我思う。

 

幽霊は”考える”事が出来るのだろうか?

 

単細胞生物は考えて、悩んで、実行する深い思考プロセスを持ち合わせていない。

 

何故か?

 

脳が粗末だから

 

工業用機械は自ら考える力など持ち合わせていない。

 

ただの機械だから。

 

ハイテクな石のようなものだ。

 

ソフィアのような 情報を見て・考えて・悩み・実行する

ニューラルネットワークを構築した機械はどうか?

 

人間から見たコレは人間のように振舞う事が出来るように見える。

(本当に考えているのかは不明。

 

 

生物が何かを考える為には脳や超集積回路といった

 

物質化された思考プラットフォームが必要なはず。

 

 

それを形作らせるものは一体何か?

 

生命が持っている意思? 

 

意思は「思考したい」と願うとその通り具現化されるのだろうか?

 

聖書にこんな言葉が有る

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。

すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。

そして、やみはこれに勝たなかった。

ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。

この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。 

彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。

 

(新約聖書 ヨハネによる福音書1:1

 

じゃあ、実体のない魂は考える事が出来るのだろうか?

 

そもそも自我を持っているのか?

 

自我や考える力の源は一体どこからやってくるのか?

 

これは尽きる事が無い興味深いテーマ

 

 

 

これについて興味深い答えを出した人物が存在する。

 

17世紀の哲学者 イマヌエル・カント

 

 

この人物は雑に紹介すると

 

「超次元に関する話は、今の我々にはどうやっても分からないから無意味だ。

 

考えるの辞めて他の事に時間使え。」

 

と言った。

 

 

カントはその理由を明確に述べた。

 

我々が意識したり・認識できる能力は五感を通して得た情報を脳が処理しているからであると。

 

死後の世界や幽霊と言った存在は、人間の五感で感知できない為

あるとも無いとも断言せず 知る事は出来ないと言う事だ。

 

だから、目に見える範囲の事を学問しろと言った。

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しかし世の中には、五感以外の方法を使ってその存在と交信できると豪語する詐欺臭い輩がいる。

 

正直な所、その99.9999999%はニセモノで

 

自分がさも特別な人間のように振舞い、臭い芝居で無垢な人を騙して金儲けしているのだ。

 

私は知る事が出来ない話を肯定する気はない。

 

だが生命体の考える力の根源はあるんじゃないかと思いたい。

 

そう、これは願いだ。

 

そう願う気持ちである。

 

 

死後の世界は実在するだの、地獄は有るだの、神は存在するだの

 

そういった話は、信じたいと強く願い過ぎて理性が暴走した結果起きる

 

思考のオーバーロードだ。

 

霊感の無い人間が金儲けに走って霊感商法やインチキ降霊術を行う場合

被害者は大抵の場合、資産を持った金持ち連中と決まっている。

決して貧乏人の前には現れない。

 

何故か?

 

ミステリーな話を馬鹿は信じない。

馬鹿は所得が低い。

馬鹿を教団のメンバーに加えると(多分低所得な馬鹿は入信しないだろうが)教団の印象が悪くなる。

 

だからカルト宗教は純粋無垢なお品の良い金持ち連中にしか声を掛けない。

 

金持ちでボンボンで馬鹿

 

これが三拍子そろうと、何度も執拗に勧誘される。

 

人間は自分の知れる範囲を科学で証明してきた。

 

科学は”かもしれない”世界を追求し証明する人間が出来る唯一の方法であると言える。

 

この宇宙がオカルトで出来ている事は認める、その種明かしをするのが科学であって

 

科学を飛び越えていきなり高等無形な話から入る輩は99.99999%がニセモノであると断言したい。

 

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もしも、幽霊が考える事が出来たなら、思考プラットフォームである脳みそは

 

肉体を高度に管理するためだけの演算装置とも見て取れる。

 

肉体のコントロールは物理的な脳という神経系が無ければ制御出来ないって事になる。

 

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動く人形という現象がオカルト界隈に存在する。

 

日本には呪われたとレッテルを貼られた怪奇現象の起きる人形を供養するお寺が存在している。

 

人形には脳みそが無い、ただの人形なんで。

 

なのに動くってどういう事だろうか?

 

何が人形を動かしているのだろうか?

 

フェイクやヤラセが中には存在するが、本物認定された動く人形は大変不気味で観察意欲をそそられる対象である。

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私は16年間オカルトを調べてきて思う。

 

我々の肉体は、現世で五感を通じ、そこからでしか学ぶ事の出来ない

 

体験をする為に存在しているのでは無いか?

 

言わばカゴに閉じ込められた鳥のようなもので

 

制限された範囲でしか行動する事が出来ない。

 

超次元の話をこれ以上考えた所で無意味では有るが

 

我々は何かしら狭い範囲に限定された常識の中に閉じ込められる事に

 

安息を感じる生き物なのかもしれない。

 

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人間の意思は目には見えないが、確かに確実に存在し

 

自分の意思を自分の中に認める事が出来る。

 

しかし、他人の意志は違う。

 

他人の意志は他人にしか分からない。

 

これを証明する為には、文字や言葉で相手に伝えなければならない。

 

そして、無形である意思を”コレです”といって相手に見せる事が出来ない。

 

見せる事が出来ないが確かに存在する”何か”

 

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意思は仏教の世界では魂と説かれ

 

この世は魂の修行の場だそうだ。

 

修行では無く学びを得ると言った方が最適かもしれない。

 

 

仏教では六道や輪廻転生という概念があるが

 

何故我々がここで生きるのか、仏教が最初から教えてくれているような気もする。

 

しかしこれは科学で誰でも理解出来るような話ではない。

 

証拠を提示する術がない。

 

信じる者にしか理解出来ない。

 

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魂の存在はオカルトネタの王道の一つになっているが

 

日本人は生活習慣の中にオカルトが根付いており

 

お盆がそれにあたる。

 

お盆はご先祖様の霊が帰って来ると言われている為

 

海外の人から見たら、カルト行事のように見える事だろう。

 

「なんであの人達、玄関で火燃やしてるんデスカ?」

 

「なんでナスビやキュウリで乗り物作るの?」

 

ってな感じで。

 

存在しないものを信じるのは偶像崇拝になるんじゃないか?

 

ご先祖様の霊が帰って来るとか。

 

霊感の有る人はご先祖様の幽霊が見えるのだろうか?

 

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意思は私個人的には実在すると思うが

 

意思が体から離れて独自に思考出来るかと言うお題目の問いに関しては

 

あり得ないと思う。

 

考える事は非常にエネルギーを使う、頭脳労働は肉体労働よりハードな一面がある。

毎日ハードに考えると、後年痴呆を発症するケースもあるらしい。

 

願わくば、意思の世界が考える事から解放された自由な世界であってほしい。

っというかそうなると無に還る事が一番の平穏のようにも見えるが

 

この意思が無に還る事など無いと私の潜在意識がささやいている。

 

そして、これだけはガチだ。

 

生きている間に五感と肉体を使った学びを楽しまないのは大損であると断言したい。

 

肉体を使ってのみ楽しめる事は沢山ある。

 

私の場合は自転車。

 

エンジョイアンド・・・エキサイティング!

 

そういうこと🥴