求めても得られない苦しみも
得てもやがては失う悲しみも
抱きしめて その内なる世界に取り込んで

いつかはきっと きれいな華を咲かせる

今日のあなたを
一足飛びに未来へ連れてはいけない

でも

やがて咲く日のあなたのために
今日 私はここにいる
見あげた目に何がみえる?
目の前に広がるその荒涼とした景色だけが
この世界の全てなのだろうか?

賢き者はその奥をみる

世界の向こうを貫き通す目
気がつけばあなたの周りは
あなたを生かし、育むもので満たされている

手を伸ばす必要はない
受け取るだけでいいのだ

賢き者は身体の感覚でつかみとる
生まれながらにして幸いなるものよ

その智恵に、多くの者たちが
尊敬を示すことだろう

眼が足の役目をしようとしても、

足が手の役目をしようとしても、

うまくはいかないでしょう。


それぞれが同じ「身体」として

役割をこなしているからこそ、


全体として

発展していくことができるのです。


足を批判し、手を痛めつけたところで

誰も勝利しない。

本来与えられた真の機能を発揮できず、

共倒れしてしまうだけです。


まるで相手が自分であるかのように

その持っている力を認め、

自分と同じように相手を利し、

ともに互いを育んでいくこと。


それが、真に自らを利す近道。

有機体全体が十二分に成熟するための近道。

とても簡単なことなのです。

私たちは宇宙から比べたら
ほんの一粒の砂のような存在だけれど、

その一粒が欠けた宇宙は、
それだけでもう「完全」ではない。
心に剣を持って生まれる人もいる。
利剣鋭きがゆえに、
前に進むために自身の剣を振るわずにいられない人。

立ち向かうは敵、
そして自分自身。

時には他人を傷つけ、
時には自分を打ちのめす。
剣を持つ人は、血を流さずに生きられない。

でもその鋭さを、必要としている人たちがいる。

他人を守るために、その剣を振るえるのなら、
それは万人への吉祥である。

自分の弱さ、そして他人を認めないといううぬぼれ。

あなたの真価を発揮するためには、
その弱さこそを叩き切れ。