中高年の年代に入るまでは、生きることの為にお金を貯めることに注力します。
これは社会活動をしている人としては当たり前のことです。
自ら食べていくためであったり、家族子供がいたり、家のローンがあったりしますしね。
でも、これを過ぎて一段落したところの熟年期に差し掛かると、今までの人生の目的、喜びが変化してくるようです。
それは、本当の自分を満たすこと。
今まではしなくてはいけないことに追われ、こなしてナンボの行く人生でした。
ここから先は、自他ともに喜びに満ちた人生を目指すことになるのです。
最近では、震災以降、年齢に関係なく経済活動の為だけに生きることに疑問を持ち始めた、いわゆる魂の目的に目覚めた人たちが増えてきてます。
本当の意味で、自分や家族、仲間、そして地球の為に出来ることを模索し始めています。
現代文明の曲がり角にきた時代。
なんの為に生き、何を求め、満たして行くか。
渇きとまでは行きませんが、何か満たされぬ思いを抱いたまま、ただ生きるためだけに生きるのは何か違和感起きるようです。
その違和感がでたら、それは魂からのメッセージだと思ってよいでしょう。
我々はこの不条理な惑星に、ただ生まれた訳ではないのです。
本当の喜びは何か、酸いも甘いも噛み締め、自ら小石を一つ一つ積み上げるようにして重ねてゆく徳と言うものを求めて行くんじゃないかなと最近感じるようになって来たのです。
これは社会活動をしている人としては当たり前のことです。
自ら食べていくためであったり、家族子供がいたり、家のローンがあったりしますしね。
でも、これを過ぎて一段落したところの熟年期に差し掛かると、今までの人生の目的、喜びが変化してくるようです。
それは、本当の自分を満たすこと。
今まではしなくてはいけないことに追われ、こなしてナンボの行く人生でした。
ここから先は、自他ともに喜びに満ちた人生を目指すことになるのです。
最近では、震災以降、年齢に関係なく経済活動の為だけに生きることに疑問を持ち始めた、いわゆる魂の目的に目覚めた人たちが増えてきてます。
本当の意味で、自分や家族、仲間、そして地球の為に出来ることを模索し始めています。
現代文明の曲がり角にきた時代。
なんの為に生き、何を求め、満たして行くか。
渇きとまでは行きませんが、何か満たされぬ思いを抱いたまま、ただ生きるためだけに生きるのは何か違和感起きるようです。
その違和感がでたら、それは魂からのメッセージだと思ってよいでしょう。
我々はこの不条理な惑星に、ただ生まれた訳ではないのです。
本当の喜びは何か、酸いも甘いも噛み締め、自ら小石を一つ一つ積み上げるようにして重ねてゆく徳と言うものを求めて行くんじゃないかなと最近感じるようになって来たのです。