今日で入院からちょうど七週間。

この時点で私は、治療はいよいよこれからだなと感じている。
先日来書いているように、今週に入って、やっと本格的な治療に着手でき始めたような気がしている。

午前二時過ぎに、いったん目が覚めるのは、相変わらず。
その後は、朝まで浅い眠りが続くのも相変わらず。
その浅さが、段々と、少しずつ改善してきているのを実感している。
本当に少しずつ。
その証として、途中覚醒の回数が減っている。
(もしくは、私の記憶に残らない程度の軽い覚醒に変わっているのかもしれない)

ノートに書き落としている文字の形も、少しずつだが、毎日安定の方向に変化している。
本当に少しずつの変化で、たぶん、他の人が私のノートを見ても、その変化に気づけないほどかすかだと思う。

しかし、今週月曜日まで書いていた文字と見比べれば、誰でも気づけるほど、その変化は歴然。
しかし、まだ文字の形に、筆運びに、安定感が具わってない。

例えばひらがなの「そ」。
以前から苦手としていた文字だったが、今日くらいから、やっと落ち着いて書けるようになった。
ま、そんな程度だから、安定にはほど遠い。


ひらがなには、忘れられない記憶がある。

日本で小学校一年生になった人なら、ほぼ誰でも国語の授業で、ひらがなの書き取り練習をしたと思う。
お手本を見ながら、丁寧に、きれいに書きましょうと指導されるのだと思う。

この授業で、母親から恐怖と共に厳しくしつけられるのが日常だった私は、その養育環境でつちかった力を、遺憾なく発揮した。
私は、シッカリとお手本の文字を凝視しながら、これでもかという慎重さで、一文字一文字を書いたのだ。

その私が書いた文字に目を落とした教師は、私の練習ノートを手に取り、皆の前に掲げ、これがお手本です、みたいなことを言った、
その言葉に私は気をよくして、なおさらバカ丁寧に一文字一文字を書いた。

一文字一文字をバカ丁寧に書くものだから、当然、書きすすむスピードは遅い。
他の生徒があ行を書き終えてか行に移るころになっても、私はまだ「い」か「う」を書いているぐらいに遅かった。
そのあまりの遅筆ぶりに、先に私を「お手本」と言った教師も、呆れかえっていたようだった。

そこでたぶん私は、猛烈な恥ずかしさとともに、こう思ったのだと思う。
丁寧なだけではダメなんだ。
皆と同じように、早くもなければダメなんだ、と。

当時、私の住まいの近所にあった公民館で、児童向けの書道教室が開かれていた。
何かしらそこであったはずなんだけど、そしてそれは学校の授業にも関連した、いくばくか恥ずかしいことだったはずなのだけど、今となっては思い出せない。
また当時の私の家庭は、とんでもなく極貧な生活をおくっていたので、そのような教室に通えるわけもなかった。

そうした小学一年生時の経験を発端にして、文字を書くという行為は、私にとって、少しでも速く、かつ、書かれた文字もキレイでなければならないという、とても困難なものになっていったような気がする。
なぜならそうした二つの条件は、私にとっては相反するもので、とても両立できるものではなかったのだから。
だからこそ、文字を書くというとても単純な作業ででさえ、私はとてつもなく緊張していた。
そう、ついこの前までは。

それぐらい、あの小学一年生の時の授業での恥ずかしい思いをした経験が、今でも強烈な記憶として私の脳裏に残っている。
また、もしかしたらあの経験も手伝って、文字を書くことが、私にはとても緊張感をともなう行為になったのかもしれない。
そうした背景があって、病棟内の掲示板に作業療法としての「ペン習字」の記載を見たときに、やってみる価値があるかもしれないと思ったのだと思う。


文字を一文字一文字、丁寧に書くという、とても基本的で単純な行為を繰り返していて、我がことながらハッと気づかされることがある。
意外にも、私がキレイな文字を書くのだ。
まだ安定感を欠くし、全体的にバランスがとれていないところも、まだまだある。

しかし、シッカリとした筆運びができた時の私の文字は、伸びやかで、爽やかさと力強さも感じさせるものがあったりして、自分でビックリしている。
これが、本来の私が書く文字なのかもしれない。
そう感じる度に、ノートに向かう私の中を、真剣さや清新さが吹き抜けていくような感覚を覚える。

それがまた気持ちいい。