記憶に残る愛車たち | .

記憶に残る愛車たち

「ブルベ記」第65話

----------------


今、改めて思うが、

自分は幼年時から「自転車」という乗り物への思い入れが、人並み以上に強かったようだ。



しかし、

これまでは、


そうでありながらも、

完全に自分に引き寄せたことはなく、

常にある種の憧憬の対象であった。

これまで、欲しいものとして引き寄せる機会に恵まれてきたのは、むしろ四輪(クルマ)のほうであった。



さて、大人になる前に出会った数台の自転車の話。

記憶にのみ残る、私の愛車たちをここに記しておきたい。




まず1台目


三輪車だ。赤メタリック(というかワインレッド)。

ちょっと大柄だったような記憶が。

(写真を見ると、ハンドルが大きかった、ということか。形がハイカラだ)



北の街の団地に住んでいた頃、

父の勤めていた会社の社宅の玄関前で得意げにまたがっているモノクロームの写真が残っている。


allez!! allez!!  「ブルベ記」

allez!! allez!!  「ブルベ記」

こぐよりも、押したほうが「速い」ことに気づいていたようで、「走っていた」記憶も、近所の公園まで友達を追いかけて、「押し駆け」しているものだ。




2台目


小学校に入ってすぐ買ってもらった、普通の子ども用自転車。フレーム色は青系だった。


allez!! allez!!  「ブルベ記」
(写真奥。手前の青い三輪車は妹のもの)


ブレーキ、レバーなどがすぐ錆びてしまったことを覚えている。ブレーキはケーブルではなく、

鉄の棒が連接されたもの(なんという名称だろう)。


補助輪を付けて、そして外したのもこの自転車で。

ということは、事実上、初めての「自転車」だった訳だ。

メーカーは確か記憶では丸石だったか?

玄関においてある写真がいま残っている。




そして3台目


4年生ぐらい?の時、どこかの百貨店の自転車売り場にあったのを買ってもらった。

母親がこれがいい、と勧めてきたのをおぼろげながら覚えている。

今でいう大人も乗れる小径車。フレームは黒。

写真は見当たらない。


納車される日を心待ちにしていて、

学校帰りに(今日来るか、いつ来るか)と急いで家に帰ったのを覚えている。

家に届いた日、得意になって乗り回そうとしたが、大きすぎてしばらく乗れなかった記憶が。

むしろ、近所の友達に貸すと、彼のほうが上手に乗り回した。


初めての変速機付きだったが、すぐに調子が悪くなった。

というより、今にして思えば、ケーブルが初期伸びしたのに、その後のディレーラー調整をしていなかっただけのことだった。当時はそういうことも分からなかった。

あまり気にしないで乗っていたが。


フレームはとにかく重かった。

大きなベルの音が「カラン、カラン」とユニークだった。

泥よけをつけたり、初めて改造したりしたのもこれ。


このころ、学校の同級生たちは、ウインカーやメーター、流線形のライト(スーパーカーライトって言ったかな?)がついたいわゆるサイクル車にこぞってのっていたが、自分のはこの流れにはなかった。


よくこれに乗って同級生たちとの草野球に出かけたが、友達からは、スピードの出ない、変な形の自転車に見られていた。ただ、今から思えば、あの当時(30年余り前)、今では一般的な小径車に乗っている人はほとんどいなかった。それほど新しい形だったのだ。



~上記の話で思い出した「余談」~

子供のころ、アディダスが大流行したのに、母親は「NIKE」と記された変わった運動靴を買ってきて、私をがっかりさせたことがあった。そんなメーカーの靴はみたことがなかったし、誰も知らなかった。


しかし、バックスキンのそれは、今から思えば、とてもとても貴重な靴だったのだ。ちなみに当時は「NIKE」の発音が分からず、私たちは「ニッケ」と呼んでいた。このメーカーが日本で大ブレークしたのは、それから10年以上も後のことだった。




閑話休題



4台目


上記の3台目は、泥よけを外したりして、雨の日の走行でお尻がぬれたりして困ったり、といろいろあった。

で、小学校の高学年になるにしたがって、もっと軽快な自転車が欲しい、と思うようになっていた。

近所のミヤタ自転車の専門店に学校帰りによく友達たちと訪れ、ドロップ車のパンフレットをもらったり。でも、小径車にがまんして乗っていた。


やがて中学入学し、祖母が送金してくれて、初めてのドロップ車を購入した。


確か、松坂屋?百貨店の自転車売り場にあった、26インチのロードバイク(泥よけ、荷台、サブ・ブレーキレバーが付いていたことから、今でいえばランドナーといったところか)。

色はグリーンメタリック。とてもとても気に入っていた。

これに乗って、よく日曜学校に出かけたりしていた。

泥除けを外してみたり、バッグをつけたり。

今から思えば、ランドナー風のスポーツ車だった。

写真はない。


だが、ある日の夕方、

自宅前に置いて一瞬、家に入ったすきに、だれかに持ち去られた。

たった数分から数十分間、鍵を掛けずに置いただけだったが。

泣きながら、連日、近くの駅の自転車置き場などを探し回った。

しかし、出てこなかった。


しばらくして、不憫に思った田舎の祖母が、再度送金してくれた。



5台目


そのお金で買ったのは、

以前からパンフレットをもらったりしていたミヤタの「カリフォルニアロード」というモデル。
allez!! allez!!  「ブルベ戦記」
フレームは銀で27インチ。ドロップハンドルには鮮やかなブルーのテープが巻いてあった。

これに高校生ぐらいまで乗っていた。


そして大学に入って、

白いファニーバイクを購入する、というくだりは以前に記した。

http://ameblo.jp/markun-jp/entry-10774738145.html

それから社会人になり、20年ほど、ロードバイクとはしばらく無縁に。

その間、私はずっと「クルマの人」だった。


そして昨年、久々にタイヤの細い自転車=クロスバイクを買い、

今年、さらにロードバイクに乗り換えた。



さて、現在へ。


allez!! allez!!  「ブルベ記」


しばらくブルベがない。


PBPがあるためか、自宅から出かけられるような、夏場のブルベが少ない。

静岡か北海道へ遠征しようと思ったが、

これらは時間的な都合がつかない。

前後どちらかで1日もしくは半日、会社を休まないと行けない感じだ。

やはり遠い。


という訳で、


しばらくは

家の近所を走り回ることになる。

これはこれで、「さくっと一汗」で、気持ちがいい。

これはこれで、夏場だからいいのかもしれない。


で、さきほどもひとっ走り。


allez!! allez!!  「ブルベ記」
中目黒(駒沢通りと山の手通りの交差点/恵比寿方面をのぞむ)


一汗どころか、どっさり汗をかいて、サウナ状態。

夏、ですね。

体脂肪率、アンダー15%をこのまま維持したいところ。




- 今日の基礎トレ・コース -


家→駒沢公園・サイクリングロード(3周)→駒沢通り→鎗ヶ崎交差点→代官山(旧山手通り)→淡島通り→

→世田谷区役所→上町→世田谷通り→馬事公苑・外周路(3周)→家


DIS.30.93km AV.27.4km/h MAX.45.9km/h TIME 1:07`33




- 2011年(ブルベ初年)戦績表 -


  BRM416西東京200km山中湖 【完走】

  BRM423青葉400km御坂みち 【完走】

  BRM514青葉600km鳥坂峠   【DNF】

  BRM528西東京300km富士   【DNF】

  BRM604(→611)千葉600km茂木 【DNS】

  PBP2011 【参加せず】 (→夏の三浦半島=ひとりサイクリングキャンプへ)

  BRM1009埼玉400km       ←???



★読まれた方は「ブルベ」→をクリックしてってね!!→ にほんブログ村 自転車ブログ ブルベへ
にほんブログ村