こんにちは
まーにゃですニコ

夏の楽しみといえば
「花火大会」ですよね♫

日本で最初に花火見物をしたのは

諸説ありますが

徳川家康だといわれています。


家康が幕府を開いてから10年後の

1613年(慶長18)のことだそうです。


当初、花火は中国など外国製で

打ち上げも外国人が行っていましたが

やがて、、日本人の手でも

花火の製造、打ち上げが

行われるようになったそうです。


歌川広重『名所江戸百景』「両国花火」


両国の川開き

隅田川花火大会」は

日本最古の歴史を持つ花火大会ですが、

「隅田川花火大会」と呼ばれるようになったのは

1978年(昭和53年)からで

最近のことなのですね!


それ以前は

両国の川開き」と呼ばれていました。


川開きに初めて花火が打ち上げられたのは

享保18年(1733)旧暦528日。

始めたのは

あの暴れん坊将軍こと8代将軍・徳川吉宗


前年に起きた「享保の大飢饉」と

江戸市中のコレラ流行の

慰霊と悪霊退散を祈願して行われた「水神祭

の一環として

花火大会が催されました。


翌年より年中行事となり

両国の川開きの始まりとなりました。


両国川開きとは

火事の多かった江戸の火除け地として造られた

両国橋たもとの広小路や大川端に


旧暦の528日から828日の間

夜店や屋台の出店が許された

納涼期間の初日のこと。


大川端両岸に並ぶ船宿や料理茶屋が

大川に納涼船を出して

お客をもてなすのも、この日から。

お江戸の夏の始まりを告げる風物詩でした。


鍵屋の六代目が点火した花火の数は

わずか20基程度だったそうですが

それでも江戸の人々にとっては

超〜貴重な体験!

熱狂し大勢の観客が集まりました。


広重「名所江戸百景 両国花火」)


オレンジ色の花火

現在の花火はカラフルですが

江戸時代の花火は

淡いオレンジ色の1色だけ。


明治時代になって

海外から多くの化学薬品が入ってきて

カラフルな花火が誕生しました。


玩具花火も大流行し

火事が多発する事態となり

幕府から禁止令も出されました。


禁止令が出ても江戸の庶民が

花火という新しい娯楽を完全に手放すことはなく

数年にわたって5回の禁止令を出したが

最終的には

隅田川の川筋と海岸だけは花火をしても良い

場所限定で許されたそう。


祭や新しい事、派手なことが好きな江戸っ子が

花火を諦めるわけはないですよねウインク


歌川貞房 / 東都両国夕涼之図

手前の両国橋の上は人でぎっしり!

夕涼みどころか、暑そうです^ ^;

川にもたくさんの屋形船が!

当時の熱狂ぶりが伺えますね