義父が腰を圧迫骨折(まだ疑い)してしまいました💧
転倒したりなど特別なことがあった訳ではないのですが、足の痛みや筋力の低下もあり、ずーっと歩き方が変でした。
一部分に過度に負荷がかかってしまったのかな?…(ノ_<)
痛そうにしている義父の世話と、環境を整えるために慌ただしい日々。
病院を受診し、MRI予約、ケアマネとの打ち合わせ、ベッドから起き上がるための手すりなどの介護用品の手配と設置、介護認定の区分変更、義父が今までひとりでできていたことのフォローetc..,
それでも、痛みに耐えながらトイレと食事を摂ることはひとりでなんとか出来るのがありがたいです。
私にとって大きな変化は、義父のための朝食を毎朝用意することになったこと。
納豆に生協で買った温めるだけのお魚など、凝ったものは提供していないけど、それでも出勤前にしなければならない大きな責任がひとつ増え、正直心の負担になっています。
もちろん私ひとりでやっているわけではなくて、旦那も頑張っています。
ですがかれこれ1週間。お互い疲れも出てきました。
春の実家ピアノ合宿から帰ってすぐのことでしたので、そこからずっとピアノが弾けていませんでした(T ^ T)
先日ちょっと🎹触ったら、実家で積み上げてきたものは、もう跡形もなかった…
以前なら隙あらば、と鍵盤を触っていた私。それを知っているから悪いと思ったのか「ピアノ弾いていいからね」と声をかけてくれる旦那。
でも、悪いけど私は「気晴らし」がてらにピアノを触ることはできない。
今の私にとってのピアノは、弾くときにはエネルギーが必要なもので、「闘い」?のような面もある。
軽くポロローンと遊びのように弾いて楽しみ、「癒し」になった時期もありましたが…
案の定、弾けなくなっていることに絶望し、イライラし、曲を弾き切る集中力もなく、すぐにやめてしまいました。
それでも、様子が一転した生活とはいえ、時が経てばそれなりのペースはできてきます。
昨日、考えました。
義父の様子は日々刻々と変わるだろう。
その都度、ピアノを弾く時間がないことを嘆いて過ごす?
ピアノを辞めてしまえば、そんなことを思う必要もなくなり、気持ちも体も楽になる?
仕事を辞めたら時間に余裕ができて、心のゆとりに繋がる?
そんなことはないのです。
介護問題が迫っている「今」だけど、これが永遠に続くわけではないし、反対にピアノを弾くことだっていつまでもできることではないかもしれないし、仕事だってクビを切られるかもしれない(^◇^;)
「いつまでも続くこと」なんて、何事もない。
充実感を味わいながら生きていくためには、いろんな場所での存在意義が必要なのかなって思います。
少なくても私はそうです。
仕事をしながらの義父の世話、大変です。
でも私は職場に行き、何かに責任を持つという「機会」があってよかった。
思うように練習できなくても、ピアノという自分を確認できる「手段」があってよかった。
家族には言えない愚痴を、聞いてくれる友人という「存在」がいてくれてよかった。
多くの事柄が絡み合って、今の私を形づくり、私は生きているのだと思います。
何かを諦めたり我慢したりする必要はないのです。
助け合ったり甘えたりしながら、やりたいことをしながら、その時を過ごしていくしかないのです。
最近、推し活デビューした旦那がポツリと言いました。
「7月、ライブ、行けるかなぁ…」
弱気な発言😁
「何言ってるの!行くよ!その間は私が見るから!」
そしてその後私は、自分の推しのライブに行くのだ!(まだ当たってないけど笑)
そんなことを考えていたら、出来なくなったことを悔やんでも仕方ないと思い始め、また🎹片手練習を一から始めました。