皆様ごきげんよう。


BEN、7歳。オーストラリアに渡って3年目。
現在小学2年生でございまする。


毎日楽しく通う学校はオーストラリアの公立学校なので、完全に英語の日々。
そんな中で週1回、3時間ほど日本語の学校に通って国語と算数を学んでおるわけです。


しかし日本語は難しい。


12-5=7という単純な計算も、
12を10と2に分けて、10から5を引いて、そこに2を足す、と書いてある。


そもそも日本語が分からないBENにとっては何を言ってるのか全く分からないわけで、
問題の意味が分からなくなってくる内に12-7=5である事もよく分からなくなってくる。


そんな理論や考え方なんてどーーーーでも良い。
12-5=7と分かればそれで良いのだ。


加えて厄介なのが文章問題。
「色紙が54まいあります。そのうち38まいつかいました。色紙はなんまいのこっていますか。」


BENにしてみれば「色紙って何?」から始まるわけさ。
そして、「そのうち」ってどういう事?と続くのさ。


BENからすると「そのうち」というのは私が発する「そのうちね」にしか聞こえない。
ママー、映画に連れてってー、に対する「そのうちね」の意味ですな。


例えば。
英語で「頭にライスがついてるよ」と言われたら、日本人なら米?と思ってしまう人が殆どだろう。
それが米じゃなくてシラミの事だと分かるのは、文脈と発音によるものなのだ。


「ラムが欲しい」と日本人が言ったら、相手にはよく分からない。
子羊のラムなのか、お酒のラム酒の事かよく分からないのさ。
発音の問題だぁね。


結局のところ日本語も英語も、
常日頃使っていないと同音異義語などの使い分けなんてそうそうできないって事なんだな。


ああもう、こんなもん理解する必要ない。
英語で言ってやるから式と答えを書け!と言うとちゃんと54-38=16と導き出す。


ただし色紙の問題の答えの欄に記載すべき正回答は「16まい」。
BENは「16」と書いてしまうのでもう本当にどーーーーーーでもよくなってくる。


おきた時刻は○時、家を出た時刻は○時○分です。
長い針が○めもり動いたから、起きてから家を出るまでの時間は○分です。


そんなの知るかーーーーーーーー!!!!(ノ`△´)ノ ┫:・'∵:.┻┻:・'.:∵


つくづく算数って無意味。
そんな事教えるくらいなら、980円の牛肉の20%引きはいくらになるかを重点的に教えて欲しかった。


結局のところ算数は算数ではなく国語力なのだ。
というわけで算数は放棄して国語にとりかかる。


しかしまぁこやつは男だからなのか性格のせいなのか、まーーーーー、見てると腹が立ってくる。


線はくっつかないし、ものすごく曲がるし、角は丸いしでぶん殴ってやりたくなる。
何度言っても何度言っても字が汚い。


我が子の字が汚いという事がこんなにも腹が立つとは思わなんだ・・・。


漢字の練習帳には大きな枡に丁寧に点線の十字が書かれている。
人はそれを見てお手本と照らし合わせて字のバランスを習得するんじゃないかね?


なぜにキミの字はいつもいつもいつもいつもいつもいつも十字の隅の方に書いてあるのか。
もう、意味が分からない。


字の乱れは心の乱れ、
字が美しければ心も美しいと諭してみるが、まぁ全くもって改善しない。


毎日毎日漢字の練習に時間を費やしていたら、横で見ていた旦那が根を上げた。
書き順や丁寧さなどどうでも良い、とりあえず書けてりゃいいだろう、と。


まぁミミズみたいなアルファベットを書く英語人に日本語の美しさは理解できまいよ・・・。


しかしまぁ、旦那の言う事にも一理ある。
アルファベット文化のBENに日本語の美しさを諭すのは無理がある。


美しい字が書けずとも誰も気にはとめますまい。
というわけで漢字も離脱。読めりゃいい。


よしこうなったら最後は会話力。
せめて教科書を読んで、意味を理解する位の力は付けてやろうじゃなかと一念発起。


漢字や算数のプレッシャーがなくなった分、こちらは少しずつ功を奏している模様。
ただの音読から、意味をなんとなくでも理解する「読書」ができるようになってきた。


そのせいか国語のドリルなんかも放置しておくと意外とできていたりする。
グズグズグズグズ文句を言ってやってる割には、なんだ、結構分かってるんじゃん。


と安心していたある日のこと。
どれどれ、今週の宿題の進み具合はどうかしら?と見ていた時のこと。


「つぎのことばの反対のことばを書きましょう。」


とおい → ( ちかい )

おおきい → ( ちいさい )


ふむふむ、できてるじゃないか。
阿呆は阿呆なりに理解してるんだな、と思ったけれど。




ちがう → ( そう )




ガビ━━━━(゚A゚)━━━━ン


ああ、、、うん、、、まぁ、、、「そう」だよね。
いや、、、、間違っちゃいないんだが、間違ってるんだよ。


というか、そう来たか、オイ。
これは純粋な日本人にはむしろなかなか思いつかない発想かもしれない。


その昔英語を教えてくれと言われて出かけていった際に、
be動詞って何?と言われて説明に詰まったことがある。
be動詞はbe動詞として認識していたので、何?と聞かれてもよく分からなかったのだ。


日本語も同じで。
あまりにも基本的すぎるところが分からない相手には教え方が分からない。
というか、そもそもなんでそこから教えなきゃいかんのかと思い始めてくる。


折り紙は「枚」、鉛筆は「本」、うさぎは「羽」、たんすは「棹」?
もうこの際、全部「個」でいい。


よし、分かった。
よーーーく、分かった。


バイリンガル教育は諦めよう。
日本で育ってる日本人と同じようになんて学べるはずがないじゃないか。


そもそも国語力と会話力は違うのだ。


よし分かった。
よーーーーーく、分かった。





我が子は
日本人にして日本人に非ず!!!!