去年の夏に参加していた「ウルヴァリン SAMURAI」を仕事で試写会に行けなかった共演者と観て来た。
もうね、ツッコミ所満載のトンデモ映画だよ。
意味のわからない切腹シーン
パチンコ屋での銃撃戦で逃げずに普通にパチンコしてる人達
新幹線に乗っているヒロインの天井にだけある天窓
葬式でいかにも怪しい坊さんに誰も気づかず、唯一気づいたウルヴァリンを音飛びのCDプレーヤーのように
「おい!止まれ」と何度も繰り返し言うだけで止めに行かないSP
それに似たような同じセリフの繰り返しシーン多数
怪しい坊さん達が袈裟を取るとなぜか上半身裸の敵
ラブホテルの火星をイメージした部屋の回転ベッドに無数に置いてある岩
・・挙げたらキリがない
なんかエキストラの人達の方がしっかり映ってたな・・と思いながら
エンドロールで自分の名前を探す・・
わからなかった・・
追加撮影でオーストラリアまで行ったのにセリフどころか
出ているシーン全てばっさりカットされていた役者もいるのだし・・
確認の為にもう一度DVDで観ようとは思えないのでもういいや・・・
日本での撮影は去年の夏で
僕が参加したのは増上寺での葬儀のシーンだった。
役者やスタッフやエキストラの人達がたくさんいる中
黒のスーツに丸いレンズのサングラスでモデル立ちの決してかっこ良い方ではない、下の中な男に目を奪われた!
自前の喪服を着て現場に来ているということはエキストラなのだろう・・
そして、なぜ彼はスター気取りなのだろう・・
ハリウッド映画ということで勘違いしてしまっているのか?
それとも何者かへのアピールか?
アピールだとしたらまだ早いぞ!
ここにいるのは日本のキャスティングスタッフ
そして役者とエキストラ位だ!
まぁ監督の前でアピールしても頭痛いのかと思われて、バファリン渡されるだけだけどな!
そして楽屋に案内された
とんでもなく広い和室にたった5人
歳も性別も国籍も違う5人・・
弁当を食べて待機・・
撮影現場近くだとケータリングらしい・・
ハリウッド映画のケータリングってどんなのだ?
絶対に一度は食ってやるぞ!
そして、ただひたすら待つ・・
先にカメラテストに行っていた男の子が、帰ってくるなり
サングラス野郎を見つけたと・・
ヒュー・ジャックマンよりハリウッドの撮影現場の事より第一声がサングラス野郎を見つけたと・・
彼も集合場所で見かけたサングラス野郎が気になっていたようだ
奴はどうしていたか?と聞くと野次馬の役をやっていたと・・
あんなに気取ってアピールしていたのに、野次馬か・・
アピールが足りなかったのかな・・
それともキモいアピールがうざかったのかな・・
昼になり表の空気を吸いに行く
ついでにエキストラの方達のいる部屋を覗く
沢山の方達が休んでいた
ご年配の方達も大勢おり炎天下の中での長時間の撮影でお疲れのようだ
おばさんと熱中症に気をつけないといけませんね!と話しながらもサングラス野郎を探す
大勢いるので中々見つからない・・
そうだ!おかしな空気を放ってる奴を探せばいいん・・・
いた!!
放ちまくってるよ!!
おかしな空気を放ちまくってるよ!!
iPodで何か聞きながら斜め45度上を見つめてるよ!!
しぐさからすると橋幸夫の潮来の伊太郎聞いてるようにも見えるが
たぶん格好つけているのだろう!!
修学旅行の中学生が竹下通りで買いそうな丸いレンズのサングラスをかけて
恐ろしいほど気取ってるよ・・
ついさっきまで野次馬やってたのにどうした?
なにがお前をそうさせる?
もう俺はお前から目が話せないよ!!
奴の活躍が見たい俺はその後の撮影をしばらく見る事にした
真田さんやヒュー・ジャックマンなどいる中
俺は奴を探す!野次馬役なのでサングラスはしていないだろう・・
あの丸いレンズのサングラスをかけてないと奴がわからない・・
探している間にモニターチェックになり皆休み始めた
諦めて楽屋に帰ろうと後ろを振り返ると同じく休み始めた救急隊員役のエキストラの二人がサングラスをはめた!
おい!!どうした!!!
気分はハリウッドですか!?
プールのある豪邸に住みますか!?
パパラッチに追われますか!?
海は死にますか!?
教えてください!!!!
なんか、もう目が離せない奴らばかりでオラわくわくすっぞ!!
もう、楽屋に戻るのをやめ
ケータリングのドーナツとドリンクを持ちながら、刑事のように(さすがハリウッド映画!遊園地にあるようなスナックコーナーみたいなものが常に完備)彼らを観察する事にしたが、結局その後はこれといってなく終わった。
後で他のエキストラの方に聞いたのだが
皆さん、ボランティアのエキストラの方達だそうで
雑誌でハリウッド映画のエキストラの募集を読んで参加したのだそうだ
教えてくれた彼はアメコミが大好きで
雑誌ではハリウッド映画としか書いてなかったのだが、絶対ウルヴァリンだと思って応募したのだそうだ。
そして、アメコミや原作のウルヴァリン SAMURAIについて詳しく教えてくれた。
本当に嬉しそうだった!
三日目はほとんど現場で待機だったので
ヒュー・ジャックマンやヒロイン役のTAOさん達と同じ部屋にいた
皆さん、とても気さくで本当に良い人だった!!
ヒュージャックマンは寺に用事で来ていた一般の方達と楽しそうに写真を撮ったり
ウルヴァリンの爪を子供達に貸してあげたりとても気さくで本当に素晴らしい人だ!
スターってのはこういうものだな!!
キャーキャー騒がれながら爽やか青年気取るが
裏では横柄な態度で、女遊びに精出す若手俳優死ね!!
そして、初日からの目的のケータリングを探す事にした
ハリウッド映画は手の空いたスタッフはケータリングを食べたり談笑したりしている
日本だとピリピリしている現場が多いが
ゆるくてとてもリラックス出来る!
どこかの部屋にあるのだが建物が広すぎて見つからない・・
30分程探したが見つからずがっかりしてもどるとヒュー・ジャックマンと鉢合わせ
ぶつかりそうになったからなのか何か話しかけてくれたが苦笑いしかできなかった・・
まったく何を言っているのかわからなかった・・・
ダメだ俺は・・・
その後、原田役のウィル・ユン・リーと挨拶したが
向こうは英語、こっちは日本語。
二人して苦笑いだ・・
あぁ、楽して英語しゃべりたい・・・
ヒロイン役のTAOさん。
スタントマンとボディダブルの方たちの記念撮影にこっそり入ってみました
7月27日、父が他界した。
胃がんと胃がんから転移した肝臓がんだった。
最初に見つかったのが去年の二月
その前からずっと目眩がしており血圧の薬などを飲んでいたのだが
血液検査で肝臓の腫瘍マーカーが以上に高いので検査したところ胃がんと肝臓がんが見つかった
進行がんだった。
僕が知ったのは「Bitter Room」という舞台の小屋入りの日
なんとかテンションを上げてその事を忘れるように努めたので
小屋入りから異常にテンションが上がった僕をおかしく思った共演者は少なくなかったはずだ
癌が進みすぎていたため手術は出来ず抗がん剤での治療が始まった
最初の薬で少し癌が小さくなってきていたのだが
もともと血圧が低いのに、副作用のためにもっと血圧が下がってしまい
急に意識を失い倒れてしまう
歩くのには歩行器は役だっていいのだが倒れるときはストッパーがないので歩行器ごと倒れてしまう
明け方のトイレに行く時に倒れることが多く気を付けるようにはしていたのだが
一度、大きないびきをかいて倒れている時があった
明け方なので家族に迷惑かけないように黙って一人でトイレに行ったのだろう
途中に意識がなくなり倒れ、ドアの角に頭を強く打ったようだ
直ぐに救急車を呼び、病院で診てもらったのだが頭を切った程度で大事にはいたらなかった
副作用が酷いので、次の抗がん剤に代わるが
今度は酷い下痢になってしまう
食事もあまり取れないうえに下痢の為にどんどん体が弱っていく
何かいい治療法はないかと知り合いに紹介してもらった
医療コンサルタントの方に相談をする
1時間10500円の相談料。
最初の相談は1時間半で終わった
そこで教えていただいた病院を母に相談すると
今、診ていただいている担当の先生でいいのだと
父も担当の先生をとても信頼している
僕もそうだ。
とても素晴らしい先生なのだが、セカンドオピニオンは今時当たり前だ
今の治療も続けながら血管内治療をもう一つの病院でしてもらうと言う事なのだが、父も母も大反対だ
そこで看護師さんに相談すると
セカンドオピニオンは今は当たり前だし
先生も相談に乗って下さるから伝えておきますと仰ってくれた
父には良くなってもらいたいが、治療を受けるのは父だし
こんな事で家族がギクシャクするのは避けたい
何度か母に相談していたが、その事で精神的に参ってしまっていたので弟と話し合い
2人には内緒で先生に相談した。
色々と調べてくださり、胃がんにはこの治療法は向いていないが
それでもやるならば紹介状を出すと言う事を僕にもわかりやすく説明してくれた。
ただそれで何かあっても責任は取れないと言う事と
治療するのは父なので自分のエゴで勝手に動くのではなく家族で話し合う事
それで家族がバラバラになってしまっては元も子もないという事を親身に話してくださった
その通りだ・・
母もその事で参ってしまっている
まずは医療コンサルタントの方に電話して話し合った内容を留守電に入れた
2、3時間して返って来た答えは、ショートメールで
血行性のタイプの方が効果的だと言えるでしょ!!但し長年の実績から相談に行かれるといいと考えます=
今後は電話相談料金になります
とだけ返って来た
キッチリと割り切った相談なのはその人のスタンスなので仕方ないし
こういった重い相談ばかりでは、そうでもしなければ受ける方が持たないのだろう
だからその人を責めるつもりはないが、もうこの人に相談するのはやめる事にした
最初に相談した時に
血管内療法のビデオを明日送りますのでご家族で御覧になってください。
と言っていたが1週間たってもビデオが届かず
こちらから連絡すると見つからないと言われた辺りから、失敗したかな・・・
とは思っていたんだけどもね・・
副作用で下痢と口内炎だらけになりながらも体力を付けるために
無理をして食事をとったり病院内を歩いたりと頑張っており
家族も良くなって来ていると思っていたのだが
悪くなっていると担当医から告げられた
副作用はあるが、癌は少し小さくなっていると聞いていたので母はとてもショックだったようだ
そして、次の化学療法が効かなければもう次の治療法はないと言われたが
次こそはと前向きに考えた
その抗がん剤が少し効いてきたのだが、体力が抗がん剤についていけず
そして少しずつ痛みが出てきてしまっている
もうこれ以上処置ができないところまで来ていた
そしてモルヒネを打つことになった
モルヒネの点滴を打つと睡眠剤が入っているので睡眠状態になるために
もう話が出来なくなるので最後にお話をして下さいと言われたが
急に皆の口数が多くなると父が不安になると思い大した話はしなかった
最後に「また来るから」と言うと父は手を挙げた
それが父と話をした最後だ。そのすぐ後にモルヒネが打たれた
父は1年半、入退院を繰り返していた
父が入院しているときは母は毎日欠かさず病院に通っていた
そうとう疲れが溜まっていただろう
そして父がモルヒネを打って意識がなくなってからは昼が母
夜は僕と弟が日替わりで病院に泊まった
先生や看護師さん達も仰っていたが父はとても心臓が強いらしく
普通の人ならもう呼吸なども弱くなるのに父はしっかりしていると
なので僕らはだいぶ長い間病院に泊まっていた
父の痰が詰まって辛そうだったり、体内の酸素の数値や心電図などの機械が鳴ったりすると
心配で寝れなくなる・・それが何週間も続くと肉体的にも精神的にも疲れが大分たまってくる・・・
病院に泊まっていると看護師さんの仕事がとても大変だということがよくわかる
夜、ほとんど休みなく入院患者を見て回ったりオシメを代えたりと尊敬するよ
悪酔いした演出家がチ○コ出したのを見て
「かっこいい~」
とか訳のわからない褒め方をして気に入られようとするバカな女優モドキに見せてやりたいよ!
そんなにかっこいいなら
お前らの大した事のないプロフィールにタイプはチ○コ出すアル中とでも書いとけや!
そして、27日午前8時11分に父は75歳の生涯を閉じた。
母と僕がおり、ちょうど弟が病院に着いた時に父が息を引き取ったのだが
多分弟が着く少し前には父は息を引き取っていたのだと思う。
看護師さんが、あと少しで到着する弟の為に黙っていたのだと思う。
まだ父がモルヒネの点滴を始めたばかりの頃
その日で看護師を辞めて実家に帰る方が、もう意識のない父に挨拶しに来てくれたこともあった。
父が息を引き取った時にも沢山の看護師さんが泣いてくれた。
本当に看護師さん達、ありがとうございました!
そして、安西先生・・
俺、看護師さん達と合コンしたいです。
末期になるとホスピスに移るのだが担当の先生は
「僕が最期まで診ます」
と仰ってくださり、ホスピスではなく最期まで一般病棟で診てくださった。
他の病院やら色々とお忙しいのにしっかりと父の最期まで診てくださり本当に感謝している。
そして、これからは僕の潰瘍性大腸炎の治療でお世話になります
そして、葬儀屋さんやお坊さんに通夜や告別式のお願いなどをしたのだが
お坊さんと家との予定が合わず通夜が10日後になってしまった。
他のお坊さんにお願いしてもいいのだが、名のあるお寺の立派なお坊さんだし
なにより、前から父の事を楽しい人だと好いてくださっていたのでお願いする事にした。
戒名ももし希望がなけれは父に合った良い戒名があるのでそれにさせてくれないかと仰っていただき通夜と告別式にはもう一人お坊さんを呼んで二人でお経をあげてくれることとなった
ありがたいことだ。
家に帰ってきた父は点滴で腕がボロボロになっていた。
手のダメージの処置や死化粧は、映画「おくりびと」で演技指導をされた納棺師の青木さんにしていただいた。
7月27日はちょうど隅田川花火大会だった
屋上から見えるので酒を持って屋上へ上った
僕は酒が弱いので父と酒を飲むことがなかったので
花火を見ながら酒を飲むことにした
開始30分で雷雨だ・・
センチメンタルな事をするもんじゃねーな・・
そして10日後の、通夜と葬儀告別式を滞りなく済ませることができた。
火葬場で骨になった父を見て火葬場の方や周りにいらした方も驚いていた
あまりにもしっかりした骨だったのだ
第一頸椎、第二頸椎は壊れやすく歳を取ると残らないらしいのだが
しっかりと残っており20、30代のお骨を入れる骨壷にも収まらずにかなり崩して入れた程だ
もし癌にならなかったら相当長生きしたのだろうな・・
火葬場から葬儀場に向かう途中に父の入院していた病院の近くを通ると母が
「癌と宣告された後にここのお蕎麦屋さんでお蕎麦食べたの」と・・
俺だったらショックで飯なんか食えないよ・・
強いな・・
そう言えば入院している時も自分よりも会社や俺の体調や嫁さんの心配をしていたな・・
独り身で自分と同じような病気になったら大変だということで
「病院の中を歩いて看護師さん達を見て来い」
だとか父のお気に入りの看護師さんが俺の嫁さんにならないかと真剣に考えていたようだ
いつか親と子供の立場が入れ替わる時が来る
それをバトンに例えるならば
僕は親が出していたバトンを見て見ぬ振りをずっとしていた
普通ならばとっくにバトンを受け取っていて
次は自分の子供に渡す準備をしなければいけないのに
弟にまかせっきりだった
父が死んでやっと受け取ったバトン
これからは弟と一緒に母を助けていきたいと思う
そして名前も槍本祐己から父の付けてくれた本名の斉藤正樹に戻そうと思う
と書いてから気がついたのだが、名前決めてくれたのじいちゃんだ・・
胃がんと胃がんから転移した肝臓がんだった。
最初に見つかったのが去年の二月
その前からずっと目眩がしており血圧の薬などを飲んでいたのだが
血液検査で肝臓の腫瘍マーカーが以上に高いので検査したところ胃がんと肝臓がんが見つかった
進行がんだった。
僕が知ったのは「Bitter Room」という舞台の小屋入りの日
なんとかテンションを上げてその事を忘れるように努めたので
小屋入りから異常にテンションが上がった僕をおかしく思った共演者は少なくなかったはずだ
癌が進みすぎていたため手術は出来ず抗がん剤での治療が始まった
最初の薬で少し癌が小さくなってきていたのだが
もともと血圧が低いのに、副作用のためにもっと血圧が下がってしまい
急に意識を失い倒れてしまう
歩くのには歩行器は役だっていいのだが倒れるときはストッパーがないので歩行器ごと倒れてしまう
明け方のトイレに行く時に倒れることが多く気を付けるようにはしていたのだが
一度、大きないびきをかいて倒れている時があった
明け方なので家族に迷惑かけないように黙って一人でトイレに行ったのだろう
途中に意識がなくなり倒れ、ドアの角に頭を強く打ったようだ
直ぐに救急車を呼び、病院で診てもらったのだが頭を切った程度で大事にはいたらなかった
副作用が酷いので、次の抗がん剤に代わるが
今度は酷い下痢になってしまう
食事もあまり取れないうえに下痢の為にどんどん体が弱っていく
何かいい治療法はないかと知り合いに紹介してもらった
医療コンサルタントの方に相談をする
1時間10500円の相談料。
最初の相談は1時間半で終わった
そこで教えていただいた病院を母に相談すると
今、診ていただいている担当の先生でいいのだと
父も担当の先生をとても信頼している
僕もそうだ。
とても素晴らしい先生なのだが、セカンドオピニオンは今時当たり前だ
今の治療も続けながら血管内治療をもう一つの病院でしてもらうと言う事なのだが、父も母も大反対だ
そこで看護師さんに相談すると
セカンドオピニオンは今は当たり前だし
先生も相談に乗って下さるから伝えておきますと仰ってくれた
父には良くなってもらいたいが、治療を受けるのは父だし
こんな事で家族がギクシャクするのは避けたい
何度か母に相談していたが、その事で精神的に参ってしまっていたので弟と話し合い
2人には内緒で先生に相談した。
色々と調べてくださり、胃がんにはこの治療法は向いていないが
それでもやるならば紹介状を出すと言う事を僕にもわかりやすく説明してくれた。
ただそれで何かあっても責任は取れないと言う事と
治療するのは父なので自分のエゴで勝手に動くのではなく家族で話し合う事
それで家族がバラバラになってしまっては元も子もないという事を親身に話してくださった
その通りだ・・
母もその事で参ってしまっている
まずは医療コンサルタントの方に電話して話し合った内容を留守電に入れた
2、3時間して返って来た答えは、ショートメールで
血行性のタイプの方が効果的だと言えるでしょ!!但し長年の実績から相談に行かれるといいと考えます=
今後は電話相談料金になります
とだけ返って来た
キッチリと割り切った相談なのはその人のスタンスなので仕方ないし
こういった重い相談ばかりでは、そうでもしなければ受ける方が持たないのだろう
だからその人を責めるつもりはないが、もうこの人に相談するのはやめる事にした
最初に相談した時に
血管内療法のビデオを明日送りますのでご家族で御覧になってください。
と言っていたが1週間たってもビデオが届かず
こちらから連絡すると見つからないと言われた辺りから、失敗したかな・・・
とは思っていたんだけどもね・・
副作用で下痢と口内炎だらけになりながらも体力を付けるために
無理をして食事をとったり病院内を歩いたりと頑張っており
家族も良くなって来ていると思っていたのだが
悪くなっていると担当医から告げられた
副作用はあるが、癌は少し小さくなっていると聞いていたので母はとてもショックだったようだ
そして、次の化学療法が効かなければもう次の治療法はないと言われたが
次こそはと前向きに考えた
その抗がん剤が少し効いてきたのだが、体力が抗がん剤についていけず
そして少しずつ痛みが出てきてしまっている
もうこれ以上処置ができないところまで来ていた
そしてモルヒネを打つことになった
モルヒネの点滴を打つと睡眠剤が入っているので睡眠状態になるために
もう話が出来なくなるので最後にお話をして下さいと言われたが
急に皆の口数が多くなると父が不安になると思い大した話はしなかった
最後に「また来るから」と言うと父は手を挙げた
それが父と話をした最後だ。そのすぐ後にモルヒネが打たれた
父は1年半、入退院を繰り返していた
父が入院しているときは母は毎日欠かさず病院に通っていた
そうとう疲れが溜まっていただろう
そして父がモルヒネを打って意識がなくなってからは昼が母
夜は僕と弟が日替わりで病院に泊まった
先生や看護師さん達も仰っていたが父はとても心臓が強いらしく
普通の人ならもう呼吸なども弱くなるのに父はしっかりしていると
なので僕らはだいぶ長い間病院に泊まっていた
父の痰が詰まって辛そうだったり、体内の酸素の数値や心電図などの機械が鳴ったりすると
心配で寝れなくなる・・それが何週間も続くと肉体的にも精神的にも疲れが大分たまってくる・・・
病院に泊まっていると看護師さんの仕事がとても大変だということがよくわかる
夜、ほとんど休みなく入院患者を見て回ったりオシメを代えたりと尊敬するよ
悪酔いした演出家がチ○コ出したのを見て
「かっこいい~」
とか訳のわからない褒め方をして気に入られようとするバカな女優モドキに見せてやりたいよ!
そんなにかっこいいなら
お前らの大した事のないプロフィールにタイプはチ○コ出すアル中とでも書いとけや!
そして、27日午前8時11分に父は75歳の生涯を閉じた。
母と僕がおり、ちょうど弟が病院に着いた時に父が息を引き取ったのだが
多分弟が着く少し前には父は息を引き取っていたのだと思う。
看護師さんが、あと少しで到着する弟の為に黙っていたのだと思う。
まだ父がモルヒネの点滴を始めたばかりの頃
その日で看護師を辞めて実家に帰る方が、もう意識のない父に挨拶しに来てくれたこともあった。
父が息を引き取った時にも沢山の看護師さんが泣いてくれた。
本当に看護師さん達、ありがとうございました!
そして、安西先生・・
俺、看護師さん達と合コンしたいです。
末期になるとホスピスに移るのだが担当の先生は
「僕が最期まで診ます」
と仰ってくださり、ホスピスではなく最期まで一般病棟で診てくださった。
他の病院やら色々とお忙しいのにしっかりと父の最期まで診てくださり本当に感謝している。
そして、これからは僕の潰瘍性大腸炎の治療でお世話になります
そして、葬儀屋さんやお坊さんに通夜や告別式のお願いなどをしたのだが
お坊さんと家との予定が合わず通夜が10日後になってしまった。
他のお坊さんにお願いしてもいいのだが、名のあるお寺の立派なお坊さんだし
なにより、前から父の事を楽しい人だと好いてくださっていたのでお願いする事にした。
戒名ももし希望がなけれは父に合った良い戒名があるのでそれにさせてくれないかと仰っていただき通夜と告別式にはもう一人お坊さんを呼んで二人でお経をあげてくれることとなった
ありがたいことだ。
家に帰ってきた父は点滴で腕がボロボロになっていた。
手のダメージの処置や死化粧は、映画「おくりびと」で演技指導をされた納棺師の青木さんにしていただいた。
7月27日はちょうど隅田川花火大会だった
屋上から見えるので酒を持って屋上へ上った
僕は酒が弱いので父と酒を飲むことがなかったので
花火を見ながら酒を飲むことにした
開始30分で雷雨だ・・
センチメンタルな事をするもんじゃねーな・・
そして10日後の、通夜と葬儀告別式を滞りなく済ませることができた。
火葬場で骨になった父を見て火葬場の方や周りにいらした方も驚いていた
あまりにもしっかりした骨だったのだ
第一頸椎、第二頸椎は壊れやすく歳を取ると残らないらしいのだが
しっかりと残っており20、30代のお骨を入れる骨壷にも収まらずにかなり崩して入れた程だ
もし癌にならなかったら相当長生きしたのだろうな・・
火葬場から葬儀場に向かう途中に父の入院していた病院の近くを通ると母が
「癌と宣告された後にここのお蕎麦屋さんでお蕎麦食べたの」と・・
俺だったらショックで飯なんか食えないよ・・
強いな・・
そう言えば入院している時も自分よりも会社や俺の体調や嫁さんの心配をしていたな・・
独り身で自分と同じような病気になったら大変だということで
「病院の中を歩いて看護師さん達を見て来い」
だとか父のお気に入りの看護師さんが俺の嫁さんにならないかと真剣に考えていたようだ
いつか親と子供の立場が入れ替わる時が来る
それをバトンに例えるならば
僕は親が出していたバトンを見て見ぬ振りをずっとしていた
普通ならばとっくにバトンを受け取っていて
次は自分の子供に渡す準備をしなければいけないのに
弟にまかせっきりだった
父が死んでやっと受け取ったバトン
これからは弟と一緒に母を助けていきたいと思う
そして名前も槍本祐己から父の付けてくれた本名の斉藤正樹に戻そうと思う
と書いてから気がついたのだが、名前決めてくれたのじいちゃんだ・・
ブログ更新なんだけどね
体調を崩しており結構大変だったんだよね
10年前に潰瘍性大腸炎という病気になったんだけれど
その何年か前から筋トレ3時間プール1時間
そして、かなりカロリーを抑えた食事という自殺行為な事を続けていて
整体の先生にも筋肉が癒着してカチカチだし
お腹も弱っているからトレーニングは控えるよういわれても
身体が疲れている事に気付かなくて無茶しちゃってね・・
下痢から始まり下血になったので病院に行くと
かったるそうにしている女医が俺の肛門を広げて検診
広げた時に下痢でただれた直腸からこの世のものとは思えないほどのクッサイ屁が出てね
それが原因なのかその女医が冷たい冷たい
ていうか勉強ばかりで数式などはわかっても
人の気持ちがわからないバカ医者になってしまったのだろうな
下痢でただれた直腸を見た女医が
「何か変な物をお尻に入れた?」と聞いてきたので
「いやいや!無いですよ~!!そんな患者さんって結構いるんですか?」
といっても返事なし
「・・・まぁ、いないですよね・・」
ともう一度話しかけても返事なし
とにかくかったるそうにしている
内視鏡の検査の時も腸の曲がったあたりの通りづらい辺りになると内視鏡カメラを
風呂釜のパイプを洗うようにガツガツついてくる
その頃は麻酔をするなどなかったのでただでさえ痛いのにもううめき声しかでない
そしてそんな俺を挟んで医者たちが不安になる事を話し始める
検査が終わりグッタリして休んでいると隣の部屋から女医とさっきの医者達が
「なんで、(患者)不安がってるの?」と・・
お前らが横になって検査を受けてる俺の上で不安になる事を平気でしゃべってるからだろうが!!
ああ、バカなんだ!!
こいつらバカなんだ!
そしてそのバカ医者から三つの病名を言われ
多分この三つの内のどれかで検査結果は後日という事になった
不安になった俺は友人に電話をし、三つの病名と今の症状など話した
切り際に怖いので三つの病気がどういう物なのか俺に知らせないでくれと言ったのだが二日後にきっちり詳しく書いたメールが届いた・・
役者仲間に連絡すると
「なに~?死ぬの~?」と心ない返答が・・
こいつが重い病気になったら病室で満面の笑みでフレンチカンカンを踊ってやろうと思っていたが
まぁ、罰が当たったんだろうな
この後こいつは一度死にかけ、その何年後かにうつ病になった
不思議なのだが、今回もそうだったのだが
「死ぬの?」や「生きてるか?」などと言った相手の気持ちがわからないセンスのかけらもない返事をしてくるのは全て役者だったな・・
お笑い芸人さんは直ぐに
「大丈夫ですか?」など心配してくれる
ちゃんとONとOFFというかTPOというかわきまえているのだが
何人かの役者は面白い返答だと思っているのだろうか
テレビじゃねぇんだぞ!わきまえろバカ!!
話は戻るが、俺に丁寧に三つの病気の説明を送って来た友人が俺に元気になってもらうために日帰り旅行を企画してくれたのだが
女の子が来るからという理由で俺との日帰り旅行を断りスキーに行ってしまった・・
スキー焼けして帰って来た奴の口から出た言葉は
「山の神様にお願いして来た」
と言う言い訳だけ・・
俺は東京生まれだし、病気と山がどんな関係があるのかわからないが
お前に一生彼女が出来ませんように!!
そして、検査の結果は潰瘍性大腸炎
とにかくその女医は最悪で難病指定のこの病気についての説明はほとんどしない
難病指定になるとどうなるのかの説明もなし
食事の制限などは本でも買って読んでくれと言われ
大腸ガンになりやすいことを異常なほど不安にさせる話方で説明する・・
例えば、これからはまともな生活が出来ないなど・・
それをまともに信じてしまった俺は役者を辞める事にした
すでに決まっていた仕事もキャンセルになり
その頃所属していた事務所にかなりの迷惑をかけた・・
昼は、祖父母の墓の前でボーッとして、夜になると不安で怖くなり眠れなくなるといった日々が続いた
暫くして、身体を診てもらっていた整体の先生から
「大丈夫なので、いらしてください」と言われたので
言ってみると食事制限もいらないし問題ないですよ
とおっしゃって下さりその後しばらく整体に通い症状も抑え芝居もできるようになった
それから痛くなったりすると整体の先生に診てもらう程度で
薬や検査もせず10年以上経った
何年から前から漢方楽も飲むようになった
保険が効かないのでとても高いが、良くなればと飲み続けていた
しかし、3月辺りから胃に少し痛みがあり
整体に行ってみると身体が歪んでいると言われに2、3度診て貰った
自分でも自律神経から身体が歪んでるのかな?と感じていたので先生のおっしゃる事を信じていた
ただ、とんでもなく痛くて動けない事や
痛みが二ヶ月以上続いたので10年ぶりに内視鏡カメラで見てもらう事にした
あれから医者が苦手だったのだが
入院している父の担当医や看護師さん達をみてるとこの人達なら信用できると思いお願いする事にした
最初の診察と検査の予約の時に
「本当に難病と診断されたのですか?」と驚いていた
そりゃそうだ、難病の患者が10年以上病院で診て貰ってないんだから
予約を済ませ胃酸を抑える薬と腸の検査の日、朝から飲み続ける下剤をもらって帰った
二週間後、まず痛い胃からだったが胃も十二指腸も綺麗だど言われた
しかし、まだ二週間後の腸の検査もあるし、検査の結果を聞くまでは安心出来ない・・
不安な日を悶々と過ごす
大丈夫!と楽観的な日もあれば、もしかしたら・・と不安になる日もあり
それがまたストレスとなる・・
腸の検査をする日の朝からニフレックという下剤を飲むのだが、これがクソまずい!
味はポカリスエットをもう少ししょっぱくして、口当たりを「もわん」とさせた感じ・・
これが上手く説明出来ないんだけど普通の飲み物のように「スルッ」と入っていかないのよ!
4リットル分を渡されたんだけれど1リットルまではなんとか飲めるんだけどその後の1リットルは吐きそうになりながら飲んだ
2リットルで腸の中が綺麗になったので残りの2リットルは飲まなくて済んだ
そして、腸の検査だがボーッとする薬と眠くなる薬を注射したので
10年前に比べては楽だが、痛かった!!
スッゲー痛かった!!!
持病の潰瘍性大腸炎以外は何も見つからなかったようだが
検査結果が出るまではまだ安心出来ない・・
その日は潰瘍性大腸炎の薬を貰い帰った
一週間後に結果を聞きに行ったのだが
潰瘍性大腸炎以外はなにも問題なし!
そして、詳しく説明をしていただいた。
今、日本でも10万人もいるらしくだんだん難病指定を受けづらくなっているそうだ・・
先生はとても優しく不安がらせないよう説明をしてくださった
ただ1年に1度は検査を受けた方がいいと・・
あの下剤と痛い検診が1年に1回か・・
胃の方も全く問題なしだった
原因はだいたい察しはつく、親父が倒れたり、会社の事などで色々あった頃に歯の矯正の先生から歯茎に腫瘍があるかもしれないと言われた
それも一度何処かに引っ込んで暫くした後に戻ってきて神妙な表情で・・
俺が
「でもくる前に歯間ブラシで傷つけちゃったので」
と言ったのに対して
「いや・・・でも色が・・・」とか
「悪性かもしれないから、少しでも大きくなったら連絡してください。大学病院で検査をしないといけないので」と脅かされた
ぱっと診てそんな事言うかね!
まだわからないなら、腫れて炎症してるので気になるから大きくなったら連絡してくださいとか
なんか言い方あるんじゃないかね!
親父が倒れて、俺もか・・
とかなり不安になった・・
他の医者に行ったら全く問題ないと言われたが三週間ずっと不安だったりしたのも原因なのではないかと思う

・・まぁ、でもちゃんと検査できて良かったか・・
体調を崩しており結構大変だったんだよね
10年前に潰瘍性大腸炎という病気になったんだけれど
その何年か前から筋トレ3時間プール1時間
そして、かなりカロリーを抑えた食事という自殺行為な事を続けていて
整体の先生にも筋肉が癒着してカチカチだし
お腹も弱っているからトレーニングは控えるよういわれても
身体が疲れている事に気付かなくて無茶しちゃってね・・
下痢から始まり下血になったので病院に行くと
かったるそうにしている女医が俺の肛門を広げて検診
広げた時に下痢でただれた直腸からこの世のものとは思えないほどのクッサイ屁が出てね
それが原因なのかその女医が冷たい冷たい
ていうか勉強ばかりで数式などはわかっても
人の気持ちがわからないバカ医者になってしまったのだろうな
下痢でただれた直腸を見た女医が
「何か変な物をお尻に入れた?」と聞いてきたので
「いやいや!無いですよ~!!そんな患者さんって結構いるんですか?」
といっても返事なし
「・・・まぁ、いないですよね・・」
ともう一度話しかけても返事なし
とにかくかったるそうにしている
内視鏡の検査の時も腸の曲がったあたりの通りづらい辺りになると内視鏡カメラを
風呂釜のパイプを洗うようにガツガツついてくる
その頃は麻酔をするなどなかったのでただでさえ痛いのにもううめき声しかでない
そしてそんな俺を挟んで医者たちが不安になる事を話し始める
検査が終わりグッタリして休んでいると隣の部屋から女医とさっきの医者達が
「なんで、(患者)不安がってるの?」と・・
お前らが横になって検査を受けてる俺の上で不安になる事を平気でしゃべってるからだろうが!!
ああ、バカなんだ!!
こいつらバカなんだ!
そしてそのバカ医者から三つの病名を言われ
多分この三つの内のどれかで検査結果は後日という事になった
不安になった俺は友人に電話をし、三つの病名と今の症状など話した
切り際に怖いので三つの病気がどういう物なのか俺に知らせないでくれと言ったのだが二日後にきっちり詳しく書いたメールが届いた・・
役者仲間に連絡すると
「なに~?死ぬの~?」と心ない返答が・・
こいつが重い病気になったら病室で満面の笑みでフレンチカンカンを踊ってやろうと思っていたが
まぁ、罰が当たったんだろうな
この後こいつは一度死にかけ、その何年後かにうつ病になった
不思議なのだが、今回もそうだったのだが
「死ぬの?」や「生きてるか?」などと言った相手の気持ちがわからないセンスのかけらもない返事をしてくるのは全て役者だったな・・
お笑い芸人さんは直ぐに
「大丈夫ですか?」など心配してくれる
ちゃんとONとOFFというかTPOというかわきまえているのだが
何人かの役者は面白い返答だと思っているのだろうか
テレビじゃねぇんだぞ!わきまえろバカ!!
話は戻るが、俺に丁寧に三つの病気の説明を送って来た友人が俺に元気になってもらうために日帰り旅行を企画してくれたのだが
女の子が来るからという理由で俺との日帰り旅行を断りスキーに行ってしまった・・
スキー焼けして帰って来た奴の口から出た言葉は
「山の神様にお願いして来た」
と言う言い訳だけ・・
俺は東京生まれだし、病気と山がどんな関係があるのかわからないが
お前に一生彼女が出来ませんように!!
そして、検査の結果は潰瘍性大腸炎
とにかくその女医は最悪で難病指定のこの病気についての説明はほとんどしない
難病指定になるとどうなるのかの説明もなし
食事の制限などは本でも買って読んでくれと言われ
大腸ガンになりやすいことを異常なほど不安にさせる話方で説明する・・
例えば、これからはまともな生活が出来ないなど・・
それをまともに信じてしまった俺は役者を辞める事にした
すでに決まっていた仕事もキャンセルになり
その頃所属していた事務所にかなりの迷惑をかけた・・
昼は、祖父母の墓の前でボーッとして、夜になると不安で怖くなり眠れなくなるといった日々が続いた
暫くして、身体を診てもらっていた整体の先生から
「大丈夫なので、いらしてください」と言われたので
言ってみると食事制限もいらないし問題ないですよ
とおっしゃって下さりその後しばらく整体に通い症状も抑え芝居もできるようになった
それから痛くなったりすると整体の先生に診てもらう程度で
薬や検査もせず10年以上経った
何年から前から漢方楽も飲むようになった
保険が効かないのでとても高いが、良くなればと飲み続けていた
しかし、3月辺りから胃に少し痛みがあり
整体に行ってみると身体が歪んでいると言われに2、3度診て貰った
自分でも自律神経から身体が歪んでるのかな?と感じていたので先生のおっしゃる事を信じていた
ただ、とんでもなく痛くて動けない事や
痛みが二ヶ月以上続いたので10年ぶりに内視鏡カメラで見てもらう事にした
あれから医者が苦手だったのだが
入院している父の担当医や看護師さん達をみてるとこの人達なら信用できると思いお願いする事にした
最初の診察と検査の予約の時に
「本当に難病と診断されたのですか?」と驚いていた
そりゃそうだ、難病の患者が10年以上病院で診て貰ってないんだから
予約を済ませ胃酸を抑える薬と腸の検査の日、朝から飲み続ける下剤をもらって帰った
二週間後、まず痛い胃からだったが胃も十二指腸も綺麗だど言われた
しかし、まだ二週間後の腸の検査もあるし、検査の結果を聞くまでは安心出来ない・・
不安な日を悶々と過ごす
大丈夫!と楽観的な日もあれば、もしかしたら・・と不安になる日もあり
それがまたストレスとなる・・
腸の検査をする日の朝からニフレックという下剤を飲むのだが、これがクソまずい!
味はポカリスエットをもう少ししょっぱくして、口当たりを「もわん」とさせた感じ・・
これが上手く説明出来ないんだけど普通の飲み物のように「スルッ」と入っていかないのよ!
4リットル分を渡されたんだけれど1リットルまではなんとか飲めるんだけどその後の1リットルは吐きそうになりながら飲んだ
2リットルで腸の中が綺麗になったので残りの2リットルは飲まなくて済んだ
そして、腸の検査だがボーッとする薬と眠くなる薬を注射したので
10年前に比べては楽だが、痛かった!!
スッゲー痛かった!!!
持病の潰瘍性大腸炎以外は何も見つからなかったようだが
検査結果が出るまではまだ安心出来ない・・
その日は潰瘍性大腸炎の薬を貰い帰った
一週間後に結果を聞きに行ったのだが
潰瘍性大腸炎以外はなにも問題なし!
そして、詳しく説明をしていただいた。
今、日本でも10万人もいるらしくだんだん難病指定を受けづらくなっているそうだ・・
先生はとても優しく不安がらせないよう説明をしてくださった
ただ1年に1度は検査を受けた方がいいと・・
あの下剤と痛い検診が1年に1回か・・
胃の方も全く問題なしだった
原因はだいたい察しはつく、親父が倒れたり、会社の事などで色々あった頃に歯の矯正の先生から歯茎に腫瘍があるかもしれないと言われた
それも一度何処かに引っ込んで暫くした後に戻ってきて神妙な表情で・・
俺が
「でもくる前に歯間ブラシで傷つけちゃったので」
と言ったのに対して
「いや・・・でも色が・・・」とか
「悪性かもしれないから、少しでも大きくなったら連絡してください。大学病院で検査をしないといけないので」と脅かされた
ぱっと診てそんな事言うかね!
まだわからないなら、腫れて炎症してるので気になるから大きくなったら連絡してくださいとか
なんか言い方あるんじゃないかね!
親父が倒れて、俺もか・・
とかなり不安になった・・
他の医者に行ったら全く問題ないと言われたが三週間ずっと不安だったりしたのも原因なのではないかと思う

・・まぁ、でもちゃんと検査できて良かったか・・




