先日知人と、幽霊はいるか?いないか?で討論大会になった。

幽霊はいる、とする氏の論拠は、要するに無いものは目撃談を為し得ない、という一点に尽きるようで、宇宙人や神様も同じ理由で存在を認めている。

宇宙人や神様はともかく、私は霊とか魂の存在については否定的である。

理由は2つあって

①死んだ者(動植物も含む)が皆、霊魂を持つならば、有史以来すさまじい数の霊魂が発生している。今までに死んだ生き物の数を考えてみればわかる。
すると、地球上の有界なこの空間には霊魂がひしめき合うことになるのではないか。
平たく言えば、霊魂の居場所がもう無いということ。
その反論として持ち出される「でも魂は生まれ変わるからさぁ…」説は、人口が猛烈に増加してる事を考えれば全くのナンセンスである。
魂の輪廻って、狭い社会の名残に過ぎない。亡くなる者と生まれる者の数が同じ程度の時代の話。

だいたい、心霊写真で「同じ点に複数の霊が重なって出現」した例が無い。つまり霊魂には霊魂なりに体積のようなものがあって、空間を占めているという設定らしい。やはり場所が足りなくなるな。

余談だが、AV男優の加藤鷹氏は、心霊の局部や尻が映った心霊写真が一切出てこないのがおかしい、としている。なるほど。


②霊として現世に出現するならば、その姿は死者のいつ頃の姿なのかが不明瞭である。
例えば100才で亡くなった人の幽霊は100才の姿なのか?それとも20才ころの元気な姿か?
仮に霊の若い時代の姿に変身できるとする。
そもそも人体は年とともに姿が変わるのだが、厳密に言えば一秒単位でも変化(老化)しているのだから、1つの姿というのは何年何月何日何時何分何秒時点での姿、ということ。その姿になって出現する意味がわからない。
では、死ぬ間際の100才の姿になって現れるとすると、この場合「死ぬ間際」とは本当に死ぬ一瞬前のことだから、幽霊は眼ををほとんど閉じていなければおかしい。
若い頃に事故で片腕を無くした人の霊はやはり隻腕なのか?
記憶を無くした人はどうなるのか?
幽霊を都合よく五体満足な姿にしたのは創作者の仕業ではないのか?しかも怖がらせるために顔の傷痕だけは残したりする。


さて、一方で宇宙人は存在してもよさそうに思う。
ただし、宇宙人の定義が定まってない。
ほかの星にチンパンジー程度の知能の生物がいたら、それは宇宙人なのか?
宇宙人たりうる知能はどこからなのか?

これを極端に進めて考えると、小動物でも微生物でも、地球外に生命体があれば事足りる問題なのだが、この宇宙には電子顕微鏡でしか観測できないような極微のアメーバくらいは存在してもおかしくないとは思っている。



さて次に、神様についてだが

私の持論では、物語や映画に出てくるような、白髪で杖をついた「神様」や、あるいは後光のさす白衣の神…などは存在しないと思う。あれは作り物。

しかし宗教が流布し、神の存在が広く認められることによって「神にそむくから悪行ができない」という制止が大昔から機能しているのだから、神が存在してもしなくても、神が存在するのと同じことである。
わが邦の神道にいう八百万の神の考え方はまさにこれではないか。
花を乱暴にむしったら「花が泣く」から…といった歯止めを我々は持っている。これは神様がいるのと同じだ、という事である。


なお、このテの話題は酒の席ではしない方がよい。
人それぞれに不思議なことに対する解答を持っているのに別解を押し付けられては、その人のパラダイムの崩壊に繋がり、争いや反目が発生する。
ススキノであまたの酔客を見てきた私の忠告を信じるべし。