父の五度目となる今回の入院。
担当医は筆者と母を病院に呼びつけ、いよいよ父の心臓の寿命が長くないことを告げた。
心不全の末期である。

早ければ一週間。
長くても1年。

いずれにしても病状が急変した場合、人工呼吸器を喉に通し、24時間超の透析もしなければならないが、本人には凄まじい苦痛を伴う。

それで、こうした延命措置を採らない選択もあるので本人と家族で相談しておいて欲しい、とのことであった。


ふと筆者は思った。

このように一週間とか一年とか言われると実に火急の感が著しい。
しかし、ありがたくも健常たる我々でも、高々数十年後にはやって来る確実な死というものに覚悟を寄せるならば、一日あるいは一分一秒の価値というものに今更ながら慄然とする。
つまり「あなたの命は残り何年です」と宣告されるとき、その何年がいくつから上ならば無視して能天気に暮らせるというのだろうか?ということ。


そんな訳で、父のことは心配だが、それ以外は日々笑って楽しく暮らしている筆者である。そう心掛けているのだ。

人は何のために生きるのか?
どうやら生きていること自体が目的だった、というのが正解かも。