夕方近くに電話をいただいた。
近所に住む青年から。
昨年来、折に触れて励ましをおくってきた男性。
元気が欲しくてと、私なんぞに連絡をくださった。

私が精神病院に入院中なのは知っているし、できれば直接面会に来て、顔を見合わせながら話をしたいとも言う。
その思いはあっても、現実には電話しかできない。
その彼の苦衷、いかばかりか。

他の入院患者さんたちに迷惑がかからないよう、電話用の個室に入って、お話をうかがう。
私なんぞで元気が出るならと、彼の問題意識に沿ったお話を少々。
その上で、決して無理してまで来ることのないように、賢明に自分を守ってくださいと話す。

そうした彼にも、精神病院への入院経験がある。
彼の来し方、そして抱える問題は、決してシンプルではない。
そんな彼のバックボーンに思いをはせながら話をできる人は、確かになかなかいないだろうなと思う。
そうした彼のためにも、私は今回の入院を、最大限有意義に過ごしたいと、改めて思いを深くする。


そんな私はというと、今朝はまぁよく寝られたと思う。
若干の不快感はあったようだが、以前ほどではない。
それでも、まだ熟睡とまではいかない。

それにしても、ベッドで一人、横になっていても、私の胸中に充実感が横溢しているのを感じる今日だった。
安心して横になっていられる。

本とノートに向かっても、今日は割とスムーズに文字を書ける。
今日の私は、今までになく安定しているようだ。

ってことは、次なるイベントが何らかの形で私に降りかかってくるのが近いのかもしれない。
私のことだから、決して安穏と過ごせはしないだろう。
そのための入院なので、ぜひ降りかかっていただきたいと思っている。

辛いだろうけど、それが私の人生だ。


今、読んでいるリサ・ランドール著「宇宙の扉をノックする」では、科学のそもそもから筆が起こされている。
前に読んだ「ワープする宇宙」では、物理学のそもそもからが書かれていたが、今回はそのさらに前段階から、話が始まっている。

その「そもそも」としてガリレオ・ガリレイを取り上げ、宗教と科学を相対的に記述するところから、この本は始まっている。
本書で想定されている「宗教」が、創造神をおく、主にキリスト教。
しかし、日本に生まれ育った私には、キリスト教は縁遠い。
一読して、あまり関心を持てなかった。

しかし今回は、作業療法としての読書でもあり、ノートに内容をまとめるのが主目的。
なので関心があるなしに関係なく、この部分も丹念にノートにまとめていった。
まとめた、と言うより、心に残った部分をそのままノートに書き写した。
ノートで約40ページ分になった。

そうして、やっと著者が、こうした物理学の本で、わざわざ宗教などという分野外の内容を盛り込んだ意味を知った。
アメリカって宗教的には、私たち日本人からしたら信じられないぐらいに、前時代的な側面があるのね。
ニュースでは知ってたけど、こうしてわざわざ著書の、しかも冒頭部分の一章を丸々使って取り上げる必要があるほど、科学者の視点からしたら「大問題」が、彼の地にはあるのね、などと思ったりした。

しかし、そこに書かれている内容は、日本に住む私たちにも無縁ではいられない、鋭い指摘も含まれている。
幾つかあるんだが、その中でも「コレは」って部分を、もう既にかなり長くなってきているので、明日以降に取り上げて、考えてみたい。