年末の特別番組「今年の重大ニュース・トップ・テン」
 最近、テレビでよく見掛けるお笑い芸人の川戸アキラが、生番組の司会者に抜擢された。思わぬ大役に喜んだ川戸ではあるが、生放送中での失敗は許されないのであり、少し神経を尖らせていた。
 そのサポート役として、グラビアモデル出身の山吹茜に声がかかった。容姿は勿論のこと、常に落ち着いた口調で物怖じしない性格なので、中年層に人気があった。
「今晩は。番組の司会を務める川戸アキラです」
「アシスタントの山吹茜です」
 正面のカメラが二人の顔を同時に捉えたが、両人とも普段とは違う神妙な面持ちで切り出した。
「今年もあと数日を残すだけとなり、押し詰まって参りました」
「月日が経つのが、本当に早いと感じます」
「振り返ってみると、いろんな事がありましたよねぇ」
「そうですね。その中には、大変ショッキングな事件も起こっています」
 これから取り上げられる事件を考慮したのか、いつもは愛くるしい山吹の顔が曇っていた。
「これらの事件については、各分野で活躍されている評論家の方々にご意見を頂きます」
 コメンテーターとして呼ばれた評論家たちが、両側のカメラによって映し出された。
「では、まずこれからです」
大型パネルにニュースの標題が表示された。
「観光船の沈没事故ですね」
「あれは酷い事件でした」
 

 

「事故当日は、周りの漁船が昼からの出航を止める程の危ない天候だったようです」
「強風や高波などですね」
「悪天候にも拘わらず観光船を運航してしまい、それによって船内への浸水が起きたのが直接の原因だと言われています」
「海中に投げ出されたのは、船長と船員、24名の乗客でした」
「乗客の中には、幼い子どもが2名いましたね」 
「4月とはいえ、知床半島西海岸の沖合ですから、海水は身を切るような冷たさだったでしょう」
「泳ぐこともできない程で、乗客の中には死を覚悟した人もいたようです」
「携帯電話で、『今までありがとう』と奥さんに感謝と無念の思いを伝えた人ですね」
「全員救命胴衣を着用していましたが、寒さで気を失うのは明らかです」
「意識がない状態で極寒の高波に漂っていては、命の助かりようがありません」
「何とも残念な事故ですね」
「今の時点では、死亡者が20名、行方不者が6名と報告されています」
「事件後の調査によると、観光船が届け出た経路とは異なるコースを運航をしていたことが分かりました」
「海中に岩礁などの障害物が潜む危険なコースですね」
「また、船舶の整備不良も指摘されています」 
「更に、連絡手段である無線の故障もあったようです」
「あってはならない事が、重なっていたのですね」
「あの社長の釈明は、まるで他人事のようで酷かったですね。誠意がまったく感じられず、腹が立ちました」
「まったくです」
コメンテーター全員が、首を縦に振って頷いた。
「二度とこのような事件が起こらないように、会社側は安全面において充分な管理と意識を持って欲しいものです」
司会の川戸が、訴え掛けるような厳しい眼になってまとめた。
「それでは、次の事件に参ります」
アシスタントの山吹によって新たな標題が映し出された。
「ほお、連続強盗・特殊詐取事件ですか」
「『ルフィ』名乗るリーダーとそのグループによる犯行でした」

 

 

「闇名簿が出回り、資産家がターゲットになったようですね」
「強盗だけでなく、殺人までやる極悪非道な輩です」
「主犯格がフィリピンで捕まりましたが、まだ全容がつかめず、解決には至っていません」
「特殊詐欺の犯人たちも、捕まらないようにと用意周到ですね」
「かなりの用心深さが伺えます」
「頭が切れるんだったらこんな悪事でなく、もっと建設的な事に使えばいいのに」
「楽して金持ちになりたいのでしょう。そのためには、他人がどうなろうと知ったことではないのです」
「お金を奪われて殺された方がとても気の毒です。これから先も、こんな犯罪が増えていくのでしょうか。そう思うと、安心して寝てられないです」
「倫理観などない輩です。あの手この手で騙そうとするでしょう」
「資産家は、卑劣な被害に遭わないように常に用心しなければなりませんね」
「物騒な世の中になったもんだ」
「それに関連していますが、若者たちが手を染めている闇バイトも問題になっています」
「宝石店などを狙った強盗犯ですね」
「先程の『ルフィ』と同様に、彼等に指図している主犯格がいるようです」
「現地で犯罪をする実行犯は、十代の年少者が多いと聞いています。高校生だけでなく、中学生もいるようですね」
「この世には、糞野郎が多過ぎるわ。また、今の若い奴らは何を考えているのか訳が分からん。日本の教育者たちは、子どもたちに一体何を教えているのかね」
元プロレスラーの浜谷洋介が、正面のカメラに向かって声を荒げた。
「犯罪の原因は、教育者だけの問題ではありませんよ。親たちにも責任があるんです」
教育評論家の芝崎加奈子も参入してきた。
「どういうことなんだ?」
浜谷が顔を引きつらせた。
「子どもたちは、学校で道徳を習いますよね」
「ああ、習うわな」
「ところが、成長するにつれて気付いてしまうのです。口先の綺麗事など、世の中では通用しない事を」
「学校で道徳的な理念を聞かされても、現実は違うことを実感する訳だ」
元暴走族の総長であった俳優の高木透も参入してきた。
「子ども達の一番身近にいるのは、誰ですか」
「そりゃ、親に決まっているだろ」
「その親も人間です。神や仏じゃないのであり、数多くの煩悩を持っています」
「不倫している親やギャンブルに余念のない親なんかは、煩悩の固まりだな」
「放任主義というのは聞こえが良いが、子どもに好き放題させているアホな親もいるな」
「子育ては妻に任せっきりで、家庭を顧みない夫も考えものだね」
「逆に、独裁者のような親も嫌だよ」
「酔っぱらうと人格が変わり、暴力的になる親がそうだ」
「躾とは名ばかりで、日頃の憂さを子どもに向けるような親も困ったもんだ」
「そんな親は、まだましな方だよ。虐待で子どもを死に追いやった親もいるんだからね」
「子どもの健全な成長を願う一方、過度に期待をかけてしまう親も厄介だ」
「教育熱心なの良いけれど、そこには見栄や外見を気にする親が常に存在します」
「どの親も、二流や三流でなく有名な大学に進学して欲しいと思うわな」
「子どもにとってはプレッシャーであり、一つ間違えば親を殺す動機になるのです」
「過去にそんな事件があったよな」
「浪人生がバットで父親と母親を殴り殺した事件だろ」
「親も子どもの将来を考えての叱咤のつもりなんだろうけど、何度も言われりゃなあ」
「こんな親は、どんな時代になってもなくならないだろうよ」
「親も色々さ」
「いや、親というより、大人たちに問題があるんだよ」
「保身のために平気で嘘をつく大人、責任を転嫁する大人、上役にはおべっかと愛想を振りまく大人、味方をすぐに裏切る大人、面倒な事になると逃げ回る大人、見ていて知らぬ振りをする大人、努力をまったくしない大人、贔屓や差別をする大人、思い通りにならないとすぐにキレる大人、順番を守らない大人、万引きをする大人、嫉妬する大人、たれ込む大人、そんな大人がどれだけ多いことか」
「俺も偉そうなことは言えねえけどよ。社会のルールを守らない輩がたくさんいるのは、事実だよな」
「盗撮、痴漢、強姦、強盗、詐欺、マルチ商法、霊感商法、保険金目当ての毒殺と、いやはや怖ろしい世の中だよね」
「結局、道徳観や倫理観とは異なる実社会の在り方に、若い奴らは幻滅するのだろうね」
「『自由だ』『平等だ』と謳っていても、すべてが競争になっている世の中に壁壁しているのさ」   
「交通規則だって、律儀に守っている人はほとんどいないわ」
「シートベルト非装着、片手運転、一旦停止違反、スピード違反、駐車違反、追い越し禁止違反、信号無視、あおり運転、ひき逃げ、ながらスマホ、マフラーの爆音など切りがないわね」        
「たまに一方通行の道を知らずに逆行する人がいるが、わざと逆行する輩もいるわな」
「危険極まりない輩だ」
「そういう不埒な大人を子どもたちが見習う訳だ」
 羅列された言葉に心当たりがあるコメンテーターたちは、自分の心中を悟られないように苦笑いをした。
「でも、大人だけが悪い訳じゃないわ。子どもだって、陰湿な悪事をするものよ」
「学校でのいじめや仲間はずれは、なくなるどころか増えているものね」
「子どもでも、嫉妬や妬みを抱く時が結構あるんだよ」
「大人より、小さい子どもの方があからさまに出るからね」
「屯した中学生が、公園で寝ている浮浪者を袋だたきにするのもよくある話だ」
「浮浪者だって人間だ。それを虫けらのように殺そうとするのは、どんな神経の持ち主なんだろ」
「面白けりゃ、何でもいいんだよ」
「回る寿司店でのいたずら行為を動画で配信した中学生は、どうしょうもないアホだな」
「店のイメージダウンになり、中学生の親に高額な賠償金が請求されるでしょうね」
「今更謝っても、どうにもならんし」
 様々な意見が出て討論は盛り上がったが、ディレクターから巻きが入ったので、川戸は次の事件に切り換える事にした。  
「まだまだ話が尽きませんが、これ以上にショッキングな事件が起こっています」
「元内閣総理大臣への銃撃事件ですね」
「かなり昔にそのような事件があったようですが、近年の日本では考えられない殺戮です」
「宗教問題が関わっていて、犯人に同情する声も挙がっていますが」
「政治家と宗教団体との癒着ですね」
「理由がどうあれ、テロはいけません。別の方法で政治家の裏側を暴露すれば良かったと思いますよ」
政治評論家の乾秀明が真っ先に声を挙げた。
「それができないから、殺人に至ったのでしょう。死刑覚悟の自己犠牲を伴った凶行であり、只の怨恨による殺人とはまったく異なります」
若くして実業家の斉藤博之が声高に反論した。
「それはそうですが、こんな事を認めるとまた同じ事が起こりますよ」
「そう頻繁には起こりませんよ」
 更に白熱した議論になってきたが、収拾がつかなくなる前に川戸が矛先を替えようとした。
「記憶に新しい事件に、北朝鮮のミサイル発射がありますよね」

 

 

「毎度の事ながら、非常に迷惑な話です」
「我が国にとっては、最も警戒すべき脅威であると思います」
「軍事力のアピールでしょうが、そんなものに金を使うより、苦しい生活を強いられている国民のために使えばいいのに」  
「国民の事よりも国家の面子なんですよ」
「どうしようもない支配者です」
「厄介な国ですよね」
「確かに厄介です」                           
 誰もが賛同している中で、ひとりだけ複雑な気持ちになっている評論家がいた。彼は若い頃にマルクス主義に傾倒していて学生運動もしていたのであり、ようやくこの年になって理想と現実のギャップを感じ始めていたからである。
「厄介と言えば、ロシアですね」
「ロシア軍のウクライナ侵攻も、なかなか終わりが見えないようです」
「ロシアの大統領が意地になっているのでしょう」
「彼にとっては、ウクライナの西側への歩み寄りが癪に障るのでしょうね」
「『NATO』への参加ですね」
「ロシア側としては、兄弟国であるウクライナが西側に行くのは、どうしても許せないのです」
軍事評論家の大和田次郎が参入してきた。
「しかし、これは単なる兄弟喧嘩ではありませんよ。兵器による殺戮によって、ウクライナを引き留めようとしているのですから」
「通常の神経では有り得ないことです」
「気が触れているとしか言いようがないですよね」
「この事について、ロシアの国民はどう思っているのでしょうか」
「本当の事を知らないのじゃないかな」
「そうだとしても、大統領を除いて戦争を望む者は誰もいないでしょうね」
「兵士たちも、口には出さなくとも内心は戦争を止めて欲しいと思っている筈です」
「長引くと、兵士だけでなく民間人も犠牲になりますからね」
「ところが、大統領は常に好戦的で、止めようとはしません」
「一体、何があそこまでさせるのでしょうか」
「おそらく、戦争をしたがる輩に背中を押されているんでしょうね」
「それは、軍部の幹部たちですか」
「いえいえ、そんな人たちじゃなく、普通の民間人です」
「ほう。世の中にそんな民間人がいるんですか」
「います。戦争をすれば喜ぶ人がね」
「誰ですか。その喜ぶっていう人は?」
「それはですね。所謂、『死の商人』と呼ばれている人たちです」
「はは。武器商人の事ですか」
「そうです」
「確かに戦争が起これば、兵器が売れて儲かりますものね」
「表沙汰にはなっていませんが、武器商人が戦争になるようにと裏で糸を引いているのです」
「本当なんですかねぇ」
「信じられないですね」
「いやいや、有りうる話です。過去に起こった戦争を調べれば分かります」
「朝鮮戦争やベトナム戦争もですか?」
「はい。すべての戦争の原因が武器商人であるとは限りませんが、大抵はそうです」
「確かに、どこの国が勝とうが負けようが一番得するのは彼等だな」
「戦争とは異なりますが、アメリカなどで起こっている銃乱射事件も同じ事が言えます」
「どういうことでしょうか?」
「あのような悲惨な事件が起こるのは、国民の銃の所持を政府が認めているからです」
「確かにそうですね。日本では有り得ない殺戮ですからね」
「現在、米国では多くの国民が銃の所持に反対していますが、一向にそのようにはなりません」
「なってませんね」
「それは、何故だと思います」
「その昔、銃の所持が黒人やヒスパニックの犯罪に対抗するための手段だったので、その名残なのでしょう」
政治ジャーナリストの国松一樹が口を挟んだ。
「自分の身は自分で守るというやつですね」
「そうです。以前は、銃が犯罪の抑止力としての役割を担っていたのです」
「うむ」
「ところが現在では、警察やFBIがその役割をしています。誰かが罪を犯せば、すぐに捕まり罰せられるのです」
「もはや、昔のような治安が非常に悪い時代ではないという事ですね」
「そうです。それなのに銃を許可するのは間違っています」
「昔からの悪しき風習が、このような事態を招いている訳ですね」
「無差別殺人以外の銃による犯罪も、未だに減らないものね」
「無防備な所で、ライフル銃なんかを乱射されれば逃げようがないわ」
「つまり、すべての国民が銃を持たなければ、あのような事件は起きないのです」
「確かに」
「もし、犯人が銃でなくナイフを使ったとしたら、逃げることで難を逃れられる可能性が高いと思います」
「素手の喧嘩と凶器を持った喧嘩では、傷害の度合いが違いますものね」
「凶器になると、下手をすれば死に至るわね」
「結局、そのような理由から、国民の銃の所持は政府が禁止すべきなのです」
「それが分かっていて、なぜアメリカ政府は、国民の銃の所持を禁止しないんだ」
「それは、全米ライフル協会がそれを認めないからです」
「ライフル協会に政府を黙らす力が有ると言うのかい」
「はい。全米最強のロビイストである協会に、政治家が逆らうことは出来ないのです」
「政治家の奴らは、自分の保身のためなら平気で味方を裏切るからな」
「協会は、お得意さんである国民に銃を売りたいだけなんだろ」
「銃によって人の命が危うくなるというのにな」
「日本の原発だってそうだよ。日本は地震国で危険極まりないのに、再稼働をしようとしているだろ」
「福島の大震災で分かっている筈なのにな」
「結局、『絶対に安全です。地震が起きても施設が潰れる事は有り得ません』というのは、詭弁に過ぎなかったのさ」
「要するに、政府は原発を外国に売りたいだけなんだろう」
「政治家と大企業は繋がっているからな」
「物事が起こるには、何らかの理由と原因があります。見えている部分だけでは、物の本質を掴む事は出来ないのです」
国際評論家の山内猛が声を挙げた。
「確かにそうですね」
「同じように、世界中に甚大な被害をもたらした新型コロナの流行は、自然災害ではなく人為的災害であると言う人がいます」  

「作為的にばらまかれたという説ですか」
「はい」                 
「最も疑われたのが、中国の武漢にあるウイルス研究所です。そこでは、コウモリを宿主とするコロナウイルスを10年以上も研究していました」
「そこから、新型コロナが広がったとされていますね」
「感染クラスターが最初に発生したのは、その研究所の近くの華南海鮮卸売市場です。市場では、家禽用として野生動物が生きたまま売買されていましたが、コウモリはなかったようです」
「それが本当なら、誰かが市場にウイルスをばらまいたことになるな」
「それに、もし野生のコウモリが原因であれば、もっと以前に新型コロナが流行していた筈です。感染が広がったのはごく最近であり、何かタイミングが良すぎると思いませんか」
「何故、そんな事をする必要があったのでしょうか」
「その感染力と致死力を試すためだろうね」
「人が直ちに死ぬような細菌兵器になると、国際的な問題になってしまいます。あらゆる国が、その責任を追及するになるでしょう」
「そこで、感染しやすい病人や年寄りでも、適切な治療によっては完治できるウイルスを作ったのです」
「その意図は?」
「中国は現在、台湾との統一、香港に国家安全維持法の押しつけ、ウイグル自治区への弾圧など未解決の問題が山積です。また、天安門事件のような自由化を求める声もあって、予断を許せない状態なのです」
「そのような諸問題をそらすためにやったというのか」
「その可能性がないとは言い切れません」
「あの国は、手段を選ばない国だからなあ」
「その一方で、『コロナの黒幕は米国だ』と、中国側が反論していますが」
「元凶の大元は、アメリカ合衆国ですか」
「単なる言い逃れでしょう」
「いやいや、あながちそうとはいい切れません」
「何故ですか」
「このコロナの流行によって、一番得する所はどこですか」
「・・・」
「製薬会社ですね」
「ピンポーン」
「しかし、それはちょっと飛躍し過ぎじゃないですか」
川戸が、ここのスポーンサーである製薬会社に気を遣って言い返した。
「儲けるためには、詐欺でも殺人でも平然とやってしまうご時世です。善人を装っていても、極悪人はいるのです」
「無料のワクチン提供も只のカモフラージュか」
「確かに、製薬会社は利益第一主義だからなあ」
「裏で糸を引いている大物のフィクサーもいるかも知れない」
 その言葉を聞いて、ざわついていた一同が即座に静まりかえった。
 時間の制限もあり、収拾がつかない状態になるのを危惧して川戸が山吹に眼で合図を送った。
「気が動転するような悪いニュースばかりが続きますが、ここで一つ、国民の皆さんが最も感動したニュースに注目してみましょう」
  大型パネルの標題が変わり、今年一番の喜ばしいニュースが表示された。         
「WBCの優勝ですね」

 

 

「準決勝までは相手チームに先行されて、ハラハラしましたよね」

「よく諦めずに逆転してくれたよ」                                                
「決勝戦も、メジャーばかりの米国選手を相手にしっかりと守って、しっかりと打ってくれたわ」
「打っても投げても、大谷やダルビッシュの存在が大きかったと思うね」             
「そうだな」
顔を綻ばせたみんなは、喜びを露わにしていた。    
「ここで水を差すようで何ですが、私はWBCの優勝よりもその前にあったワールドカップの方が凄かったと思います」
「どうしてだい。日本はベスト8にも届かなかったんだぜ」
「下馬評を覆して強豪国のドイツやスペインに勝ち、決勝トーナメントまで行きましたからね。クロアチアには惜敗しましたが、よく健闘したと思いますよ」
「それでも、米国のメジャー軍団に勝って優勝したんだよ。何が不満なんだい」
「その理由は、競技人口の違いです。サッカーは約2億5千万人になりますが、野球になると約3千5百万人しかいません」
「普及率の違いという事か」
「野球が盛んな国は、米国、ドミニカ共和国、ベネズエラ、メキシコ、キューバ、オランダ、日本、台湾、韓国ぐらいで、ヨーロッパや南米ではあまり人気がありません」
「米国近辺の国は別として、発展途上国の子どもは野球よりサッカーを選ぶだろうな」
「草野球でも、バットとボールとグローブは欠かせないからね」
「野球は、道具にお金が掛かり過ぎるんだよ」      
「最近は、野球が禁止されている公園ばかりだね」
「危なくて、幼児が遊べないからね」
「野球には、未来がないという事だな」
「いやいや、未来がないのは相撲だよ」
「日本の国技であるのに」
「このところ横綱になっているのは、モンゴル人ばかりじゃないか」
「確かにな」
「まあまあ、みなさん。スポーツ界だけでなく、将棋界においても頼もしいヒーローが誕生しましたね」
「藤井聡太さんだね」
 

 

「史上最年少でプロ入りを果たし、現在、竜王、名人、王位、叡王、王将、棋王、棋聖の七冠を達成しています」
「王座も制すると、八冠になるね」
「羽生さんが七冠になった時もかなり騒がれたけれど、藤井さんの八冠は途轍もない偉業になるね」
「本当に凄い棋士だと思うわ」
「近年、棋士の称号がやたらと多くなっていると思うんだけど、昔は名人だけだったんじゃないか」
「多くなった理由はいろいろあるようだけど、要するに賞金を出すスポンサーが増えたという事さ」
「藤井さんの頭の中は、一体どうなっているんだろう」
「並の頭脳じゃできない事だからね」
「それでも、AIには負けてしまうんだよね」
「どんなに優れた頭脳の持ち主でも、限界があるからな」
「結局、計算のスピードなんだよ。AIも人の知識の蓄積で出来ているんだけど、『いかに早く正解を見付けるか』という事が重要になるのさ」
「これから先、人工知能の計算速度は、益々速くなっていくのだろうね」
「国を上げての開発競争が激しいからね」
「いくら速くなっても、難病の治療法を発見したり、月の誕生やブラックホールの謎を解明したりはできないのだから、人の脳とは異なるものさ」
「もしそれができたら大変だ」
「まさか、映画の『マトリックス』のように、世界がAIに支配されることはないだろうね」
「AI自身が自己意識を持ってしまうということかい」
「ああ」
「それは、天地がひっくり返ってもないだろうよ」
 その一言で会場に笑い声が漏れて、川戸もようやく肩の荷が下りたような気持ちになった。