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この高さまで津波が到達した

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音楽室


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床に散らばる教科書


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足下には砂浜と割れたガラス。


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1階のおどりば

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独りで廊下を歩いているときに、ある部屋の奥に階段があるのに気づいた。
誰かに誘われるように入ると、三階の屋上へと繋がる階段があった。
 階段には砂が被さっていて、足跡が残っていた。
この学校の児童の80人が屋上に避難して助かっているが、直ぐにこの階段だとわかった。


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扉から差し込む光が意味深く感じた。


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三階の屋上からみた景色。すぐそこに海岸がある。
子供達は足下に迫る波を、どんな心境でみていたのだろうか。
想像するだけで苦しくなる。

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教室から見えるスクラップした車。


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図書室


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高く盛り上がった体育館の床。
こんな光景は、まず見ることはない。

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 他にも被災した小学校を見学したが、このままいけば廃校になるそうだ。

 校舎も都内の学校とは比にならないほどオシャレなつくりで、自分に子供がいたら、こういう学校に通わせたいと思う程だった。
 3階の屋上から見える海は、平然と静かだった。
 
 人だけがいない。








本日、宮城県の亘理町と山元町を訪れ、2カ所の避難所で腰痛回復セミナーを実施してきた。

 地元で教頭先生をされている佐藤氏(左)と、絆プロジェクトの菅井氏(右)のご尽力のお陰で、今回の講演が成立した。被害が大きかった地域は立ち入り禁止になっていたが、お二人に同伴して頂いたので、詳しい説明を聞きながら時間をかけて見てまわることができた。

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 菅井氏も宮城県出身の方だが、被災地に対する彼の想いと行動力は半端ではない。
全財産をはたいて、炊き出しの食材調達などに費やされたそうだ。
 毎週千葉から宮城まで車で駆けつけているそうだが、睡眠時間は2時間程度で、日によっては立ち上がれなくなってしまうそうだ。
 当初はご家族からの反発もあったそうだが、現地に奥様を連れてきてからは、全てを投げ出して支援活動を続けていることに対して、理解を得られたという。
 あれだけ広域にわたって甚大な被害がでたら、こういう捨て身の人たちが居なければ、支援活動が維持できるはずがない。


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山元町は福島第一原発から50キロしか離れておらず、まだ手つかずの土地が多い。自衛隊が棒で遺体の側索にあたっている。

 ニュースでは陸前高田のように、被害の大きさが分かりやすい土地ばかりがクローズアップされているが、実際には、津波が数十キロに渡って押し寄せ、テレビでは取り上げられていない土地でも、甚大な被害を受けているにも関わらず、状況が多くの人に伝わっていないのは残念なこと。今後重点的に取り上げてほしいと思う。

 映像では点でしか知らなかったが、その場に立って現実を面で捉えると、復興できるか全く予測できない状況にあることが分かる。
 佐藤氏は何度も何度も、「元の状態を知らないから分からないでしょうけど、ここに街があったんですよ。数キロ先にある海なんて見えなかったです。この更地に本当に街があったんですよ。」と口にした。
 彼の教え子や同僚も沢山亡くなられたそうだが、そんな話を顔色を変えずに淡々とされている様子は、戦争で友人や家族を失った人に似ていた。
 
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×印は、車中から遺体が発見された事を意味している。

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震災前のさかもと駅の様子

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震災後のさかもと駅


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階段が捻れていて、歩くとミシミシと全体が揺れる。


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歩道橋の廊下に残されたポスター。ここだけ時が止まっている。

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この駅の両側には、普通に街があったそうだが今は跡形もない。



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恐らく、この駅には二度と電車はやってこないと佐藤氏は言う。


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ヤフーでも取り上げられて広く知られた、山元町の自動車教習所。
 この建物でも犠牲者がでた。また、送迎バスで避難している中、津波にのみ込まれてしまった若者が多くいたそうだ。へしゃげた教習車。
1階のトイレがそのままカタチを残していた。

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入り口には献花とお供え物があった。
2階の天井まで津波が押し寄せた。


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手前にあるシートは、シュミレーション用の座席だろう。
津波の高さが2階の天井に達した跡を見ると、絶対に生き残るのは不可能だったのがわかる。


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「おいしい苺は吉田から」
こういうメッセージを見ると、グッと胸が締め付けられる。
この工場に、どれくらいの人が働いたのだろう。

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辺り一面、家の土台だけが残されている。

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隙っ歯のように決壊した一部の堤防が残されていた

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リボンのようにグニャグニャになったガードレールを沢山あった。
鉄骨をくしゃくしゃにする津波の力は計り知れない。

 菅井氏から「まず今回は被災地を見て下さい。それからです全ては。見てもらわないと始まらないです。」と何度も言われていたが、その意味がよく分かった。

 現場に行くと「頑張って復興してください」なんて軽々しく言えなくなる。
もう、何から手をつければ良いのか見当がつかない程、何も無くなってしまっているのだ。

 「一度も被災地に見ないで、東京近郊で「がんばれ東北!」と歌っているミュージシャンがいるが、そんなスタンスで盛り上がられたって嬉しくない。影響量がある人たちには、とにかく被災地を見てもらいたい。」と仰っていた。

 自分のPR活動に利用する芸能人もいるが、それなら売名行為と避難されても、最後の最後までPRし続けてほしいとも言っていた。
 報道陣を沢山従え、1度だけ来て食料を配ってもという話だろう。

 「とにかく、今の政治家は自分の事しか考えていない人が多い。永田町のいざこざが地方の行政にまで影響している。今ひつようなのは、とにかく強いリーダーです。」と菅井氏。

 時々、心が折れそうになる時もあるらしいが、「あの時、もっとやっておけば良かったと、後悔したくないんです。」という言葉が印象的だった。

 一日中、アテンドして頂いた佐藤氏と菅井氏には、この場をかりて御礼を申し上げたい。









 本格的に原稿を書き始めた。

 モニターの文字を読んでも内容が頭に入ってこないので、必ず出力したものを校正するようにしている。
 修正した原稿を書見台に載せて入力し、再び出力して再び校正して再入力。

 出力した原稿を読んでみると誤字脱字だけでなく、脈略のない文章を繋ぎ合わせたり、不要な文章を削除したり、また数行の文を数ページ離れたところに移植しなければいけないケースも多々ある。

 まるでパズルの1ピースを、試行錯誤しながらはめ込んでいる時のようで、結構時間を取られる。

 先へ先へと書き進めたいのだが、前が疎かだと後が続かなくなるので、時間は掛かっても足下を固めながら進めていくしかない。

 新書は基本192ページで構成されているのだが、自分の場合は2回構成を行うので、1冊につき約600枚の紙を使うことになる。
 さらに編集者と校閲さんが校正した原稿も出力することになるので、合計800枚以上は紙を消費することになる。
 現在3冊の新書を抱えているので、2400枚以上の紙を消費することになる。
インクと紙の無駄遣いも甚だしく、罪悪感が芽生えてくる。

 早く書き上げて自由の身になりたいと頑張ってはいるが、なにぶん仕事が終わった22時くらいから書き始めるので、なかなか先に進まなくて焦っている。

 こりゃ、ポリープできるな。

 執筆しながら心掛けていることがある。
それは徹底的に自己抑制すること。
なんでも抑制が効いてシンプルなものがいい。人や物も同じ。

 我欲を消すと相手によく伝わる。

 インテリでもないのにインテリのフリをして、普段使わない言葉を使ってみたり、僅かな知識をひけらかしたりすると、読者に一発でしらけられてしまう。

 もう一つ、できるだけ削ぎ落とす事。
ギリギリまで削ぎ落とすことが大切。

 自己顕示欲も合わせて、余計な脂肪を削ぎ落とせば落とす程、読み手の心に留まる文章になると思う。

この2つを心掛けていれば、何とかなるだろうと思い込んでいる今日この頃。
 
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2~3画面にすると流れが把握しやすいので、この状態で書いている。
 5歳から10歳くらいまでモデルガンに夢中になっていて、ぱっと写真を見れば、ほとんどの銃の名前とメーカーを言い当てられるようになっていた。

 特に気に入っていたのが、米軍がベトナム戦争で使用したM-16アサルトライフル。
このライフルはゴルゴ13にもよく登場するが、あのフォルムに惹かれていた。

 10歳の時に、ご褒美でM-16のモデルガンを勝ってもらった時は、文字通り有頂天になった。

 あれから22年が経った2010年の夏、バルセロナのインテリアショップでM-16のライトが展示されているのを見て、再び心が躍った。

 どうしても手に入れたくて、帰国当日の朝、開店と同時に滑り込むように店に入り、値段と輸送費を聞いて断念した。

 そして昨年の夏に、代官山のインテリアショップにディスプレーされているのを発見し、セールのタイミングで購入した。

 さすがにこの歳になってモデルガンは持たないが、いつも目の届くところにM-16があるのがいい。

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フランス人デザイナーのフィリップ•スタルク作 彼はアメリカ製のM-16、ロシア製のAKー47、イタリア製のベレッタをモチーフにしたライトを作り、各国に対して「自分たちでケツを拭け」という意味のメッセージが土台に刻んでいる。
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 うめ。2歳♀ 2008年8月8日生まれ。

 Mシュナウザーのガチムチした体を触っているだけで癒される。
この白眉毛、「染めているのか?」と頻繁に質問されるが、完全な地毛。

 喋らないのが不思議なくらい、じっとこちらの目を見つめている事が多い。
月に1回くらいしか吠えず、お店の床に放置していても、身動きひとつせずにじっと待っている。

 一番の癒し。