仙台七夕も終わり、雨の週末ですね。
お祭りが終わってしまうと、まだお盆前だというのに、夏も終わりが近いような
気がしてしまいます。
今から15年前の、1999年の8月8日。
身近な方とのお別れがありました。
その方とのご縁はわずか一年足らず。その内半年は病院のベッドの上でした。
それでもその一年は、今までの人生の中で何よりも色濃くくっきりと足跡を残しています。
当時の私はまだ若く、病気や薬の知識はおろか、身体や心についての知識も
全くといっていいほどありませんでした。
今のようにネット社会ではなかったので、必要な情報を手に入れることも難しく、
時間も足りませんでした。
病気に気が付いたときは既に手遅れ状態で、
薬で死期を一日でも先延ばしにするしか、選択肢がありませんでした。
なぜ、具合が悪いのを隠して我慢していたのか、もっと早く治療しなかったのか、
今となっては分かりません。あと半年発見が早ければ、助かる方法はいくらでも
あったのです。
本人には知らせず、希望を持たせて毎日を過ごさせる、という選択をしたのは、
ご両親の強い希望でした。それが本人の為になったかどうか、今でも分かりません。
治ったら○○に行きたい、治ったら○○が食べたい、だから今は我慢する、
そう言って、何一つやりたい事をやらせてあげられなかったのですから。
とても優しく穏やかな性格で、友人知人も多く、誰からも好かれる
明朗な人でした。人を出し抜いたり騙したり、悪口を言ったり、
不実な事とは縁のない生き方をしてきた人でした。
人生って不平等ですね。誰も苦しめてこなかった人が、
本当に見ているのも辛くなるくらい、苦しんで苦しんで亡くなるのですから。
まだ45歳。人生の半分でしたね。
年老いたご両親の代わりに、側に付き添うことを決めましたが、
若さしか取り柄のなかった私は、なんにも、本当になんにもできなかった。
ただ側で見ているだけしかできなかった。情けない。
もっと自分がしっかりしていれば、できた事があったんじゃないか、・・・
色んな事を知っていれば、他にも方法があったんじゃないか、・・・
後悔、後悔、の15年。
今年は初めてお墓参りに行きませんでした。
いつも一緒に行く方の都合が悪かったというのもありますが。
日を改めて、というのもなく。なんとなく。
「私はお墓にはいない」なんていう歌もありましたね。
だからお墓参りは、生きている人の心の問題のような気もするのです。
もう15年もたつと、普段はほとんど忘れてます。薄情なようですが。
たまにちょっと思い出す程度。
人並みな幸せも求めたりします。
でも、喪うことの恐怖、取り返しのつかない後悔の苦しさ、というのものが、
骨の髄まで浸み込んでしまったのかもしれません。
人と深い関わりを持つことに、躊躇するようになっていました。
遠くにいるあの人が見かねてしまったのかもしれません。
忘れてもいいんだと言ってるんでしょうか。
きっと来年ももうお墓参りには行かないような気がします。
行ってはいけないような気がしました。
15年。
一つの節目なのかもしれまんせんね。
決して忘れるわけじゃない。忘れることはできない。
でもいつまでも後悔に引き摺られたままでは、次がない。
きちんと消化しなさい、ってことなんでしょう。
こんな形で誰かにこの事を伝えるのも初めてのことでした。
こういう公共の場で、こんな個人的な事を書いてしまうのは、
本当になんていうか、カッコ悪いと思う。
だから、今日このブログを読んでくれた方、
お願いですから「いいね」しないでください。
誰かが読んでくれたかもしれない、それだけで充分ですから。