芸術家と言えば
女性がつきもの・・・・
ピカソには
37歳で最初に結婚した妻と
死別後
晩年に結婚した2人目の正妻
その他たくさんの愛人がいて
※こちらのブリジットバルドーは
愛人ではないようです・・・
それぞれモデルになっているので
ピカソ美術館では
写真と絵画が一緒に
見ることができます
上の向かって左のような
キュビズムの時代だったのだけど
『私だってわかるような顔に描いてよ!』
とオルガに言われて
描いた作品だそうです(笑)
寝室に飾ってある写真がありました
ピカソは
オルガが亡くなるまで
離婚はしませんでした
愛していたからではなく
結婚時に
離婚の際は、財産を2等分する念書を
オルガの母に書かされていたのです
その後、
愛人が身ごもって離婚を切り出しましたが
だったら財産を
半分出しなさいよ
と言われ
ピカソは
財産分与がバカバカしく
取りやめ
愛人と
自由恋愛三昧
だったということです
最初に
身ごもった愛人
ギャラリー・
ラファイエットの前で
ピカソがナンパした
金髪美女
マリーテレーズ・ワルテル
(ナンパ当時17歳)
当時ピカソはすでに有名画家でしたが
彼女は
ピカソのことは知らなかったという
芸術には無縁の
スポーツ少女だったんですって
今や
マリーテレーズの絵は
42億円で
売買されたりしてます
ピカソの全盛期
造形的に最も
インスピレーションを
与えた女神と
今でも評価されています
マリーが
ピカソの子供を産んだと同時に
ピカソは
子供を産んだマリーの身体に
興味がなくなったなどと
ムカつくことを公言しています
そうして
美人写真家
ドラ・マールとも同時期に
付き合いだします
ゲルニカ制作にも彼女の助言が
取り入れられていたそう
ドラが撮った
『ゲルニカ前のピカソ』8枚のドキュメント
大作の始まりから仕上がりまでの変貌がよくわかる
今でも貴重な写真なんですって
これがドラの肖像
とっても有名ですよね
ピカソは
他の愛人へのラブレターを
見えるように置いたりして
わざと嫉妬させる
サディスティックな一面があったのが
有名な話
そして
マリーテレーズとドラ
嫉妬し合う二人は
ピカソのアトリエではち合わせ
彼は
『二人で決着つけなよ』といい
製作中のゲルニカの前で
愛人同士の
取っ組み合いのケンカを
『僕の取り合いを、
楽しんで見ていたよ』
と友人に
話していたんですって
おやじ!
あんた、
最低だから!!
ゲルニカ左端の
ピカソの有名な『泣く女』は
ヒステリックになった
美人写真家『ドラ・マール』の
嫉妬する姿だったそうです
ピカソと正妻
マリーとドラの4角関係の末
ドラ・マールは
ピカソに捨てられた後
修道女に転身
17歳からピカソに人生を捧げた
金髪美女マリーテレーズは
晩年
ピカソが91歳で亡くなってすぐ
ピカソの後を追ったそうです
ピカソ美術館でこうやって
同じポーズで描いた宿命のライバルを
となり同士に展示してあるのだけど・・・
なんだかかわいそう
いいの?
どうなの???と
思ってしまうのは私だけ???
その後も
現役続行のワル男
新たな愛人
『フランソワーズ・ジロー』
美人ですよね~
彼女は画家でした
ピカソ65歳・
フランソワーズ24歳
年の差41歳
正妻と離婚しないまま
一緒に暮らし
2人のピカソの子供を生みましたが
さらに浮気ばっかりの
ピカソに愛想を尽かし
愛人の中で唯一!
ピカソを振って
アメリカに渡り
他の男性と結婚してしまいました
しかも、
アメリカで
ピカソの暴露本を出版
ピカソ72歳にして
初めて振られたと
残しています
しかし、彼女は
2人の子供達は
ピカソに認知して欲しいと
懇願も続けていました
そんな矢先
ピカソの正妻オルガが死去
長年の苦悩の末、精神を病み
癌をわずらった最期でした
葬儀には現れることもなかったピカソを
オルガの息子、その子孫は恨み
2014年1月
ピカソの孫(最初の妻との息子の孫)
が
総額347億円の絵画を
ぜ~んぶ売却しようとして
話題になっていましたが
希望金額に満たなく延期になっているそう。
その後どうなったのでしょう?
ピカソは正妻の死後すぐ
フランソワーズ・ジローに
『君ね、旦那と離婚しなよ
離婚したら
結婚しよう。
2人の子供も認知する』
と持ちかけました
フランソワーズは
離婚を決意
離婚成立したと同時に
別の愛人と結婚
は〜〜〜〜???
どうも捨てられたり
暴露本を出した
仕返しをしたらしいのです
この時ピカソ79歳
少し落ち着けよ、
オヤジ!
って話しです
結婚した女性はジャクリーヌ
34歳
年の差45歳婚でした
フランソワーズ・ジローとも
裏切ったり裏切られたり
すったもんだありましたが
フランソワーズは別の男性と再婚
ピカソとの娘は
ティファニーのジュエリーデザイナー
パロマピカソ
素晴らしい活躍されています
1973年
91歳で亡くなった巨匠
本名
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・
フアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス
・レメディオス・クリスピアーノ・デ・ラ・
サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ
めちゃくちゃ長い名前で
自分でも
正確な順番を覚えてなかったそう・・・
彼が亡くなって
ピカソの子供を産んだ愛人や
子供達と遺産相続争い
Parisにピカソ美術館を設立することで
合意
詳しくはよくわからないけれど
そうして
Parisのピカソ美術館が誕生したということです
最期の妻ジャクリーヌは
その年の差から
遺産相続の件を
全て終らせてから
ピカソの後を追って
自ら命をたったそうでした
PICASSO
女性としては
なんともムカつく男ですが
2015年 5月には
NYで
オークションにかけられた絵に
美術史上最高
215億円で
落札されたニュースもあり
巨匠(オヤジ)!
なかなかやるな・・・・
と、まぁ
こんなふうに
いろいろ調べながら
美術館に行くのが
私の美術鑑賞の
醍醐味でもあるのでした
ご清聴
ありがとうございました