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パラオ中日!



RITCさんのペリリュー島戦跡ツアーで念願の上陸!


ホテル敷地内ダイビングショップブルーマーリン集合、会計を済まし、横の船着き場から出発。





ご婦人お二人が参加して下さり、チャーターせずに済みましたありがたし。


ご年齢的にもご主人を戦争で亡くされたのかと思いましたが、そんなわけでもなく、大家族で旅行に来たものの海には入れないので、、との事で(笑)


少しすすむと昨日楽しんだミルキーウェイの近くに沈む零戦の姿。





ここでシュノーケリングさせてくれよと(°▽°)


45分ほど青い海をクルージング

 

 

 

 

 

 

 

 

 



念願のペリリュー島が見えてきた。





感慨深い。ちょっと涙でてきたw





保護区で釣りすらできない守られた環境。





この地でこの言葉、

英霊の方々からなのだとすると、泣ける。



バスに乗り換え見学スタート。

























おいらはミリタリー好きでないけど、それでもわかる戦力の格差をまのあたりにして、いかに厳しい戦いだったかがわかる。






73年前の今ごろ、この島では米軍の侵攻に立ち向かうべく準備がすすめられていた。

サイパン、グアムを墜とされ、援軍に向かった空中戦、海上戦兵器も全滅。ゲリラ戦で立ち向かうしかなかった。


9月11日。

アメリカ太平洋艦隊の大部隊がペリリュー到着。



空爆と砲撃でペリリューのジャングルはハゲ山に。


9月14日。

アメリカ軍がここオレンジビーチから上陸開始。





トーチカや洞窟に身をひそめていた日本軍は真田丸の如く砲撃。



米兵の死体の山が築かれる。


しかし圧倒的兵力と兵器格差に、

守るべき当時ミクロネシア最高と言われたこの飛行場は陥落。







それでも死ぬ事を許されなかった日本兵は地獄の苦しみを味わいながら、洞窟に身を隠し、武器と身体が尽きるまで戦い続けた。

この戦い方は硫黄島戦、沖縄本島戦へと受け継がれる徹底抗戦の手本となる。


今の日本を築いた歴史だと思っています。

ただでは負けなかった。

なににおいても大切なこと。





「諸国から訪れる旅人たちよ

この島を守るために日本軍人が

いかに勇敢な愛国心をもって戦い

そして玉砕したかを伝えられよ

米太平洋艦隊司令長官 C.W.ミニッツ」




ペリリュー平和記念公園。











陛下の真似。

西太平洋で戦死されたすべての英霊に感謝を。





このペリリューで

鬼となる苦しみに耐え陣頭指揮した中川大佐。

日本人の誇りを抱かされる美しい生き様でありました。




だめw 泣けるw

 

 

 

 

 

この晩、ツレが「来てよかった、見れてよかった」と。

 

「愛国心なんて考えた事もなかったけど、兵隊さんがすさまじいおもいをして、日本のために戦ってくれたんだね」と。

 

そんな嬉しい事を言ってくれたので、ベルサイユ条約からの歴史、日本の正義感あっての戦いを語ったら泣いてくれちゃってw

 

俺まで泣いてしまったww

女子の涙で少しは弔えたかしらん。

 






ランチは集会場みたいなとこでお弁当。イマイチ。



前日のガイドのニューマンがチャイニーズのツアーで料理作ってた。
しかしこの島でチャイニーズがなにやってんだ?
噂にきいてたとおり、音楽鳴らしててうざかったぜ。



帰港先はマリーナカフェヴィータ。



RITCさんの本拠地もあって、カードがきれなかったとかで再精算。

「カード使えないからご注意下さい」だって。

こっちは計算してドルもってきてんのに困る!と思いつつドル払いし、晩飯先でカード使ってみたら普通に使えた。


その古臭いシステムでカードきれなかったからってこっちのせいにすんな!

と思いましたとさ(-_-#)