退院の日取りが決まった。
来週木曜日の七月二十七日。
迎えの車もお願いした。
本当にお世話にばかりなっている。
今日の診察で、退院の話が出た。
確かに退院の話が出てもおかしくないタイミングだった。
疲労は抜けた。
入眠もスムーズになった。
睡眠の質も改善傾向が続いている。
今朝方の検温で、病棟スタッフから「あなたは本当に普通なので助かる」とまで言われた。
加えて、私の病は入院では治らない。
カルテには五つぐらい病名が書いてあるが、その中でも主治医が時々口にする病名はただ一つ。
パーソナリティ障害だ。
五十代のオジサンが、今さらのパーソナリティ障害ってだけで、なかなか笑える。
ジョークとして普通には通じないのが難点だが。
そうした私自身の変化に加え、病棟内で私に吹く風が変わり始めたことも、退院決定の要因になっている。
同室の患者さんも含め、複数の、私よりも高齢の男性患者さんから接近され、下手をすればぶら下がられ、依存されかねない兆候が現れ始めている。
こうなっては、これ以上の入院継続は、私にとってはメリットよりも弊害の方が大きくなる可能性大である。
一週間後の退院が決まって、正直なところ、私の胸には不安が交錯した。
二年前の入院では、一日も早い退院を切望していたことと比べると、なんとも大きな変化だ。
今回の入院では、あともう少しで大切な嶺を一つ越えられそうな感触を覚え始めている。
だから、もう少しユックリしてたい。
これが不安の原因の一つ。
ここは閉鎖病棟で、外にはないストレスが若干あるとはいえ、外の世界と比べれば、ほぼストレスフリーと言える。
そんな環境から、またストレスフルな実社会生活に戻らなければならないことへの不安。
これもあるだろう。
主治医とも話して、退院してもしばらくは、活動的にならずに部屋でおとなしくして、自分の様子を見ることに。
退院後二週間目に外来の予約を入れてもらうので、そこが一つの目処かなぁ...
それにしてもココでは、退院の話をするのに気をつかう。
退院時の迎えのお願いをする電話。
その手配ができたことの、主治医への報告。
そうした私の退院にかかわるもろもろを、他の患者さんの耳を気にしながらしなければならない。
なにせ、少しも早く退院したいと病的に切望している患者さんは、少なくないのだから。
私の退院決定の話は、そうした患者さんを無用に刺激する可能性がある。
だから、私から他の患者さんに自分の退院のことを話すつもりはない。
さて、ココからの昨日の続きだがw
入院前の私は、男性の件で奔走し、心身を疲弊させていく間、ずっとそうしたことを考えていた。
そうした状況のもと、私が一人で駆けずり回っている現実を見つめ、そこにどれだけの意味があるのかと、自問し続けた。
その行動に、未来に向けていかような発展性があるのかとも、問い続けた。
そうした組織、また地域、社会、この世界そのものに、どれだけの波及性をもちえるのだろうかと、答えを求め続けた。
小難しい理屈は抜きにして...
まず私が一人、変革の先端を走る重要性を実感した。
私が、そうしたことができる位置にあることを自覚した。
そうした一人になる。
他の誰人でもなく、私がなる。
誰人にかその資質を求めるのではなく、自らに自覚する勇気を持つ。
そう硬く信じる。
そうすれば、全てが活きてくる。
私の有象無象の経験も。
私と、あらゆる関係性で関わってくださった方達の人生も。
あらゆることのためには、そうした一人が存在することこそが大切なのであって、それを自覚した者こそが、そうなるべきなのだ。
私の卑近な実例を挙げれば、私の父親がそうだった。
アルコール依存症で、おそらくはなにがしかの発達障害で、彼をよく知る近親者は、私の父親の言動に接すると、揃いも揃って眉をしかめた。
そんな周囲に迷惑ばかりかけてきたような男であっても、その最期は立派な大往生。
あの私の目の前で起こった、分かりすぎるぐらい分かり易い実例は、私に深い教訓となった。
またその経験を、目の前のあらゆる事象に敷衍して考えてみるようにもなった。
これが私個人の可能性を示唆するものならば、その示唆されたところの可能性に賭けてみよう。
これが、あの男性の件にかかわり続けた原動力であったし、今回の入院を潔く決められた主要因だった。