人生初の胃カメラ検査を受けました。緊張します。

 

   「もしもガンだったら。。。」。時折、不安が押し寄せる中、順番を待ちます。

   ここの病院では口からカメラを入れます。場合によって注射による鎮痛剤を使うとのことで、注入可能なように腕に針だけ刺しておきます。

 

   鎮痛剤、あまりムダに体内に入れたくないので、「苦しくて我慢できないようであればタップして伝えますので、その時は使って下さい」とお願いしました。

 

   カメラの管でのどが痛くならないように、のどに麻酔します。飲み薬だったか、塗り薬だったか。変な味がして、のどがしびれてる感じで、めちゃくちゃ気持ち悪い。

   

   で、いざカメラ挿入。

 

   細そうに見えた管が、のどに入った瞬間、

 

   「う゛ぇ~~~!!!!!」

   えづいて、胃からモノが出そうで。よく考えると、そりゃそうで。

   指をのどに突っ込んで吐く、というのとほぼ同じことをやってるわけで、苦しくないはずがない。

   吐きそうなのを耐えられない。

 

   ずーーーっと、「う゛ぇ~~~!!!」って言っていたら、「のどが傷つくので力まず力を抜いて下さい」と。

 

   ムリ!ムリです絶対!!

 

   管を挿入する医師と、僕の身体を羽交い締めにする看護師と。

 

   胃カメラを挿入してから鎮痛剤タップするまで、10秒あったでしょうか。

   鎮痛剤注入後、すぐに眠るように意識がすっとなくなり。

 

   意識が戻るとすでに1時間ほど経過しており、ベッドで横になっていました。

 

   さらにその1時間後、検査結果の発表。

   

   医師は開口一番、「きれいな胃ですねえ」。

   エコーの検査結果も問題なし。

 

   よかった。ガンでもなんでもなかった。

 

   その循環器内科の医師はとても淡々と説明しました。こちらを見ることもなく、事務的に。

   この人は僕に話してるんだろうか。

 

   もう少しだけ親身な対応を望むのは理想が高すぎるでしょうか?

 

   胃の画像を見て変色している部分について、「カメラで少しキズが付いてますね。まあそういうもんですから」と。

 

   そういうもんなんですか?

 

   大切な身体を守るための検査が身体を傷つける。そりゃあね、ガンが発見できるなら少しは仕方ないかもしれない。

 

   でも、本当にそれでいいのか。なんだか素直には納得できない。まあ、言い方だけの問題かもしれませんが。

 

   検査結果は良好。でも体調は変わらず悪いまま。のども違和感があるし、胃腸も、身体全体もしんどい。なぜか微熱も続く。風邪なのか?頭痛も強い状態が続いている。

 

   幸いガンではなかったが、なにか別の悪い病気なんじゃないか。体調不良が続く限り、不安も続きます。

 

   さらに1週間後に再び漢方内科へ。くしくも誕生日。医師から「誕生日ですね。おめでとうございます」。それは要らない・・・。ちゃんと診て。

 

   血液検査の結果も異常なし。のどの調子が 少しおかしいと説明すると「甲状腺の検査もしときましょう」と。

 

   父親が甲状腺のいわゆるハシモト病で薬を飲んでいるので「遺伝なのか?」とまた不安。後日また検査結果を聞きに来ることに。何やってんだろ。  

 

   この日はさらにこの後、眼科へ。頭痛も少し強い日が続き、4,5日前から両目の奥の方に圧迫感というか違和感が出てきていたのであわてて眼科へ。

 

   半年ほど前にも目の違和感で緑内障の検査をしていました。その時は幸い緑内障ではなかったのですが、眼圧も高めで要注意と言われていたが、今回の以上で再度検査をすることに。

 

   一通り検査を終えて、結果、前回と同じ。5,000円。。。安心料か。

 

   さらにこの日は鍼灸院にまで行って。誕生日に医療機関のオンパレード。なんて日だ!

 

   でも、ま、健康に勝るものなし、ということで。

 

   つづく。

   T君の実家から戻った翌日。

 

   朝からなにか胃に違和感を感じました。気持ち悪い。

   軽く朝食を取りましたが、お腹が張って気持ち悪さが増しました。しんどい。

   さらに前日の新幹線の長時間往復はギックリ腰にいいはずはなく、椅子に座っているだけで腰がかなり痛く。お腹と腰とのダブルパンチでこの日と次の日は少し寝込みました。

 

   胃の調子が悪いといってもさすがに4,5日も静養すれば落ち着いてくると思っていたのですが、あまり落ち着く気配がありません。少ししか食事を取っていないのに胃が張っているというか、気持ち悪さがずっと続いて治まる気配がありません。

   T君の死が想像以上にショックが大きく精神的にダメージを受けていたこともこの体調に大きく影響していそうだということは、病気のことについてあまり知らなくてもさすがにはっきりと感じました。

 

   しかし、精神的なダメージ以外に理由が思い当たらない体調不良も、静養して5日も過ぎてくると不安が募ってきます。

   「しっかり静養してるのにこのお腹の不調にほとんど改善がみられないというのは、さすがにおかしいのではないか?」

   不安はどんどん大きくなり、「やっぱり病院行こ」となります。

 

   頭痛の発症以降、西洋医学に不信感を持つ僕は、その反動として東洋医学を信望していきます。行くなら東洋医学をやってる病院。

   ということで、ネット検索して出てきたのが、近所にある少し大きな総合病院の漢方内科。

   普通の病院の漢方内科ってどうなんだろうか、とも思いましたが、他に選択肢もなく、結局、体調不良から一週間後に行ってみました。

 

   診察を受け病状を話すと「胃腸が調子悪いなら循環器内科で診てもらわないとなんとも言えませんね」ということで循環器内科に向かいます。そこで診察を受けると「検査してみないと分かりませんね」と。

   ま、そうでしょうね。

 

   エコー検査はその日にやりましたが、胃カメラを後日に行うということに。胃カメラを飲むのは初めてです。

   過去にあまり経験したことのない胃の気持ち悪さに、「最悪、ガンとかだったらどうしよう」という不安が頭をよぎります。

   人間というのは弱いものですね。勝手に不安になり、勝手に落ち込む。

 

   再び漢方内科へ。

   漢方を2種類くらい処方されました。

   「これはどういう効能の漢方ですか?」と尋ねると、

   「うーん、漢方というのは、風邪を治す薬だとかそういうのとは違って、全体的に効くものですからね」

   いやまあ、こちとらその程度のことは分かってますけど、その上でどういう作用かを聞いてるんですけど。

 

   前年に行った鍼灸や本の知識から、東洋医学とは触診や脈診、望診などを通して「症」を診た上で、症状に合わせた鍼灸治療や漢方の処方をするものだと認識しているのですが、

いわゆる内科的な診察のみによって処方される漢方って一体何なんだろう、この内科医は一体何に基づいてこの漢方を選んでいるのだろう。

   腑に落ちない説明を受けながら西洋医学への不信感はさらに募ります。

 

   患者の人差し指を各薬の写真の上にひとつずつ乗せていって、その反応によって漢方薬を選ぶという頭痛クリニックも、以前に書いたように経験しました。

   それはそれで興味深く、不信感なく受入れられるというのも、我ながら不思議な感覚をしているな、と。

 

   そんなこんなで、この2日後に人生初の胃カメラ検査を受けました。

 

   つづく。

   

   整体院からの帰りの電車でスマホを見ると、T君のお父様から連絡先のメールが届いていました。昼間、電話でお話しした時にお願いしたものでした。

 

   電車に乗っている間中、T君の実家に行こうかどうしようか、ずっと悩んでいました。

   ぎっくり腰の後遺症があり新幹線で長時間座っていられるか、おおいに不安ががあり、また勝手に一人で押しかけて迷惑をかけてしまうのではという思いもありました。

   が、思いを巡らせ、やっぱり彼に会いに行きたいと思いました。

 

   帰宅後、T君の自宅や携帯電話に何度か電話したのですが繋がらず、夜も遅いのでこれで最後にしようと思った電話をかけ、長い呼び出し音に「もう切ろう」と思った時、なんとか電話が繋がりました。T君の家の片付けに行っていて、丁度家に帰ってきたところとのことでした。

 

   翌日の日曜はご両親がご在宅とのことでしたので、その日に行かせてもらうこととしました。電話後、「普段着でお越し下さい。香典も不要です」とメールを受け取りました。思案しまし

が、その方がいいと思い、香典を持たず、普段着で行くことにしました。

 

   20~30分ほどお邪魔して線香を上げて帰ろうと思っていたのですが、お父様からのメールで「ぜひ昼食を食べていって下さい」とのご案内がありました。長居したものかとこれまた思案しましたが、お言葉に甘えることにしました。

 

   翌日、朝早く出かけ、4時間ほどかけてT君の実家に行きました。この日は快晴で、澄んだ空気の中、新幹線からは雪を被った富士山が雄大な姿でどっしりと構えているのが鮮明に見えました。思わず、普段はあまり撮らない写真を撮りました。「記憶のくさび」に。

 

   T君の実家では、お父様とお母様が迎えて下さいました。4年ほど前のT君の結婚式でお会いしてはいましたが、お互い、あまり憶えてはいませんでした。

   

   彼の部屋に行き、線香を上げさせてもらいました。遺影はT君の結婚式でのタキシード姿。なんとも言えない思いでした。

   遺影を見ても骨壺を見ても、彼が亡くなった実感はありませんでした。彼の部屋には、彼が生きてきた「跡」がありました。本棚に並べられた本、CD、勉強机。「必勝!〇〇大学」や「初志貫徹」の額など。

 

   その後、お二人と食事を取りながら話をしました。彼との思い出を話すことが一番の供養になると思い、彼と一緒に仕事をした2年間の思い出を話しました。振り返ってみると、憶えていることは案外少なく、そのことにショックを受けました。自分も仕事でいっぱいいっぱいで、周りを見る余裕がほぼありませんでしたので。それでも、一緒にやったいくつかの仕事などを思い出し、話しました。

 

   お二人からは、彼のこれまでのことを色々と伺いました。幼い頃、小中高校、大学。会社そしてロースクール。努力家だったと。あまり楽しめなかった高校生活の反面、大学ではサークルにも入り楽しく過ごしたようでした。

 

   彼の思い出話を始めようとした途端、頭の中が真っ白になり、一気に泣いてしまいました。少しの間、泣きました。ここに来る前、「泣かないでおこう」と思っていたのですが、無理でした。言葉にならない感情が一気に奥の方から溢れてきて、堰き止めることができませんでした。お二人も泣いていらっしゃいました。その想い、想像に余りあります。

 

   正月、しんどくて実家でのおせちもほとんど食べられず、でも元気が出てきたので自分の家に戻って受験勉強をスタートする、自習室の予約もした。そんな矢先だったそうです。

 

   前月に彼が電話してきた時、「余裕が出てきたら旅行に行こう。南の方に。沖縄とか」などと話していました。僕は本気でした。彼はそのことをご両親に話していたようでした。「〇〇さん(僕のこと)と一緒に旅行に行く」と。しかし、それはかなわなくなってしまいました。

 

 

   僕は、前月中旬から一気に気力が上がりました。その要因は、K鍼灸院での治療か、T君からの電話のおかげかとぼんやり考えていましたが、この時になってはやり、後者だと確信しました。そうに違いない、と。僕の中の、何らかのスイッチが入ったんだろう、と。彼のおかげで、僕は元気をもらいました。

   僕が彼に電話しなかったことを彼は責めるだろうか、と考えた時、答えは「No」でした。

   彼は、責めない。

 

   彼と一緒に生きていこう。そう思いました。僕がこれから楽しく、いきいきと生きることが、彼の供養になる。

   苦しんだよな、辛かったよな、しんどかったよな。でも、もう苦しまなくてもいいし、しんどい思いをしなくてもいい。逆説的だけれども。

   彼と一緒に生きて、僕が色んなことを楽しんだり喜んだりすれば、彼も喜んでくれるはず。だから、彼と時々会話しながら生きていこうと思いました。

 

   そう、彼と一緒にいる。後悔なく、いきいきと生きることの素晴らしさ、大切さに気付かせてくれたのは彼でした。今更ではあるけれど、でも、今気付けてよかった。

   やりたいことをやっていこう。会いたい人にはどんどん会おう。

   彼の形見分けをいつかもらえたらいいな、と。

 

 

   それから1年後、僕は旅に出ました。人生で初めての、旅行ではない、旅。少し長めに。

   まずは宮古島、伊良部島、来間島、大神島、竹富島に。さらにその1ヶ月後、石垣島、西表島、波照間島、小浜島に。旅に出た動機、南の島にした動機はまた別にありましたが、結果的に彼との「約束」を果たすことになりました。

 

   旅の間、何度となく彼に話しかけました。「なあ、ええやろ?旅って最高やなあ。旅ってこんなに楽しいんやなあ。初めて知ったわ」。現実的には彼との旅はかないませんでしたが、僕は彼と旅していました。

   

   彼は僕の中で今も生きているのだと思いました。今も時折話しかけています。旅の途中、彼へのお土産として海岸で珊瑚のかけらをひとつだけ拝借しました。

 

 

   さて話を戻すと、気が付けばお邪魔して4時間も経っていました。僕一人なのに。とても恐縮でした。大学の友人達も1回来たようですが、それ以外は弔問はないようでした。

 

   葬式も家族だけで執り行ったようです。親しい方から話があっても「家族だけで存分に泣きたいから」と、参列は固辞されたようです。

   周囲の人にも特に伝えていないとのことでした。伝えるのがつらい、と。彼が退社した会社(僕の所属する会社)にも特に連絡するつもりはないとのことでしたので、もし連絡したくなった時にはご連絡下さい、とだけお伝えしました。

 

   夕方、彼の家を出て、家路につきました。

 

   つづく。

   それは、気力が出て来てから1ヶ月半ほど過ぎた、1月末の土曜の昼でした。

 

   買い物から帰ってきて昼ご飯を食べようとしていた時、1通のメールに気付きました。以前このブログで書いた、弁護士を目指しロースクールに通うT君からでした。前回のメールから1ヶ月が経っていました。

 

   「お、鍼灸の治療も受けて、ちょっと調子が上がってきたかな?」と思いメールを開いてみると、そこには

 

   「Tの父です。時間のある時にご連絡頂けますか」

 

   との文面が。

 

   頭に衝撃が走りました。この文面からは、嫌な予感しかしません。

   電話するより先に、急いで昼食を食べました。電話後に食べられなくなってしまわないうちに。現金なものです。

 

   食べ終わって電話しました。お父様とお話ししました。

 

   「1月〇日に、心不全で亡くなりました」と。

 

   年末に鍼灸治療を受け、体調が少しましになったところで、やっぱり今年の司法試験受験を目指して頑張ろうとしたようでした。実家で正月を過ごし、休み明けに自宅に戻って頑張っていこうとした矢先、亡くなってしまいました。

 

   この事実をどう受け止めたらいいのか、全く分かりませんでした。T君が亡くなった実感の伴わないまま、しかし、T君が亡くなったのは事実でした。

 

   自分の行動をとても悔やみました。前月に2度電話してきて、想像を絶するようなしんどさで、身も心もボロボロになっている中、もう少しだけ頑張れば卒業できるからと、乗り切ろうとする彼の話を聞いた時、「これは体調的に相当危ない」とは思いながらも、こちらからはメールを2,3回打ちましたが、電話はしてあげませんでした。それは、彼がロースクールが忙しそうで電話を入れるタイミングが難しく、邪魔にならないようにと思っていたところもありますが、もう一方で、こちらからかけた場合の電話代をけちっていました。なんという情けない。。。自分のせこさをおおいに悔いました。

   2回の電話を受けた時、「これは危ない。体を壊してしまう」と思い、僕は休職中なので、本当は彼のところに1週間でも行ってあげて、サポートしてあげようかと本気で思いました。しかし、その時はぎっくり腰から2ヶ月で、出歩いたり座りっぱなしなどでの腰への負担が大きく、遠距離な彼のところまではとてもいける状態ではありませんでした。彼のところに行くのは断念していました。

   12月下旬に鍼灸に行って調子がよくなったとのメールを受け、安心していました。本当はその状態こそ逆に危なかったのだなと、今になって思います。調子がよくなって、さらに無理が出来てしまうのです。そのことに気付けず、安心しきって、年末年始に突入しました。

   そんな矢先に、彼が亡くなっていたとは。。。

 

   悔いても悔やみきれませんでした。ある意味、僕が殺してしまったのではないか、とまでも思いました。彼の頑張りすぎを止めてあげられなかった。

   当時、止めるには躊躇がありました。僕の意思で、全力で止めることは、言うことは簡単だけれども、それは自分のエゴではないか。止めることで、彼の弁護士になる夢を遅らせてしまうことになるんではないか。意見は言えるけれども、彼の人生なのだから、最終的に判断は彼がしなければならず、僕の意思で止めるのはどうなんだろうか。僕はどこまで彼の意思を尊重し、どこからストップをかけてあげるべきだろうか。迷いながらも、可能な限り休息を入れることをアドバイスするも、彼の意思を多めに尊重することを選択しました。

 

   そこの判断に正解はありませんが、僕は結果的に止めず、結果として彼は亡くなりました。渦中にあると客観的な判断が出来ない。そんな彼を、いくら反対されようが全力でもって止めてあげるべきでした。結果論としては。まさか、死に至ることになるとは、全く想像もしていませんでした。そういうことが現実に起こりうるものなのだということを、残念ながら僕はこの時初めて知ったのでした。

 

 

   電話は5分ほどで終わりました。返す言葉が見つからず、「とても残念です」としか言えませんでした。

   電話後、茫然。何も考えられない状態です。しかし、悔いたところでT君が帰ってくるわけでなく。

 

   しかしこの後、午後は、前回書いた頭痛整体のK整体院に行かなければなりませんでした。支度をして出かけました。前回記述の「私には治せません」と整体師さんに言われ、再会した同級生とお茶していたのは、そんな状況の最中でした。

 

   つづく。

    同級生のMさんに紹介してもらったK整体院へ行きました。頭痛の始まり頃に行っていた整体院に続いて2つ目の整体院になります。

 

   いわゆる普通の、身体のあちこちを揉んだり押したりするような整体院ではなく、からだのねじり等を確認した上で、ただ足を持ち上げて少しの間その状態を保つ、とか、両手の指先で頭がい骨を包むように触れる、などのような治療方法。頭がい骨も呼吸をしているそうで、その呼吸の状態を診ているのだそうです。奥深い。

 

   2回ほど通い、通院し始めた旨をMさんに伝えると、「今度時間が合えば私も行くね」と。

   そして、三回目の通院が土曜ということで、Mさんも時間があり、K整体院で会いました。

 

   4,5年前の同窓会以来の再会です。Mさんは「ブログに書く時は美人って書いといてね」とのことでしたが、本当に素敵な、チャーミングな女性です。

 

   その日は僕が治療を受けているのをMさんが側で見ているという、なんとも不思議な状況で。

 

   あれこれ治療してもらっている最中、先生に何度か「今、頭痛の状態はどうですか?」と聞かれ、正直に「うーん、あまり変化がないような気がします」と、その都度答えました。

 

   すると治療後、先生から衝撃の一言が。

 

   「すみません、私にはあなたの頭痛を治せません」

 

   まさか、整体院や鍼灸院でそんなことを言われるとは。たいていは、治らなくても通わせておくもんですが。

   それを「治せません」とは。「私の今の知識と経験では治せない」と。驚きましたが、正直に言ってもらい、嫌な思いは全くせず、むしろとてもすがすがしい気持ちでした。(本物の治療家なら、自分の実力は分かってるということなんですね)

 

   一方で、頭痛専門の整体院で、「数回通えば効果が出ます」とうたっているのに「治せない」というのはちょっとショックでした。

 

   代わりにどこか、いい治療院はないか聞いてみると、僕の家の近くに、その先生が勉強しに行こうと思っていた整体院があるとのこと(高かったので行かなかった、と)。自律神経を整える整体院。

 

   その日の治療後、Mさんと喫茶店に行って少し話しました。僕の症状のことで。また、Mさんも以前にある病で相当に不調な時期があったが、K整体院に通うなどして今は回復しており、東洋医学、鍼灸を勉強していることなど。

   Mさんからは「仕事がたいへんで、ストレスなんじゃないの?」と言っていました。

 

   この4ヶ月、いろんな治療院に通ってきました。それぞれの治療で治ることはありませんでしたが、気がつけばいくつかの治療院で思わぬ副産物を手に入れていました。

   初めのおじさんの鍼灸院で、置かれていたマンガで東洋医学のことを知り、東洋医学の鍼灸院を探して一本鍼のK鍼灸院に行くことになり、置かれていた本で藤本連風先生の本に出会って、その出逢いによってMさんとも再会して。

   

   なにか、ひとつの物語があるかのようです。その物語はその後も続いていきます、何かに導かれるように。それはまた後日。

 

   この3回目の治療の日、僕は別の大きな事件を抱えていました。これはまた次回。

 

   つづく。