14歳の頃は、中学生でした。

だいたい日本の14歳は中学生ですが。



だいたい、エロいこと考えてた、と思います。たぶん。

ほとんどの男子中学生と変わらず。

恋愛とは言わないまでも、気になっている子が席替えで隣に来れば、それなりにときめき

男同士で集まれば、だいたいゲームか、グラビアアイドルか、下ネタを話し、

学校にエロ本を持ち込んでは交換したりしました。

たまには友達と大喧嘩したりね。

図書館で寝たりね。



部活も勉強も、ほどほどにやってたんですけど

毎日学校に行くのが楽しくてしょうがなかったんですよ。



クラスがふたつしかなくて、学年50人いなかったんで、

いろんな意味で、オープンな学校生活だったから、と思いますが。

授業中とか、好き勝手やってました。

国語の時間に歌、唄ったり、

社会の授業を先生締め出して、勝手にやってたりとか。

でも、不思議と荒んだ感じは無くて。

実際相当問題のあるクラスだったと思うんですけど。



キラキラとした思い出とはいえないかもしれないけれど、

色彩が豊かだったんですよ。


いろんなものを受け止める、感受性が豊かだったのか

山の谷間にひっそりと立っている、校舎がそうさせたのか。



夏は部活の休憩中に体育館の日陰で昼寝をして、

秋は文化祭の準備をして、初舞台踏んで、

冬は石油ストーブに集まって、あったまったら雪合戦して、

春になると、すこし背が伸びて。


大人になるわけでもなく、

子どものままでもなく、

自我の確立、っていってしまえばなんの味もしない、あっさりした感じになりますが



その頃は、きっと、色とりどりの世界で

14歳という、その時間を大切にすごしていたんだと思います。



今更、ああしておけば、こうしておけば、っていう思いは

不思議なほど起き上がってこないんです。

懐かしくはあるけど。


大人になりたいとか、なりたくないとか、そんなことを考える年代だと認識されていますが

そんなことは頭の片隅にも無くて

のほほんと幸せに暮らしていました。



14歳という時代は、僕にとって、なんとなく陽だまりのような感じがするのです。




タカハシ トシユキ /MARMALAIDデザイナー

お久しぶりです。

いつの間にかすっかり夏・・・・・・。


恒例の再開も、張り切ってまいりましょう。


今回のテーマは14歳の出来事。

ゼロソーの次回作『ギムナジウム』との、このコのつく意味も籠めて。


『ギムナジウム』出演者のエッセーも掲載予定です。

おまちんください。

臓器移植法案が可決されました。


今日はエッセイとはちょっと違うかもしれませんが、一筆しようかと。

普通の文章で書くとまとまらない感じがするので

ちょっと詩的に。





僕らの体はいろんな臓器で出来ている。

臓器が集まってできている。

でも、臓器を集めたからって、人間にはならない。



脳が機能しないことは

人が死んだことになるのか。

法的な死。

機能の死。

倫理の死。



だれもただしい答えを出せるとはおもわない。

でも、この答えが正しいとも思えない


答えを出せないことに

本当に多数決で決められるのだろうか



でも、救える命があるのに

指をくわえてみていることに耐えられるのか。




死は特別ではない。

誰にでもやってくる。

死の定義なんてものは、本人のためではなく

周りのためのものであるのだと思う。




その答えを他人に決められるのは

ちょっとゆるせないことだと思う。




法的な正しさは

その影に故人の悲しみをすりつぶしながらたっている。



その正しさを、疑わないといけない。

僕らは裏切らないといけない。


広い意味で表現をする人間は、

社会の正しさに対して、常に疑問符を浮かべていなきゃいけない。







そんなことを考えた、暑い日です。

法律で救われることもあるけど、おんなじだけの悲しみが反対にはあるんだと思います。

その悲しみを無視しないために表現は存在しているんだと。

逆も然りですね。

べつに法律がどうこうというわけではなくて。





タカハシ トシユキ/MARMALAIDデザイナー