こんにちは

まーにゃですニコ


5月17日~5月19日(日) には、

東京最大の祭りの一つ、三社祭が開催されますね。

浅草周辺は、200万人の人出となるそうですびっくり


今日はそんな浅草寺と三社祭について祭


1820年の浅草寺



三社様となった3人の男性


628年、隅田川で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)竹成(たけなり)という兄弟が、

網にかかった一体の仏像を、

今の駒形堂のある場所で引き上げ、

草ぶきのお堂に祀(まつ)ったのだそうです。

それが浅草寺のご本尊、

聖観世音菩薩像の由緒とされているそうです。


その後、地元の名士の土師中知(はじのなかとも)

私宅を寺とし、観音像を祀ったそうで、

ここから浅草寺の歴史が始まりました。



浅草神社の三社様とは、

檜前兄弟と土師中知の3人

神として祀ったものだそうです。


3人は自分たちが1400年後にも、

こんなふうにお祭りされていると知ったら、

さぞかしびっくりするでしょうねチュー


徳川幕府の庇護の下で、

浅草寺は庶民が訪れる安息の地となり、

当時もたいへん賑わいました。


江戸時代は山車だった三社祭



江戸名所図屏風(部分) 三社権現の舟祭礼 

三社祭は、かつては3月17・18日の2日間行われ、

丑・卯・巳・未・酉・亥の年が本祭でした。

観音祭とか、浅草祭とも呼ばれていたそうです。


祭礼は現在のような神輿かつぎが中心ではなく、

山車(だし)が中心で、

十八ヶ町のほか蔵前筋や浅草橋の各町も山車を繰り出し、行列の勢いと絢爛さを競いあったようです。


当時は祭礼行列が終わると「お堂下げ」といって、

神輿三体を本堂からおろし、

一之宮を先頭に浅草御門の乗船場までかつぎ、

大森在住の漁師の供奉する船に乗せて、

浅草川(隅田川)を遡り、

再び本堂までかついで帰りました。

この船祭りは江戸末期まで続きましたが、

明治になって廃絶してしまったそうです💧



お神輿の場所がGPSでわかる‼️



現在の三社祭は、

本社神輿」と呼ばれる浅草神社の

一之宮、二之宮、三之宮の3基の神輿と、

 浅草神社氏子の44町会が、それぞれ持っている

町内神輿」がなんと100基も浅草の街を渡御します。


GPSを利用し、

神輿の現在地をGoogleマップ上に表示するサービスも

提供されているそうです!!びっくり

浅草神社奉賛会HP  本社神輿位置情報


形は変わりましたが、

今も昔も、三社祭は

江戸っ子たちの大切なお祭りですねラブ