ウッドストック・フェスティバル  1969年

 

 ニューヨーク州のサリバン郡ベセルにおいて、3日間に渡る大規模な野外コンサートが開催された。
 アメリカ合衆国におけるカウンターカルチャーを象徴する野外コンサートであり、ヒッピー時代の頂点を示す歴史的なイベントとして今も語り継がれている。

 降雨によるライブの中断があってプログラムの進行が大幅に遅れてしまい、実際には8月15日(金)の午後から18日の午前までの4日間になる。

 30組以上の人気フォーク歌手やロック・グループなどが出演して、3日間で約40万人の観客が集まったとされる。
 主催者側は1万人から2万人程度の入場者を見込んでいたが、事前に18万6千枚のチケットが売れ、入場者数は20万人を超えると予想した。
 当日は、予想をはるかに上回る多くの観客が来てしまい、その半数以上がチケットを買っていなかったので途中から無料コンサートになってしまった。

 

 

 主催者となったのは24才のマイケル・ラングで、ボブ・ディランなどのアーティストたちが暮らしていたウッドストックに、自分たちのレコーディング・スタジオを設立する資金集めの為にコンサートを企画した。
 共同主催者として、ジョン・P・ロバーツ、ジョエル・ローゼンマン、アーティ・コーンフェルドがいる。

 

    マイケル             ジョン           ジョエル          アーティ

 

 当初、会場予定にしていた場所が、周辺住民の反対運動にあって使用できなくなった。フェスの開催が危ぶまれたが、農場主のマックス・ヤスガーが名乗り出て、最終的に彼の所有する酪農農場になった。場所は、ウッドストックの西隣になる。

 この一帯は、アメリカインディアンの共同居住区で、一部の住民からは「ヒッピーが集まるヤスガー祭」と非難された。
  主催者とスタッフたちが広大な土地の整備をした後に、ステージやPAなどの機材を持ち込んで会場設営を整えた。

 

フェスの幕間で行われたヤスガー氏のスピーチ

「私はただの牧場主です。こんな大勢の前でどう話したらいいか分かりません」
「ただ一つ言えるのは、君たちが証明したという事です」
「この町だけでなく、世界に大事なことを証明しました。それは、50万の若者が集まって音楽を聴いて3日間楽しく過ごせたということです」
「それを成し遂げた君たちに神の祝福あれ」

 

もうひとり、フェスのために貢献してくれた人がいる。ホッグファームというコミューンから来たヒュー・ロムネイである。
 

自ら3日間の食糧を用意したり、会場の警備をしたりと何かと協力してくれた。

"Wavy Gravy" と呼ばれているユニークな人で、会場の周りを杖を突きながらカズーを吹いて歩いていた。

 

 フェスの収支は赤字であったが、ドキュメンタリー映画とライブ・レコードが発表されて、最終的には黒字になった。
 映画の方はマイケル・ウォドレーが監督を務め、マーティン・スコセッシが編集を担当した。1970年に『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』が公開され、アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。
 また、レコードも同年に3枚組のアルバム「Woodstock: Music from the Original Soundtrack and More」が、翌年には2枚組の「Woodstock Two」が発表された。

 

出演者
◎8月15日(金)午後から深夜                    
★リッチー・ヘブンス  5:00 p.m. – 5:30 p.m.

ニューヨーク、ブルックリン出身のフォーク・シンガー。
他のミュージシャンたちがまだ到着していなかったので、誰より早く会場に来ていた彼が開演のトップバッターになった。
「ゲット・トゥゲザー」「Handsome Johnny」「Freedom」など
 

★スワミ・サッチダナンダ  6:00 p.m. – 6:15 p.m.

インドの聖者。世界平和への祈祷を行った。
「これからのアメリカは、精神面でも世界に貢献するだろう」とスピーチする。
アメリカに滞在して、ヨガを広めた。

 

★スウィート・ウォーター  6:15 p.m. – 7:00 p.m.

カリフォルニアのロックバンド。
「Motherless Child」「What's Wrong」「Why Oh Why」
※彼女らの演奏は、映画には入っていない。

 

★バート・ソマー  7:15 p.m. – 7:45 p.m.

ニューヨークのフォークシンガー。
「Jennifer」「She's Gone」「Things Are Going My Way」「Smile」
※彼らの演奏は、映画には入っていない。
 

★ティム・ハーディン  8:30 p.m. – 9:15 p.m.

グリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンで、ボブ・ディランとも並び称された。
「If I Were a Carpenter」「自由の広場」
※映画ではステージではなく、どこかの空地でギターを弾きながら歌っている彼の姿が見られた。
 

★ラヴィ・シャンカール 12:00 a.m. – 12:45 a.m.

ロックのミュージシャン達に多大なる影響を与えたシタール奏者。ノラ・ジョーンズの父親。
※雨により途中で中止。
※彼の演奏は、映画には入っていない。

 

★メラニー 1:00 a.m. – 1:30 a.m.

ニューヨーク出身で、グリニッジ・ヴィレッジのフォーク・クラブで演奏していた。1971年に「心の扉をあけよう」がヒットした。
「Beautiful People」「ミスター・タンブリン・マン」
※彼女の演奏は、映画には入っていない。

 

★アーロ・ガスリー  1:45 a.m. – 2:15

父親は、ディランなど多くのフォーク歌手に影響を与えたウディ・ガスリー。映画「アリスのレストラン」で主役を務めた。
「Coming Into Los Angeles」「Walking Down The Line」「Amazing Grace」

 

★ジョーン・バエズ  3:00 a.m. – 3:45 a.m. 

ボブ・ディランと親交が深いフォーク歌手。澄み切った歌声が、会場に響き渡った。
「勝利を我等に」「Joe Hill」「Swing Low, Sweet Chariot」

 

◆一番手のリッチー・ヘブンスは、かなりの熱演だった。特に「フリーダム」では、シンプルなコード進行でありながら歌詞の内容を盛り上げて、観客は総立ちになった。曲のイントロが始まった時にメンバーのギターの音が出なかったようで、ミキサーへ「ギターマイク、プリーズ」というアナウンスがあって、ライブの臨場感が満載であった。

◆アーロ・ガスリーは、「NY高速道が閉鎖だ」と頻りに言っていた。どうやら他のミュージシャンと同様に、ヘリコプターで現地に来たようだ。若いこともあって人気タレントのような雰囲気を漂わせていたが、父親のウディが生きていたらアーロをどのように思っただろうか。





◎8月16日(土)午後から翌朝
★ザ・クイル  12:15 p.m. – 1:00 p.m.

ジョン・コールとダン・コールの兄弟を中心に結成されたボストンのバンド。
「Waitin' For You」
※彼らの演奏は、映画には入っていない。

 

★カントリー・ジョー・マクドナルド  1:20 p.m. – 1:30 p.m. 

アメリカ合衆国の歌手。兵役の経験のあるマクドナルドが、ベトナム戦争を皮肉った歌詞で観衆を沸かせた。
「The "Fish" Cheer/I-Feel-Like-I'm-Fixin'-to-Die Rag」
「I Find Myself Missing You」

★サンタナ  2:00 p.m. – 2:4

デビューしたてのサンタナ。ウッドストック・フェスをきっかけに、世界的に有名になる。
「Persuasion」「Soul Sacrifice」

 

★ジョン・セバスチャン(飛び入り参加) 3:30 p.m. – 3:55 p.m.

元ラヴィン・スプーンスフルのジョン・セバスチャンは、観客として来場していた。バックステージでスタッフの世話をしていた彼は、照明係のチップモンクに押されて飛び入り参加したのである。
「How Have You Been」「Rainbows All Over Your Blues」
「I Had a Dream」「Darling Be Home Soon」「Younger Generation」

 

★キーフ・ハートリー・バンド  4:45 p.m. – 5:30 p.m.

元ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズのドラマーのキーフ・ハートレイが結成したバンド。
「Spanish Fly」
※彼らの演奏は、映画には入っていない。
 

★インクレディブル・ストリング・バンド  6:00 p.m. – 6:30 p.m.

ロビン・ウィリアムソンとクライヴ・パーマーを中心にスコットランドで結成されたフォーク・グループ。
「Catty Come」「This Moment Is Different」
「When You Find Out Who You Are」
※彼らの演奏は、映画には入っていない。

 

★キャンド・ヒート  7:30 p.m. – 8:30 p.m.

アル・ウィルソンとボブ・ハイトを中心に結成されたブルース・バンド。2人は熱心なブルース研究家である。アル・ウィルソンはベンチャーズのドラム、メル・テイラーの弟であるが、ウッドストック・フェスティバルの翌年に謎の死を遂げている。
「オン・ザ・ロード・アゲイン」「A Change Is Gonna Come」
「Going Up The Country」
 

★マウンテン  9:00 p.m. – 10:00 p.m.

アメリカのハード・ロックバンド。貫禄あるレスリー・ウェストがワイルドに歌い、ブルージーにギターを弾きまくる。
「Stormy Monday」「Blood of the Sun」
「想像されたウエスタンのテーマ」
※彼らの演奏は、映画には入っていない。
 

★グレイトフル・デッド  10:30 p.m. – 12:05 a.m

サイケデリックを象徴するアメリカのロックバンド。リードギターのジェリー・ガルシアを中心に結成された。
雨の影響で機材に不具合が起こり、彼ら曰く「演奏は不本意だった」とのことである。
「St Stephen」「Mama Tried」「Dark Star」「High Time」
「ターン・オン・ユア・ラヴ・ライト」
彼らの演奏は映画には入っていないが、マリワナを持ったガルシアの顔がアップされていた。

 

★クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル  12:30 a.m. – 1:20 a.m.

西海岸出身のロックバンド。単純明快なロックンロールやブルース、カントリーから影響を受けたサウンドは、アメリカ南部の泥臭さを感じさせ、スワンプ・ロックの代表ともいえる存在であった。
リーダーのジョン・フォガティとトム・フォガティは兄弟。
「ボーン・オン・ザ・バイヨー」「プラウド・メアリー」「バッド・ムーン・ライジング」
※彼らの演奏は、映画には入っていない。

 

★ジャニス・ジョプリン  2:00 a.m. – 3:00 a.m.

会場に到着したヘリコプターから降りるのにも、彼女はふらついていたようだ。飲酒とドラッグにより窶れ果てて、時折声がかすれて出なくなっても懸命に身を振り絞って歌っていた。
ヘロインでラリっていた彼女の周りには誰ひとり近づかず、ひとりぼっちだった。
「Piece of My Heart」「ラヴ・サムバディ」
「アイ・キャント・ターン・ユー・ルース」  

 

★スライ&ザ・ファミリー・ストーン  3:30 a.m. – 4:20 a.m.

サンフランシスコを本拠地とした人種・性別混成のファンク・バンド。
スライの弟や妹、スライの友人とその親戚などがグループのメンバーになっていた。
「エヴリデイ・ピープル」「Dance to the Music」「Music Lover」
「I Want to Take You Higher」

 

★ザ・フー  5:00 a.m. – 6:05

ブリティッシュのロックバンド。
『トミー』のツアーで疲れていたピート・タウンゼントをウッドストックのスタッフたちが夜通し口説き落として出場させた。
「See Me, Feel Me」「Summertime Blues」「My Generation」

 

★ジェファーソン・エアプレイン  8:00 a.m. – 9:40 a.m.

アメリカ合衆国のサイケデリック文化を象徴するロックバンド。
リードボーカルであるグレース・スリックの「朝のマニアック・ミュージックへようこそ!」の一声で演奏が始まった。
「ホワイト・ラビット」など

 

◆カントリー・ジョーは、曲の冒頭で「give me aF」「give me a U」「give me a C」「give me a K」「What does that spell」と聴衆に向かって問いかけ、会場は大いに盛り上がった。
 観客は大ウケだったがスポンサーの上層部に疎まれて、バンドはツアーから永久追放されてしまった。

◆サンタナの演奏は、カルロス・サンタナのギターはもちろん、ベース、ドラム、キーボード、パーカッションのテクニックが優れていた。特に、マイケル・シュリーヴのドラムは、目を見張るものがあった。

◆ジョン・セバスチャンは、やっていたアシッドの影響か、曲の途中で歌詞を忘れて観客に助けを求めていた。それでも、優しい彼のギターと歌は心和むものであった。

◆スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、派手な衣装やサウンドのインパクトが大きく、彼のブラックミュージックは、会場の観客を一体化させた。

 

◆ザ・フーのピート・タウンゼントが、右手を振り回しながらギターをかき鳴らすのは真似が出来ない難しいテクニックだった。演奏のラストで、自分のギターを壊すパフォーマンスに驚いた観客も多かった筈である。

 

 

◎8月17日(日)午後から翌朝
★ジョー・コッカー&グリース・バンド 2:00 p.m. – 3:25 p.m.

イギリスのソウル・シンガー。アメリカでは知名度は低かったが、このフェスによって彼の情熱的なアクトと歌唱力が高い評価を得る。
「アイ・シャル・ビー・リリースト」「フィーリン・オールライト」
「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」など

 

★大雨の為、ライブが数時間中止になる。

黒い雲が会場に近づき、突風が吹いて雨が落ちてきた。「タワーから降りろ。危険だ」とアナウンスがあったが、落ちて怪我をした者はいなかったようだ。
「no rain, no rain」とみんなで叫び、通り過ぎる事を祈る。
 

泥でぬかるんだ地面を滑って、喜ぶハイな輩も何人かいた。

 

近くの湖に裸で入り、シャワー代わりに泥を落とし、水で遊ぶ人たち。

 

★カントリー・ジョー&フィッシュ 6:30 p.m. – 8:00 p.m.

大雨でスケジュールは3時間以上遅れてしまい、濡れたステージにバンドは上がれず立ち往生していた。
その時、カントリー・ジョー&フィッシュが「俺たちに電気は要らない」とステージに上がった。
「Rock & Soul Music」
 

★テン・イヤーズ・アフター  8:15 p.m. – 9:15 p.m.

イギリスのブルース・ロック・バンド。
超高速で弾くアルヴィン・リーのギターは観客から注目されて、フェスの出演が彼の名声を高めることになった。
「I'm Going Home」など

 

★ザ・バンド  10:00 p.m. – 10:50 p.m.

カナダ人4人とアメリカ人1人のバンド。当初はザ・フォークスと名乗っていて、合衆国を拠点に活動した。
ボブ・ディランのバックバンドで知名度を高めたが、その後、ディランのいるウッドストックに移り住み、バンド名をザ・バンドに変えてデビューした。
「ザ・ウェイト」「アイ・シャル・ビー・リリースト」など
※彼らの演奏は、映画には入っていない。

 

★ジョニー&エドガー・ウィンター  12:00 a.m. – 1:05 a.m.

白人でありながら、ブルースやロックンロールをこよなく愛したテキサス出身の兄弟ギタリスト。マディ・ウォーターズからも気に入られていた。
ジョニーのアルバムのレコーディングに、弟のエドガーも参加している。
「Tobacco Road」「Johnny B. Goode」など
※彼の演奏は、映画には入っていない。

 

★ブラッド・スウェット&ティアーズ 1:30 a.m. – 2:30 a.m.

当時大人気であったブラス・ロック・バンド。
セカンドアルバムからバンドに加入したデヴィット・クレイトン・トーマスのパワフルなボーカルと熱いホーンセクションが会場を沸かせた。
「Spinning Wheel」「You've Made Me So Very Happy」など
※彼らの演奏は、映画には入っていない。

 

★クロスビー、スティルス、ナッシュ& ヤング  3:00 a.m. – 4:00 a.m.

元バーズのデヴィッド・クロスビー、元バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス、ホリーズにいたグラハム・ナッシュが結成したフォークロックグループ。素晴らしいハーモニーと演奏で、観客を魅惑する。後にニール・ヤングが加わる。映画では、ニール・ヤングの姿は見られない。

「青い眼のジュディ」「ブラックバード」「木の舟」
「ミスター・ソウル」「自由の値」「Long Time Gone」など
 

★ポール・バターフィールド・ブルース・バンド  6:00 a.m. – 6:45 a.m.


シカゴ生まれのブルース歌手である。ハーモニカ奏者でもあり、マディ・ウォーターズに影響を受けた。
「Everything's Gonna Be Alright」など
※彼らの演奏は、映画には入っていない。

 

★シャ・ナ・ナ  7:30 a.m. – 8:00 a.m.

コロンビア大学の学生による、50年代のロックンロールに憧れて目指したバンド。金ラメの衣装や時代がかったパフォーマンスが異色であった。
「カム・ゴー・ウィズ・ミー」「The Book of Love」
「Duke of Earl」「踊りにいこうよ」「Teen Angel」など

 

★ジミ・ヘンドリックス  9:00 a.m. – 11:10 a.m.

アニマルズのベーシストだったチャス・チャンドラーに見いだされ渡英し、ノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルと「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」を結成する。
伝統的なブルースをもとに、斬新なサウンドや卓越したテクニック、圧倒的なインプロビゼーションを披露した。
エクスペリエンスの解散後、フェスにはジプシー・サン・アンド・レインボーズを率いて演奏する。
「ヘイ・ジョー」「ブードゥー・チャイルド」「星条旗」
「パープル・ヘイズ」「ヴィラノバ・ジャンクション」

 

◆ジミ・ヘンドリックス
 最終日のトリであるジミ・ヘンドリックスが登場したのは、18日の月曜日の朝8時30分だった。大半の観客がジミの演奏の前に帰ってしまったが、その中で音楽史に残る素晴らしいパフォーマンスを見せた。
 ジプシー・サン・アンド・レインボーズのメンバーは、ビリー・コックスとミッチ・ミッチェル、それにサイドギター1人とパーカッション2人である。
  アメリカ国歌「星条旗」においてのフィードバック・ノイズを使った情熱的な演奏は、言葉にしなくともベトナム戦争への抗議として捉えられた。数あるミュージシャンたちのパフォーマンスの中でも、一番の名シーンと言えるだろう。

 

フェスの風景

 会場には、「愛と平和、反戦」を主張するヒッピーや若者ら約40万人が集まったと言われている。
 高速道路が混み合い、悪天候であったにも拘わらず予想外の大規模なフェスになったために、宿泊テントや食糧などが足りない状態になった。それでも参加者たちは、食べ物などを分け合ったりして助け合った。
 ヒッピーの中にはドラッグを使用する者もいたが、暴力事件などはほとんどない平和的な祭典になり、交通事故での死者が1人と2件の出産が記録されているだけである。

 

出演を断ったアーティスト
ボブ・ディラン、ビートルズ、ドアーズ、レッド・ツェッペリン、ジェスロ・タル
ジェフ・ベックグループ、フリー、ムーディー・ブルース、バーズ
ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション、トミー・ジェイムス&ザ・ションデルズ
ポール・リヴィア&ザ・レイダーズ

 

その後
 1979年にウッドストック10周年記念コンサート「ウッドストック・リユニオン」が開かれたのに続き、1989年、1994年、1999年に記念コンサートが開かれている。

 1994年の25周年記念コンサートは『Woodstock II』と呼ばれ、ボブ・ディランやクロスビー、スティルス&ナッシュらが出演し、約30万人を集めた。2019年にも企画されたが、中止された。

 

永遠の「ウッドストック・1969」
 私がこの映画を観たのは、高校生の時だった。洋楽が好きな親友に誘われて、上映中の3番館にいっしょに入ったのである。
 この頃は、熱狂的であったグループ・サウンド・ブームが去って、メッセージ色が強いカレッジ・フォークが全盛の時だった。
 親友は、「規模が途轍もなく大きいフェスであり、たくさんの有名なミュージシャンが出演している」と熱く語ってくれたが、洋楽の事をあまり知らない私にはさほど興味が湧かなかった。 
 それから数年後、ロックやポップスなどの洋楽が好きになっていた私は、このフェスがどれだけ素晴らしい野外コンサートであるかが分かってくる。それで3枚組のレコードを別の友だちから譲ってもらい、毎日のように聴いた。
 野外コンサートは、他にもモンタレーやワイト島などがあるのだが、私にとっては「ウッドストック」が別格のフェスになっている。
 懐古趣味と言われるかも知れないが、還暦をとうに超えた歳になってもDVDの映像を観る度に、当時の熱気が伝わってきて心が熱くなってくるのである。