それは、衝撃の結末だった。
ピーター・フォンダが演じる「キャプテン・アメリカ」と呼ばれるワイアットとデニス・ホッパーが演じる親友のビリーは、謝肉祭を見るためにハーレーに乗ってニューオリンズまで行った。
ワイアットは、アウトローとはいえ善人のように優しく、ビリーもどこか憎めないひょうきんなキャラクターである。
2人は、ようやく念願の目的を果たしたが、帰る途中の道で思わぬ凶事が待っていた。
彼らが長髪であるという理由だけで、見ず知らずの田舎のおっさんに車の窓からライフル銃で撃たれてしまうのである。
最初に撃たれたのはビリーで、転倒したバイクの横で息も絶え絶えに倒れていた。ワイアットが救助を求めるためにバイクを走らせる。
そこへUターンしてきたそのおっさんにワイアットのハーレーが撃たれて、車体が空中で分解して炎上する。
二人の命は風前の灯火で、誰も助けることがないまま映画はあっけなくジ・エンドになるのである。
開いた口が塞がらない私を見て、洋画や洋楽に詳しい親友が、「この映画は、今から4年前に公開された」と平然とした顔で教えてくれた。
『4年前というと1969年であり、私が中学3年生の時だ。高校受験のために部活を辞めて、勉学に励んでいた頃だ。そんな前に作られた映画なんだ』
と、改めて驚いた。
『イージー★ライダー』のあらすじとバックに流れる音楽
ワイアットと親友のビリーは、メキシコで麻薬を買い、それをどこかの大富豪に売って大金を手に入れる。
二人はその金で、1200ccのハーレーダビッドソンを2台買った。そのハーレーで謝肉祭が開催されるニューオリンズに向かうためである。
♪ 『ザ・プッシャー』 (ステッペンウルフ)
ステッペンウルフの『ザ・プッシャー』は「麻薬の売人」を意味していて、サイケデリックなスローな曲である。
二人のハーレーのハンドルは、ワイアットのはチョッパーでビリーのは一文字になっているレア物である。特にチョッパーハンドルについては、誰もが憧れたものである。
更に、ワイアットのガソリンタンクやヘルメット、着ている革ジャンの背中の模様が星条旗になっていて、私もいつか真似をしてみたいと思った。
ロスからニューオリンズに行く前に、ワイアットはどこかの空き地で自分の腕時計を外して捨てた。『これからは、時間を気にせずに自由に生きる』という意思の現れなのかも知れない。

いよいよ、長旅のスタートが始まった。
♪ 『ワイルドでいこう! 』 (ステッペンウルフ)
始まりに相応しく、軽快なロックのリズムと共に『本能の赴くまま、荒々しく生きようぜ』という歌詞が格好いい。私が一番好きな曲であり、時たま素人で組んだバンドで演奏することもある。
夜になり二流のモーテルに泊まろうとするが、『空室あり』の表示が『満室』に変更される。彼らの身なりを見た支配人に拒絶されたのであり、野宿することになる。
翌日、ワイアットのハーレーがパンクする。近くの農家に頼んで修理をさせて貰うが、食事まで御馳走になる。
食事をしながらワイアットは、「いや、全く見事な生活だ。大地と共に生きるのは立派だよ」と農家の主人を褒める。
農家の主人 その奥さん
再び目的地に向かうが、途中でヒッチハイクの男を見つけて、ワイアットが後ろのシートに乗せてやる。
♪ 『ワズント・ボーン・トゥ・フォロー 』 (バーズ)
キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンの作品で、内容は自由への憧れと都会の喧噪からの逃避行のようである。
途中、ガソリンスタンドによって給油する。男が乗せてもらったお礼にワイアットのタンクにガソリンを入れる。
ビリーがワイアットに「タンクに大金を隠していることを気づかれたら元も子もない」と小声で言うが、ワイアットは「大丈夫だ」と笑顔で答えた。
モニュメントバレーのような広大な景色が見える道を通る時、バックに流れてくるのがこの曲である。
♪『ザ・ウェイト』 (ザ・バンド)
ザ・バンドのロビー・ロバートソンが作詞、作曲をした大好きな曲である。洋楽好きの人なら、誰もが一度は歌っている名曲中の名曲といえる。ちなみに、サウンドトラック・アルバムでは、権利の関係によりスミスという歌手のカバー・バージョンが収録されているらしい。
夕方になり、3人は例のように野宿をする。ビリーがヒッチハイクの男に「どこから来たのか?」と尋ねても「困ったな。話せば長くなる」と答えるのを嫌がった。
それでもビリーが「前にいた所は?」と再び訊くと、「都会」としか答えなかった。「ただの?」とビリーが言うと、男曰く「都会はどこも同じだ」と嘆いた。
ワイアットが「違う人間になりたい?」と訊くと、男は冗談半分に「ブタになりたいよ」と答えた。「俺はこのままでいい」とマリファナを吹かしながらワイアットが呟いた。
翌日、やっとのことで男が拠点にしている所に辿り着く。そこは、彼がリーダーになっているコミューンであった。
彼らは都会からかなり離れた土地に住みついて、自足自給をしていた。20才前後の若者たちが多く、幼い子どもたちも何人かいた。
何ものにも拘束されない自由な暮らしを目指していて、マリファナを使用する事も許容されていた。
道化芝居をする者、ギターを弾いて歌う者、太極拳を披露する者、読書をする者、それぞれが思い思いの事をして日々を楽しんでいて、トラブルもない平穏な暮らしに見えた。
♪『Do Your Ears Hang Low?』(トラディショナルソング)
道化芝居の役者たちが舞台で歌っていた曲が、幼い子どもが歌う童謡である。日本ではフォークダンスの「オクラハマミクサー」で知られていてるが、曲そのものは『藁の中の七面鳥』である。
それでも、みんなの食糧を確保しなければならない。そのためには、荒れた砂地の土壌に種を蒔いて、それが実ることを期待していた。
♪『She'll Be Coming Around the Mountain』(トラディショナルソング)
ビリーが道化芝居の役者たちに冷やかされた時に歌われた。日本では『彼女は山からやってくる』という曲名であり、彼女とは汽車のことになる。
実際、この頃のアメリカではコミューンつまり共同体がたくさん作られたが、彼らにとって犯罪が渦巻く都会は住み心地が悪かったようだ。
映画の中のコミューンは、白人ばかりで黒人はいなかった。黒人を嫌っていたのか、人種差別をしていたのか分からないが、そこのところは少し気になった。
ワイアットに気があるコミューンの女性にせがまれて、ビリーともう一人の女性を連れて川の横にある温泉地に行った。裸になった4人は、水浴びをして遊んだ。
♪ 『ワズント・ボーン・トゥ・フォロー 』 (バーズ)が再び流れる。
リーダーから「ここに残らないか」と言われたが、ワイアットは「行く所があるので」と断った。
コミューンから出た後、二人は、どこかの町のパレードに出くわす。ハーレーに乗ったまま音楽隊の後ろについて行って、警察官に捕まってしまう。
二人は留置場に入れられるが、そこには先客がいた。ジョージ・ハンセンという男で、昨晩泥酔して周りに迷惑をかけたらしく、知り合いの警察官に連行されて中で寝ていた。
目が覚めた男が鉄の扉を開けて、その音にワイアットが驚く。ビリーが「友達を起こしたぜ」と怒るが、その男が素直に謝ったためその場は何事もなく済んだ。
若い警察官がその男に近づいて、「ハンセンさん、気分はどうですか」と訊いてきた。我々とは異なる対応に男が只の酔っ払いでないと気づいたビリーが、その警察官にタバコをねだる。
「野獣に火は危険だ」と断られるが、ジョージが「いい連中だから、やってくれよ」と頼む。
タバコを貰ったビリーは、「さっきは悪かった」とジョージに謝る。「いいや、いいんだよ。みんな同じ籠の鳥さ」
ジョージが、「君たちは運が良かった」ワイアットが「なぜ?」と訊く。「この街は、『アメリカ美化運動』の最中なんだ。先日も2人が髪を切られたが、この時は僕がいなかった」
ジョージが、自分は弁護士だと告げた。ビリーが「俺達を出してくれる?」と言うと、「人殺しをしてなければね。それも白人をね」
ジョージはこの街の有力者の息子であり、警察官たちは今回の事は親に知らせないと約束してくれた。25ドルの罰金を払って、3人は留置場から出られた。
「ご自慢のマシンとやらを拝見しようか」と、ジョージが満面の笑顔で言った。
「謝肉祭には6~7回出かけたが、いつも州境どまり。州知事から貰った高級娼家の名刺もあるんだが、私も行きたいな」と、ジョージが呟いた。
ワイアットが「ヘルメットはあるのか?」訊くと、「ヘルメットならある。ごついのが」と、ジョージが意気揚々と言った。一度は捨てたが、彼の母親が12年前に「貴方の息子にあげて」と貼り紙を付けて残しておいたアメフトの用のヘルメットであった。
結局、ジョージも謝肉祭に行くことになった。ジョージは、上機嫌である。
♪ 『鳥になりたい』 (ザ・ホーリー・モーダル・ラウンダーズ)
夜はやはり、野宿になった。ワイアットがジョージにマリファナを渡そうとしたが、中毒になるのを恐れたジョージは断る。「「いや、大丈夫だ」と言うワイアットの言葉を信じて、恐る恐る吸ってみる。
ビリーが突然、「おい、ありゃ何だろ?」と空を見上げて言った。「人工衛星のような物が空を横切って、急に方向を変えてスーッと消えた」
ジョージが、「それはUFOの光だよ。文化が進んでいる太陽系の宇宙人が、確かに地球上にいる」「人間と同じ形の金星人は、我々の社会に入り込み各地で活躍している」と説明し出した。
ビリーが「なぜ、我々に正体を見せない?」と言うと、「パニックになって、現体制がグラつくからさ」と、ジョージは得意気に言った。納得がいかないビリーであるが、3人はそのまま眠りについた。
朝になって、3人の旅は続いた。
♪ 『ドント・ボガート・ミー』 (フラタニティー・オブ・マン)
陸橋を通り過ぎると、街並みが見えてきた。立派な豪邸があり、貧相なあばら屋もある。貧富の差が歴然である。
♪ 『If6Was 9』 (ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)
3人は、休憩するために見つけたカフェに入っていった。
♪ 『Let's Turkey Trot』(Little Eva)
カフェのラジオから微かに流れていた。
カフェには、女子高校生らしき女の子たちがいて、保安官と地元の大人たちも屯していた。女の子たちは、3人に好意的だった。
「どういう連中かしら?」「バイクで来てたわ」「あんたの好みは?」「サスペンダーの赤シャツ」「私は白シャツ」
逆に大人たちは、彼らに対して敵意をむき出しにしていた。
「見ろよ。チンピラだ」「あれはカツラか?」「ゴリラの落ちこぼれか」「黒人女と合うぜ」
聞こえよがしに罵詈雑言を並べ立てた。
「問題を起こさないうちに、郡境で片づける」
険悪な雰囲気になっていて、ここで揉めたくないとジョージが懸念し、店から出ることにした。
「そろそろ出るか」 「行こうか」
女の子たちも出てきた。
「乗せてくれる?」「お袋の許しは?」「平気よ」
「♪窓から見てる・・♪窓から見てる・・」
窓からこちらを見ている大人たちを警戒して、ジョージがそう歌った。そして、3人はハーレーにまたがり去って行った。
夜になり、再び野宿になった。

ジョージとビリーが、カフェにいた大人たちの暴言に気持ちを抑え切れずにいた。
「アメリカはいい国だった。どうなっちまったんだ?」
「臆病になったのさ。二流のモーテルさえ泊まらせないんだ。何をビビッてやがるんだ?」
「怖がっているのは、君が象徴しているものさ」
「長髪が目障りなだけだ」
「違う。君に"自由"を見るのさ」
「"自由"のどこが悪い?」
「そう、何も悪くないさ。自由を説く事と、自由である事は別だ。カネで動くものは自由になれない。アメリカ人は、自由を証明するためなら殺人も平気だ。個人の自由についてはいくらでも喋るが、自由な奴を見るのは怖い」
「怖がらせたら?」
「非常に危険だ」
「夜中に食用ガエルと話したことは?」
「まあないね」
「俺はあると思う?」
「あるのか?」
「夜中に食用ガエルなんかと話す訳がないだろ」
「こいつ!」
ジョージの冗談にビリーの顔がほころんだ。
夜も更けて、焚火も消えた頃に惨事が起きた。昼間の大人たちが、3人の寝込みを襲ってきたのである。バールのような金属の棒で、否応なくしこたま叩かれた。
ビリーが悲鳴を上げた時には、暴漢たちは既に逃走していた。
ワイアットとビリーは、傷を負いながらも運良く命が助かったが、ジョージは即死だった。
「何て事だ」「遺品はどうする?」「家族に届けよう」「現金少々と運転免許証。紹介の名刺」「もう使えない」
それでもビリーは、高級娼家に行きたがった。
「娼家へ行ってみよう。その方が彼も喜ぶぜ」
2人は、ジョージが持っていた紹介の名刺をもとに高級娼家へ行った。
♪ 『キリエ・エレイソン』 (エレクトリック・プルーンズ)
キリスト教の礼拝時に歌われる祈りのようである。
待合室に2人の女が来た。カレンとメアリーという娼婦で、大柄のカレンをビリーが選び、小柄のメアリーはワイアットについた。
娼婦役の大柄の女は、その頃はまだ無名のカレン・ブラックが演じていた。
ビリーは、カレンといちゃいちゃしていたが、ワイアットはメアリーに何もしようとしなかった。

「街はもう謝肉祭が?」
「すごい混雑よ」
「そうか・・」
「私じゃダメなの?」
「いいや」
「私を買ったのよ」
「友達の分を払ったんだ」
「困ったわ」
「外へ出ようか。謝肉祭へ」
「OK」
♪『聖者の行進』
黒人霊歌の一つで、本来、葬式の時に歌われる曲である。
4人はどこかの墓地に入って行き、LSDを飲んだ。幻覚によって錯乱状態になった。
「何なのそれ?」「大丈夫、LSDさ」
『我は信ず 全能の神 天地の創造主を 神の独り子イエスを』
『処女マリアの子 十字架に死に 葬られ』
『父と子の精霊に栄えあれ』
『祝福あれ 胎内の御子イエスよ』
『レイン・・・』
『死にそう』
『私はここよ』
『私が欲しかった?』
『糧を与え 罪をゆるし給え』
謝肉祭も終わり、ワイアットとビリーの目的は果たされた。2人は、帰路についた。
♪『Flash, Bam, Pow』(エレクトリック・フラッグ)
その夜、ワイアットが浮かない顔をしていたので、ビリーが心配してはしゃいで見せた。
「とうとうやったな。俺たちは金持ちだ。フロリダで引退さ」
「いいや、ビリー。無駄だよ」
「どういう事なんだ?金もあるし、自由の身だ」
「ダメだよ。おやすみ」
そう言うと、ワイアットは静かに眠った。
その日、2人は早朝から出発した。
♪『イッツ・オールライト・マ 』(ロジャー・マッギン)
ボブ・ディランの名曲をロジャー・マッギンがカーバしたのである。
「おい、あれを見ろ。脅かしてやろうか」
車に乗っていた見知らぬ男が、ライフル銃を手に取った。
「ぶち抜こうか?」
「その髪を切れ」
「・・・」
「ドキューン!」
男が放った銃弾に当たって、バイクと共にビリーが倒れた。
その事に気づいたワイアットが、ビリーの元に行く。
「何て事を 待ってろ」
「やってやる!」
瀕死状態のビリーであるが、自分を撃った相手に対し怒りを露わにした。
「戻ろうぜ」
ビリーを撃った男が、車を運転している連れにUターンをさせた。
ワイアットは自分のジャンパーをビリーに掛けて、猛スピードでハーレーを走らせる。
「ドキューン!」
ハーレーの車体が空中で分離し、地上に落ちた時にガソリンによって炎上した。ワイアットの生死は、画面では分からない。
♪『イージー・ライダーのバラード』(ロジャー・マッギン)
その曲が流れて、エンドロールになる。
主な出演者について
この映画には、大物俳優が出ていない。低予算で制作された事もあって、無名の若手俳優たちばかりである。
ワイアット役のピーター・フォンダの父親は、名優ヘンリー・フォンダである。名作である『怒りの葡萄』の主人公役で、アカデミー主演男優賞にノミネートされている。
ピーターの姉のジェーン・フォンダも著名な女優であり、エロティックなSF映画『バーバレラ』に出演した後、『コールガール』と『帰郷』で主演女優賞を2度も受賞している。所謂、俳優一家でなのである。
ピーターは、『イージー★ライダー』に出演する3年前に、ヘルズ・エンジェルスの実態を描いた『ザ・ワイルド・エンジェルス』に主演で出ていた。共演者は、フランク・シナトラの娘であるナンシー・シナトラである。
デニス・ホッパーは、監督をしながら準主役を演じたのであるが、自分が思い描いた通りの映画になったのではないか。若い頃に、ジェームズ・ディーン主演の『理由なき反抗』や『ジャイアンツ』に出演していたが、その当時はまだ無名であり、『イージー★ライダー』によって名前が知られるようになった。
その後、飲酒や麻薬、映画会社との確執などで役に恵まれなかったが、デヴィッド・リンチ監督の『ブルーベルベット』で復帰した。
ジョージ役のジャック・ニコルソンは、アカデミー賞を12回もノミネートされている押しも押されぬ名俳優であるが、当時はやはり無名であった。
この映画によって演技力が認められ、『ファイブ・イージー・ピーセス』や『チャイナタウン』で主演を務める。1975年には、『カッコーの巣の上で』によってアカデミー主演男優賞を受賞した。
その後、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』で狂気の男や映画『バットマン』でバットマンの宿敵であるジョーカーを好演して観客を唸らせた。
この映画のテーマ
「自由とは何か?」「自由に生きるとはどういう事か?」という問い掛けのように思われる。
誰もが何ものにも束縛されずに、自分の思うままに生きていきたいと願うものである。しかしながら、現実はそれを許さない。様々な縛りがあり、決まりを守る善良な市民として生きなければならないのである。
アメリカ合衆国には、暗黒の時代があった。先住民を居住地から追いやり、奴隷として連れてきた黒人に自分たちにとって都合の良い法律を押し付け、従わない者は直ちに排除した。
更に反抗する者には、自分たちの保身のためという理由で銃をも使った。白人至上主義結社のクー・クラックス・クランなどが良い例である。そのような国で生きてきた多くの白人が、保守的で排他的な考えになってしまったのである。
1970年代はベトナム戦争や公民権運動があり、社会や政治に対する反体制的な批判が湧き上がった時であった。そのような混沌とした世の中に壁壁した若者たちも少なからずいた筈である。ヒッピーが理想の場を求めて、コミューンのような共同体を作ったのも頷ける。
ワイアットとビリーは、はっきり言って悪党である。麻薬の売買で金儲けをするような重罪人である。しかし、殺人や強盗はしていない。ただ単に「自由でありたい」という思いが強いだけの若者なのである。
「派手なバイクに乗って髪の毛が長い」という理由だけで悪党と判断されて殺されるのは有り得ない事だが、そのような目で見られる風潮が当時はあったのである。ある州の映画館では、二人が撃たれた事に観客から拍手が起こったこともあったようである。
ラストのシーンについては、2通りの説がある。ひとつは、「ワイアットは、ビリーを助けるためにガソリンスタンドか何かの店に入って、救急車を呼んで貰おうとした」という説。もうひとつは、「ビリーの仇を討ちに行った」である。
映画を観たボブ・ディランが、「なぜワイアットは、自分のハーレーを車にぶつけなかったのか」と質問したらしいが、大型の1200ccのバイクであっても相手が車では火を見るよりも明らかである。
私の友達は、やはり前者だと言った。何故なら、武器を持っていないワイアットなので復讐のしようがない。返り討ちに遭うだけだよ」
確かにワイアットの顔は、車の方に向いていなかった。親友を助けたいという一心な気持ちでハーレーを走らせたのだと思う。
ところで映画といえば、小学校の高学年の時に正月公開の「ゴジラシリーズ」と「若大将シリーズ」を恒例のように観ていた。
もっと幼い頃は、母親に連れられて「東映の時代劇」を観ていたのであり、勧善懲悪で最後に正義が勝つのが当然のような内容であった。
そのような映画しか観ていない私にとって、最後に主役級が無残に死ぬのは初めてであり、信じられないことであった。
このような映画はアメリカン・ニューシネマと呼ばれ、1960年代後半から1970年代半ばにかけてたくさん作られた。
代表的な映画に1967年公開の『俺たちに明日はない』や1969年公開の『明日に向って撃て!』がある。
前者は、銀行強盗犯であるボニーとクライドを取り上げて、ウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイが演じた。最後は、待ち構えていた警察官たちにハチの巣のように銃撃されて殺された。
後者の方は西部劇であり、これも銀行強盗犯であるブッチ・キャシディとサンダンス・キッドを主役にして、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが演じた。結末は、覚悟を決めた二人がボリビアの警察隊に向かって飛び出し、そこに無数の銃声が響いて終了である。
これらの映画も後になって観たが、どちらもショッキングなエンディングに余韻が残った。
ちなみに使われていた音楽は、前者は 『フォギー・マウンテン・ブレイクダウン』(フラット&スクラッグス)で、後者は『雨にぬれても』(B・J・トーマス)で、作曲はバート・バカラック、作詞はハル・デヴィッドである。
他にも『真夜中のカーボーイ』『ワイルドバンチ』『バニシング・ポイント』など余韻の残る作品はあるが、ストーリーの面白さと好きな洋楽がふんだんに使われている点から、私にとっての特別な映画は『イージー★ライダー』この一本になる。
本作は、カンヌ国際映画祭新人監督賞を受賞し、アカデミー脚本賞にノミネートされている。














































































































