなくなり、人とつながっている感覚さえなくなれば、人間は脆くも壊れてしまうほど、繊細な生き物なのかもしれません。
崖っぷちまで追い込まれた人間の悲痛な叫びを聞かずに
「自分で何とかしろ」
と見放すのではなく、すくい上げる社会であってほしいと思います。
その中で印象に残っている事を思い出してみたいと思います。
以下茶色が姜尚中氏のお話の抜粋です(思い出したところだけ‥)
政治は、国家のためにあるだけでは意味がない。私たちの家族、身近な人間関係にこそ関わりの深いものでなければ意味がない。
秋葉原通り魔犯は、人と関わりたいという強い思いを持ちながら、コミュニケーションをとることができなかった。
そのうちに、自分のことを、道端に転がるちっぽけな石のように思うようになった。人と関わりたいのに関われない。思い返して考えてみれば、環境が違えば、彼と同じような悩みを持ち、同じような状況になった人も少なくないのではないか。
実際、多くの人は近くにいる友達や家族という『ざる』という名の救いに、上手く、すくい上げてもらっている。
ラッキーな人たちは、その『ざる』にすくい上げられて、普通の生活を送り、そのうちに自信を持ち、幸せな人生を歩めるようになるかもしれない。
しかし本来なら、(政治が人のためにあるのなら)政治がすくい上げられなくてはおかしいのだ。
政治学が私たちの生活、人生に密着したものなのだったら、彼を救うという方法で、犯罪は防げたかもしれない。
秋葉原の通り魔がしたことは許されることではない。
けれども、みんなその根本にある問題を考えようとはしない。
「死にたいのだったら、ひとりで死ねばよい」
その社会的風潮には問題はないのか?
日本人は、すべて自分の責任やる。という責任感を小さい時から植えつけられているように思います。一方、人に対しては、容赦しない厳しいところがあるような気がします。
「みんな自分で解決するのだから、お前も自分でやれ」
この対談は非常に考えさせられる内容でした。
人間は使い捨てのおもちゃじゃない‥お互いに育てあったり、支えあったりするものなのだろうと思います。少なくとも、社会が支えてあげることはできたのかもしれません。
支えがなくなり、人とつながっている感覚さえなくなれば、人間は脆くも壊れてしまうほど、繊細な生き物なのかもしれません。
崖っぷちまで追い込まれた人間の悲痛な叫びを聞かずに
「自分で何とかしろ」
と見放すのではなく、すくい上げる社会であってほしいと思います。