1997 阪神タイガース入団
 マイクグリーンウェル外野手

 

ニックネームは「ザ・ゲーター」。オフシーズンにワニと格闘した事があることから名づけられたようです…。そんなグリーンウェルはホームランバッターというより、中距離打者タイプで、選球眼がよくバットスピードとバットコントロールに優れ、パワーも兼ね備えた好打者でした。グリーンウェルはレッドソックス一筋、メジャーで12シーズンにわたってプレーし、1269試合4623打数1400安打(打率.303)130本塁打という素晴らしい成績を残しています。特筆すべきは四死球の多さ(通算460四死球)と三振の少なさ(364三振)です。初球打ちの傾向が強かった打者ですが、この成績からもグリーンウェルの選球眼の良さ、バットコントロールの優秀さが伺えると思います。
一方阪神は暗黒期真っ只中でした。マース、クレイグが活躍できずに解雇され、球団は三振が少なく本塁打も打てる外国人野手を切望していました。1996年オフにFA権を取得していたグリーンウェルに阪神が接触、年俸250万ドル(約3億700万円)という当時阪神史上最高額で契約を結ぶことができました。高額ではありましたが1996年メジャーでのグリーンウェルの年俸が370万ドル(約4億5400万円)だったので、比較的安価で契約できたということになります。しかしこのグリーンウェルがなかなかの曲者でした。キャンプには間に合ったものの、腰痛の治療だの自身の会社の株主総会だのといろいろと理由をつけて一時帰国、再来日したのはシーズンイン後の4月下旬でした。まともなトレーニングもしていないだろう状態でしたが、大金を叩いて獲得した大物外国人選手です。すぐにデビューとなりました。1997年5月3日から5日の甲子園での対広島3連戦では12打数5安打5打点を記録。しかし5月11日の巨人戦では自打球を右足甲に当て骨折してしまうと、「野球を辞めろという神のお告げ」という阪神タイガースの長い歴史に残る迷言を残し勝手に引退を表明。球団の慰留を振り切り5月16日には早々と帰国してしまいました。当時阪神の指揮を執っていた吉田義男監督もこれには唖然。「嵐のように来日し、嵐のように去っていった…。まるでつむじ風のような男だった」とコメントしています。グリーンウェルは結局実働たった7試合で26打数6安打(打率.231)5打点というトンでもない成績を残して去っていきました。彼が出場した時期とかけて「GreenWellではなく、GoldenWeekだ」などと揶揄されもしました。また阪神は年俸以外にも住居として数百万円するマンションをグリーンウェルのために用意しましたが、「狭い」とクレームをつけられたそうです。仕方なく阪神は隣の部屋も借りて壁を取っ払い2倍の広さにしたといいます。もちろん費用は球団持ちで…。そこまでした選手が1ヶ月も持たずにアメリカに帰ってしまうのですから、踏んだり蹴ったりです。後に契約不履行で阪神はグリーンウェルを提訴し、年俸は半額ということで手打ちとなりました。

帰国後はフロリダに「MIKE GREENWELLS BAT-A-BALL & FAMILY FUN PARK」なる遊園地を建設し、そのオーナーとなっています。またNASCARのレーサーとして2006年にはクラフツマントラックシリーズ(ピックアップトラックでのレース)に2戦に渡り参戦していました。2008年にはレッドソックスのチーム殿堂入りが発表され、満面の笑みを浮かべたグリーンウェルの姿が日本でも報道されました。全国の阪神ファンはその笑顔に引きつったでしょうが…。

神のお告げ」でさっさと野球を離れたグリーンウェル。阪神ファンだけでなく全国のプロ野球ファンから「史上最悪の詐欺師」というありがたくないあだ名をつけられてしまいました。嫌な意味で今でも記憶に残る外国人選手だったことは間違いありません。




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